篠田節子著『第4の神話』角川書店、1999.12

39歳のフリーランス・ライターが、4年前に死んだ「カリスマ作家」夏木柚香の評伝を書き上げるまでを描くドキュメンタリー風小説。多くの謎を残して死んだ、ないし失踪した作家、というモチーフは、この著者が既に何度か使ってきたもの。著者の原点回帰をも感じさせられた。但し、本書においては、それら初期作品が持っていたホラー色もオカルト色も払拭されていて、作風としては先頃文庫化された『女たちのジハード』に最も近い。聞き取り調査を行い、裏を取り、解釈し、テクスト化し、最終的に「第4の神話」創出に荷担してしまう主人公の行動は、特に個人的読解によらずとも人類学者と重なってしまう。それはさておき、本書では前半部で『女たちのジハード』でも展開されたジェンダーの問題、特に性的な社会分業の問題が扱われ、更にセクシュアリティの問題にまで踏み込む。後半部では、主として夏木柚香の遺したテクストを翻案した現代能の上演を巡る芸術論・文学論に多くの頁が割かれる。やや残念だったのは、全くない、とは言えないし、作者の執筆意図は本来まさにそこにあったのだと個人的には考えている、ジェンダー・セクシュアリティの問題と、文学という表現形式、更には能やコンテンポラリー・ダンスなどの身体表現形式との結び付きについての言及が、やや稀薄な点であった。そもそも、能というのは舞台の上に女性が立つこと自体が禁じられた芸術形式なのであり、その点について何も言及していないのは、本書の前半部でジェンダーを扱っているのを考え併せるにつけ、実に不自然ではなかろうか。それとは対照的に、近年の文学あるいはコンテンポラリー・ダンスにおけるフェミニズムの読み込みないし展開というのは、20世紀後半においてめざましく発展を遂げたものの一つであることを、篠田が知らない筈はないと思うのだけれど、何故そこまで盛り込めなかったのか、と極めて残念に思う。深読みするならば、本書の主眼があくまでも30代後半の女性の苦難なり何なりを描く事にある事を擬装せざるを得ない状況にあった、つまりは職業作家である篠田自身が、角川書店の編集方針との折り合いをつける必要もあって、話を難しくし過ぎるのを恐れてそこまで敢えて踏み込まなかった、ということになるのかも知れないけれど、もう一歩ないし二歩位の踏み込みが欲しかったところ。本書に登場する、気難しい犯罪小説家のモデルと見なして良いだろう高村薫のような人は、出版社の編集方針などお構いなしに執筆活動を行っているような気がするのだけれど。本当はああいうものが書きたいのでは、などと勘ぐる次第であった。因みに、蛇足だけれど、誤植がやや目立った。例えば、「mikihause」。ドイツの会社だったの?その前にちゃんとカタカナで「ミキハウス」って書いてあるのだけどな。他にも幾つかあったけれどいちいち付箋を貼っていないので(当たり前か…。)、どこだか分からなくなってしまった。探してみて下さい。(2000/02/17)