第49回日本民俗学会年会 1997年10月5日 @東京家政学院大学
「宮城県内の山の神信仰に関する考察−桃生郡鳴瀬町野蒜の事例を中心に−」

本報告では、宮城県内の山の神信仰に関して、特にその祭神、祭祀集団及び祭祀形態と、当該社会の持つ生業形態との関わりについて、それぞれ農村、山村、漁村にあたると考えてよいと思われる桃生郡鳴瀬町野蒜、刈田郡七ヶ宿町、本吉郡唐桑町の事例を比較検討しつつ考察を加え、さらには山の神信仰としては幾分特殊な形態と考えられる遠田郡小牛田町の山神社及び鳴瀬町野蒜新町地区の事例について論究した。
結論部ではまず第一に、七ヶ宿町で信仰される山の神がネリー・ナウマンのいう意味での「猟師や山稼ぎ人の山の神」であると一応考えられること、及びそれでは逆に平野部農村において見られるはずの「農民の山の神」についてはどうかと言えば、同県内では安産・子授の神様として知られる小牛田町の山神社の分社・末社的な要素を持つことから、これまでの民俗学で行われてきた生業形態と山の神との関わりを重視した分析方法で説明することには困難が伴うのではないか、ということを述べた。
そこで次に、特に近世についての宗教史・社会史的な視座を取り込むことが必要になるのではないか、ということになるのだが、同県内の山の神信仰の中心とも言うべき小牛田町の山神社について言うなら、同社には古文書の類が再三の火災によって消失しており、同神社にのみ注目するのでは県内の山の神を巡る問題への文献を通じた宗教史・社会史的なアプローチは困難であると言わざるを得ない。そこで注目されるのが鳴瀬町野蒜新町地区の山の神社の事例に見られる山伏=修験者が同神社の創建に関与したという伝承であり、こうした伝承がどの程度他の地域において見られるのか、さらにはそれはどういう形をとっているのかを探ることにより、県内全般に見られる産神としての山の神信仰の成立についての問題解決への糸口があるのではないかと論じた。