以下、かなり前に読んだものから、最近読んだものまで、まとめて記載する。
小松和彦・宮田登・鎌田東二・南伸坊著『日本異界絵巻』ちくま文庫、1999.1(1990)
第一段「スサノオ」から第四十段「アキラとナウシカ」まで、日本の怪人物・怪物を総ざらえした何とも楽しい本。考証がことのほかきちんとしていて、情報量も多く、インデックスとして結構役に立ってしまう。最近では最も成功した企画ものの一つではないかと思う。ご一読を。

赤坂憲雄著『遠野/物語考』ちくま学芸文庫、1998.1(1994.2)

赤坂の「柳田國男その可能性の中心」シリーズの一端である。本書の主題は、『遠野物語』『遠野物語拾遺』を「現実の遠野」という場所から逆照射しつつそのテクストの深みにある様々なことを表面化させようという試みと考えて良いと思う。「柳田國男の発生」シリーズよりもやや散漫な感じがしたけれど(特に、第五章以下は付け足しとしか思えない。)、第二章「白神考」は「オシラサマ」研究に付随する問題群を丹念に追跡したコンパクトかつ重層的な好論文ではないかと思う。これだけでも一読の価値のある著作であろう。勿論、第一章「物語考」、第四章「色彩論」も、大変示唆に富むものであることを付け加えておきたい。

森博嗣著『全てがFになる The perfect insider』講談社文庫、1998.12(1996.4)

森博嗣工学部助教授のN大学工学部助教授犀川創平・同学生西之園萌絵コンビシリーズの第一弾である。私はこのシリーズをまだ第三弾までしか読んでいないのだけれど、今のところこの作品が一番完成度その他が高いように感じる。瀬名秀明の解説によれば本書は執筆順では4番目に当たっていて、要は端的に筆力の向上が寄与しているのだと思う。元プログラマの私には何が「F」なんだかタイトルだけで分かってしまったのだが、それはそれとして本作はサイバーパンクをも指向した、基本に忠実な本格密室ものミステリなのであって、「こういうのもありなんだな。」と、思わずほくそ笑まずにはいられなかった。シリーズ最後まで早いところ読んじまいたいのだけれど、何せ時間のない私なのである。

森博嗣著『冷たい密室と博士たち Doctors in isolated room』講談社文庫、1999.3(1996.7)

同じくシリーズ第二弾である。執筆順からいえば森の初作品ということになる。『F』に比べるとややインパクトにかけるけれど、これまた基本に忠実な密室もので、余り大がかりでない分、これから森ワールドへの侵入を試みようという方にはやや取っつきやすいかも知れない。個人的には、理系書式とも言える「コンピュータ」だの「ミキサ」、「キーホルダ」なんてのが頻出して懐かしかった。これについては、なるべくバイト数を使わないために語尾の「ー」を省いてるんだ、という説が言われていたように思うのだけれど、ホントのところはどうなんだろう?森先生に聞いてみますか。
ちなみに、第三弾である『笑わない数学者 Mathematical goodby』はノベルス版で読んだけれど、往年の大数学者が出題する「消えたオリオン像の謎」については冒頭に掲げられている「三ツ星館」概略図をちらっと見ればいともあっさりと分かってしまうのではないかと思うんだけれど。登場人物たちが悩んでいるのがなんでなのかよく分からない。更に、同じく大数学者が出題する「五つのビリヤード玉の問題」については、私は約10分で正解にたどり着いた。私程度でこんなものなのだから、とんでもなく賢いという設定の犀川氏や西之園氏はもっと早く答えられるんじゃなかろうかと思うんだけれど。どうなんでしょう。

島田雅彦著『浮く女 沈む男』朝日文芸文庫、1999.3(1996.4)

基本的には『彼岸先生』に続く夏目漱石作品のパロディなんだろうね。元ネタは勿論『行人』。主人公イタルの兄ミツルがあおいという名の美女と共に出奔し、兄嫁である美鈴に相談を持ちかけられるところから物語は始まる。しかし、本題はそんなところにはない。話はミツルとあおいが乗り込んだ旅客船「弥勒丸」を、「ブルース・リー」という名の中国系アメリカ人が乗っ取り、一種の海上独立国化することを目指す、という方向に進む。で、どうなったんだっけ?だいぶ前に読んだので忘れてるな。というよりも、あんまり印象に残らなかったということなのかな。そんなに詰まらない作品ではないと思うのだけれど、作者の意図が今一つ見えなかった、というところだろうか。

J.P.ホーガン著 小隅黎訳『造物主の選択』創元SF文庫、1999.1(1995)

これは面白い。傑作である。1983年刊行の傑作『造物主の掟』の続編である。この作品の面白さを言うには、本書が3部構成になっていて、第一部と第三部のタイトルがそれぞれ「理性を重視する心霊術師」、「超自然を発見したコンピュータ」となっていることだけを述べておけば良いだろう。何とも、逆説的でしょう?なお、タイタンの機械生命文明を産み出す大元となった惑星タール出身のボイジャンと呼ばれる生物は、近傍の恒星のノヴァ化により百万年前に絶滅してしまっているのだけれど、本作ではそこから電子情報という形で脱出した12体+1の人格がタイタンのコンピュータ・ネットワーク上に復活し、波乱を巻き起こすことになる。この「12+1」という数がポイントで、12の方は旧約聖書の12氏族であったり、新約聖書の12使徒であったりすると思うのだけれど、そう考えると、+1は要するにユダ(あるいはイエスかも知れない。)なんだな、ということに気付く訳だ。何でそうなのかは、お読みになって頂ければすぐにお分かりになると思うので、敢えてネタ晴らしをするような愚も犯さないうちに、この傑作の紹介を終えたい。(以上1999/05/04)

川田順造著『聲』ちくま学芸文庫、1998.10(1988)

誠に啓発的な書物である。修士論文を書く前に読んでいたら、間違いなく大々的に引用していただろう。後半の発話の人称に関する議論は、私が大いに援用させて貰った竹沢尚一郎氏の『宗教という技法』(頸草書房、1992)所収の1992年執筆の論文「仮面と憑依/あるいは語る<私>の出現」にも、実はかなりの影響を与えていたはずであるのだけれど(偶然じゃないと思う。)、同書の参考文献に挙げられていないせいで気付かなかった。前半の中心的議論である、音楽の言語化に関する分析もまた、ウーム、とうならせてくれる。日本・アフリカの一部・西洋の一部という三つの言語文化圏からの、まさしく川田氏の提唱する「三点測量」の見事な成果の一つなのではないかと思う。(1999/06/21)

平田篤胤著・子安宣邦校注『霊の真柱』岩波文庫、1998.11(1812)

篤胤の主著の文庫化。岩波も凄いことをしてくれる。本文は「伊吹能舎版本」を底本にしているとのことで、それが何なのかはよく知らないのだけれど、現代語訳にはなっておらず、さりとて、総ルビ、総書き下しなので読むこと自体にはさほど苦労しない。ただ、「下巻(しもつまき)」の「幽冥論」ははっきり云って晦渋である。しかし、これが柳田や折口に与えた影響を考えると、読まないわけにはいかないのであった。なお、例えば『旧約聖書』「創世記」の「安太牟(あだむ)」と「延波(えは)」物語を、「全く、皇国(みくに)の古伝の訛(よこなまり)と聞えたり。」(p.45)などと云ってしまう篤胤のウルトラ・エスノセントリズム(自民族中心主義)には、感動すら覚えてしまった。他にも、地動説なぞ我が国ではとうに知られておった、みたいなことも云っている。素晴らしい。今世紀に生きておられたら、相対性理論なんぞ云々、量子力学云々、不完全性定理云々、以下同様とおっしゃるところなのだろうね。誠に愛すべき人物である。(1999/07/12)

外間守善著『おもろさうし』岩波同時代ライブラリー、1998.2(1985)

16-7世紀(勿論西洋暦で)にかけて編纂された琉球の古謡集『おもろそうし』の簡にして要を得た解説書。「おもろ」の語源をめぐる部分はちょっと分かりにくいのだけれど、基本的には「思ふ」が元なのだそうだ。すなわち、「口に出して「言う」という意味の「思ふ」を原義にしたもので、その体言化したものが神の言葉、神言という意味を背負わされたものであると結論する。」(pp.26-7)ということなのだそうです。なるほど。おもろい。すると、関西系の方言の「おもろい」はひょっとして…。いやいや、そんなことはないよね。あれは「おもしろい」の「し」が抜けたものだよね。どうなんでしょう?(1999/07/21)