Roger Caillois著 内藤完爾訳『聖なるものの社会学』ちくま学芸文庫、2000.4(1951)
1971年に出ていた邦訳版の文庫化。有名な本だけれど、機会が無くて未読であった。兎に角、扱われているテーマが余りにも面白過ぎる。T「死の表象―アメリカ映画における―」、V「カリスマ的権力―偶像としてのアドルフ・ヒトラー―」、W「戦争のめまい」といった具合。特にWの戦争論は極めて冷徹な視点で書かれており秀逸。戦争に関する言説の系譜学にもなっている。これは必読でしょう。(2000/06/05)
James Tiptree Jr.著 伊藤典夫・浅倉久志訳『星ぼしの荒野から』ハヤカワ文庫、1999.3(1981)
邦訳書としては第5冊目となる短編集。発表期間は1974年から1981年迄。「彼女」のカミング・アウトは1977年の事だから、丁度その前後、という事になる。それは即ち、男性作家としてフェミニズムSFを含む作品群を書いていた時期と、女性作家として活動していた時期を挟む、という事でもある。本作品集に収められた短編群は、その全てがフェミニズムSFという訳ではないのだけれど、彼女が女性である事だの、カミング・アウトした事実だのを知っていたりする事などによるバイアスもあってか(要は、彼女がジェンダーというものに対する強烈な意識を所有していた、という事をそういうことから読みとってしまうという事である。)、やはりフェミニズムSFと考えて良いだろう作品群から強烈なインパクトを受けた、という事を述べておきたいと思う。それにしても、最も印象深かった「たおやかな狂える手に」を筆頭に、表題作「星ぼしの荒野から」、「スロー・ミュージック」などという作品は、そんじょそこらにはない希有なる作品なのであり、こういうものが昨年まで未邦訳であった、というSF氷河期的状況はいったい何なのだろうか、と思わずにはいられない。原書で読めばいい、という気もしないではないのだけれど…。(2000/06/04)
田中克彦著『ことばのエコロジー』ちくま学芸文庫、1999.11(1993)
主として今日の世界における言語、国家、民族の問題を扱ったエッセイその他を集めた論集。執筆期間がソヴィエト連邦解体と前後するため、あの当時の雰囲気を如実に反映している。それにしても、言語と権力、乃至国家、という問題の重要性は、日に日に増しているように思う。全体を通して、そういう問題につきそれなりに深い所まで掘り下げているにも関わらず、大部分のテクストは極めて読みやすいものなので、ある種入門書的な役割も果たし得ると思う。ご一読の程。(2000/06/08)


山口昌男著『文化と両義性』岩波現代芸文庫、2000.5(1975)

かなり前に読んだのだけれど、改めて読むと「おのれ」の成長をありありと実感出来る。今回の再読で印象深かったのは、本書は実のところ帯にあるような「文化記号論」というジャンルに留まらず、現象学や現象学的社会学にまで踏み込んだものであった、という事。象徴人類学の御三家であるV.ターナー、E.リーチ、M.ダグラスのみならず、A.シュッツ、P.バーガー、T.ルックマン(本書では「ラックマン」と表記されている。)への言及が殊の外多い事を興味深く読んだ。実はこの本、文化記号論と現象学的社会学の接合への試みとして、極めて画期的なものだったのでは、などと考えている次第である。こういう作業は案外なされて来なかったように思う。強いて挙げれば本書で全く言及されていないC.ギアツ及びP.ブルデューの仕事であろうか?(2000/06/16)


内田武志・宮本常一編訳『菅江真澄遊覧記 2』平凡社ライブラリー、2000.5
 


内田武志・宮本常一編訳『菅江真澄遊覧記 3』平凡社ライブラリー、2000.6
 


内田武志・宮本常一編訳『菅江真澄遊覧記 4』平凡社ライブラリー、2000.7
 


内田武志・宮本常一編訳『菅江真澄遊覧記 5』平凡社ライブラリー、2000.8
 

Mircea Eliade著 島田裕巳訳『世界宗教史 3 ゴータマ・ブッダからキリスト教の興隆まで(上)』ちくま学芸文庫、2000.5
 

Mircea Eliade著 柴田史子訳『世界宗教史 4 ゴータマ・ブッダからキリスト教の興隆まで(下)』ちくま学芸文庫、2000.6
 

Mircea Eliade著 鶴岡賀雄訳『世界宗教史 5 ムハンマドから宗教改革の時代まで(上)』ちくま学芸文庫、2000.7
 

Mircea Eliade著 鶴岡賀雄訳『世界宗教史 6 ムハンマドから宗教改革の時代まで(下)』ちくま学芸文庫、2000.8
 

Mircea Eliade著 奥山倫明・木塚隆志・深澤英隆訳『世界宗教史 7 諸世界の邂逅から現代まで(上)』ちくま学芸文庫、2000.9

以上、例によって紹介のみ。(2000/06/16。07/22に追加。09/16)

と学会著『トンデモ超常現象99の真相』宝島社文庫、2000.5

「トンデモ本」シリーズ2冊の続編的な位置付けを持つ本書は、UFOから大予言、超能力まで、所謂超常現象ネタを徹底批判、というか笑い飛ばす、という内容。電車の中で読むのに丁度良いのだが、可成り笑えるので困ってしまった。私などは笑って読んで終わりなんだけど、『神々の指紋』だの『百匹目の猿』だの青山圭秀の一連の著作などに書かれた事を真剣に受け取ってしまった方々はこういうのを読んで自分の人の良さを反省した方が良いかも知れない。ああ、何て啓蒙的な文章。(2000/06/24)

Theodor Wiesengrund Adorno著 高辻和義・渡辺健訳『音楽社会学序説』平凡社ライブラリー、1999.6(1962)

Theodor Wiesengrund Adorno著 『不協和音―管理社会における音楽―』平凡社ライブラリー、1998.2(1963の第三版より)

T.W.アドルノの音楽社会学関連書の邦訳待望の文庫化である。どちらも律儀に全部読んでしまったのだが(笑)、私の研究には全く使えない。アドルノが問題にしているのは、欧米という極めて限定された地域の、それも極めて限定された時期、つまりは近代の、極めて限定された音楽であるからだ。それは兎も角、読んでいてイライラしてしまったのだけれど、アドルノ的には(というよりはギリシャ哲学以来の美学における伝統的な考え方だよ、これは。)「理想の音楽」乃至は「音楽の本質」のようなものがこの世ないしどこかしらには存在しているらしく、それを体現していない音楽はクズだ、という事らしい。はっきり言って、こういう人には社会学なんてものは出来はしないとさえ思うのだが…。別の仕事をすべきだったのかな、などと言ってももう死んでるけどな。まあ、「クズ音楽」批判の文脈で読むよりは、そういうものを生じさせ受容している社会の批判と読むのが正しいのかも知れない。それでも納得はいかないけどね。ナチズムをリアルタイムで経験した事のない私がこんな事を言っても仕方ないのかも知れないが…。(2000/07/02)

Georges Balandier著 渡辺公三訳『舞台の上の権力―政治のドラマトゥルギー―』ちくま学芸文庫、2000.7(1980)

極めて入手困難であった同書の文庫化は、こういうテーマを追求している私にとっては誠にありがたい。<政治の演劇性>、<妖術>、<道化>、<メディアと政治の関係>を扱った4章からなる本書は、政治人類学の古典と見なされるべきものであろう。機能主義も、構造主義も、<演劇性>なる概念で乗り越えようとする著者の研究スタイルは、今日においてもその輝きを失ってはいない。山口昌男との共通項が極めて顕著な事も述べておきたい。尚、残念なのは、原書にはあるはずの文献注が完全にカットされている点。基本的に厖大な量の民族誌からの引用によって成り立っている書物なのに、これでは何の意味もない。訳者、編者は猛省して頂きたく思う。(2000/08/01)

Karl Kerenyi著 高橋英夫訳『神話と古代宗教』ちくま学芸文庫、2000.9(1940→1963)

有名な本なので説明は不要だろう。危うく古本屋さんで買いかけたのだが、タイミング良く文庫化された。ちなみに読んでいる暇はありません。(2000/09/16)