「修験道と巫俗の交錯−山形県村山地方の事例より−」『東洋大学大学院社会学研究科紀要』第35集、1999
本論文は、筆者の東北日本におけるシャマニズムの社会人類学的研究という大きな枠組みの中で、近年概して抽象的な議論に流れがちであった修験道と巫俗(シャマニズム)の関係に関する問題を、あくまで具体的な資料を地道に積み上げることによって明らかにしようという試みの一端として位置づけられている。筆者は、修験者や巫女が活動しかつまた生活を営んでいる村落社会や都市社会との関係に着目しつつ、宮城県や山形県において約5年間に及ぶフィールド調査と、それを元にした分析を行って来た。シャマニズムのような宗教現象を捉えるには幾つかの方法があると考えられるが、筆者はそうした呪術=宗教職能者を、彼等が所属し活動する社会の文化・社会的なコンテクストをホリスティックに捉えながら、彼等がその社会においていかなる位置づけがなされ、いかなる役割を果たしているのかを克明に描き出そうとして、民族誌的記述をその研究法の中心として持つ社会人類学的な研究法を採用している。本稿では論述を三つの調査地(山形県東村山郡中山町、同県寒河江市田代、同県村山市岩野)に限定し、それぞれの社会構造や修験道、巫俗その他の民間信仰などについて可能な限り克明に描き出すことを旨とし、特に近年における修験道や巫俗の交錯関係を中心にして、とにかく具体的なデータを提示することに執拗なまでにこだわって、記述を行った。これによって、少なくとも近年の両者の関係の変遷や、村落社会との関わりの一端を描き出すことが出来たのではないかと考える。