近現代宗教研究批評の会研究報告、@東京学芸大学、1997年10月18日

「山の神とそのジェンダーを巡る考察」

 本報告では、宮城県及び山形県の山の神信仰に関して、特にその祭神、祭祀集団及び祭祀形態を比較対照しつつ、そこから浮かび上がってくる問題として、祭神に与えられたジェンダーと祭祀集団の性的分業とも言える現象について、フェミニスト人類学における議論を援用しつつ考察を加えた。ここで行ったのは数あるフェミニスト人類学の主張のうちでも今日においてかなりの影響力を持つものの一つである、1973年にミシェル・Z・ロザルドの提起した、ある程度のヴァリエーションを持ちながらも女性は私的領域、男性は公的領域に属するとみなされることが人類において普遍的であり、また、そうした非対称性を反映した男性優位の状況を打破し、女性の地位を向上させるには女性が公的領域に、男性が家庭に入ることが有効ではないか、という議論の再吟味である。事例では5つの社会における男性の契約講や氏子集団と女性の山の神講その他の祭祀集団を取り上げ、それらの社会では男性の契約講や氏子集団が比較的ドミナントな位置づけをされてはいるが、ロザルドのいう文化的な構築物である規範体系と見なせる「契約」等と呼ばれる成文化された規約は現在ほとんど機能しておらず、神社祭祀も社会によって異なるがそれぞれの社会においてさほど強力に権威の維持といった機能を果たしていないこと、そしてまた女性の祭祀集団は一応公的領域を形成してはいるが、その目的については安産・子授祈願等という「家」存続を目的にした私的側面が強いものであるということを述べた。
 また、ここではサブテーマとして、エドウィン・アードナーの言う人類学における「女性問題」、つまりこれまでの民族誌において女性側の象徴体系への無関心が存在し、研究者が女性であれ男性であれ陥りがちなアポリアを形成している、という実状をなんとか乗り越え、男性側の山の神を中心とした象徴体系の記述に終始せず、それに包摂されない女性側の持つ象徴体系を描き出すことを心がけたが、それが成功しているかどうかについての判断は来聴者にゆだねることにした。