川上弘美著『神様』中公文庫、2001.10(1998)
本年6月刊行の長編小説『センセイの鞄』(平凡社、2001)が絶賛を受けた川上弘美による、1994年のデビュー作「神様」を含む連作短編集。芥川賞受賞作「蛇を踏む」を含む3本の短編からなる『蛇を踏む』(文春文庫、1999(1996))と同様に、本作においてこの著者は、動物と人間、あるいは人外のもの達(人魚・河童・幽霊その他)と人間が、特にコミュニケーション上の支障をきたすことなく交流しつつ、織り成す夢幻の世界を(宮沢賢治みたいだ、と一応申し上げておく。)、分かりやすいけれど極めて個性ある上品な文体で書き綴っている。なお、この傑作が紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞に輝いたことも記しておこう。(2001/12/06)
Georges Dumezil著 丸山静・前田耕作編『デュメジル・コレクション 3』ちくま学芸文庫、2001.09
20世紀最大の神話学者の一人、G.Dumezil(例によって、eは右上がりアクサン付き)の、本邦初訳シリーズ第3弾である。『ローマの誕生』(川野信夫・神野公男・山根重男訳、原著は1944年刊行)及び『大天使の誕生』(田中昌司・前田龍彦訳、同じく1945年刊行)の2篇を収録しているのだが、相変わらず読んでいる時間が無いので、例によって、紹介のみ。
Georges Dumezil著 丸山静・前田耕作編『デュメジル・コレクション 4』ちくま学芸文庫、2001.11
20世紀最大の神話学者の一人、G.Dumezil(例によって、eは右上がりアクサン付き)の、本邦初訳シリーズ第4弾である。これをもって同シリーズは完結を迎えることとなった。それはともかくとして、本書には『神話から物語へ』(高橋秀雄・伊藤忠夫訳、原著は1953年刊行)及び『戦士の幸と不幸』(高橋秀雄・伊藤忠夫訳、同じく1969年刊行)の2篇を収録しているのだが、相変わらず読んでいる時間が無いので、例によって、紹介のみ。とは言え、『神話から物語へ』については、タイトルからして私の研究領域にモロに被さる内容なので、とっとと目を通さねばならないことも付け加えておきたい。(2001/12/18)
今福龍太著『荒野のロマネスク』岩波現代文庫、2001.08
原著は1989年に刊行。メキシコ滞在などにより南北アメリカ大陸事情に通じた人類学者・今福龍太が、ポスト・コロニアリズムという言葉が定着する以前に行なった、民族誌と詩・物語の間を自らが縦横に行き交いながら、それらについて再考を促す重要な論考群である。今日流行しているかに見える、「メタ人類学」「メタ民俗学」の嚆矢でありつつ、その極めて深いところまで掘り下げられた思考は、未だに新鮮さを失ってはいないと思う。私自身も、全然知らなかったことが多々書かれているために、大いに参考になった次第。(2001/12/31)
市川浩著 中村雄二郎編『身体論集成』岩波現代文庫、2001.10
本書は、基本的にHenri Bergsonの流れを汲む身体論で著名な哲学者、市川浩の重要な論文を、新たに編集しなおしたものである。「身分け構造」、「心身錯綜体」(これはP.Valeryの造語。例によってeは右上がりアクサン付。)等々といったタームを駆使した、西洋近代において、形而上学批判という形で生じてきた哲学的思潮である生の哲学、あるいは身体の現象学を取り込みつつ形成された市川身体論をおさらいするには、かっこうの書物であると思う。以上簡単ながら。(2002/01/11)
田中克彦著『言語からみた民族と国家』岩波現代文庫、2001.09
1978年に刊行され長らく重版を重ねた後、同時代ライブラリに収録されていた名著の新装版復刊。読んだ記憶がないのでとっとと購入して読了したが、確かに今日において最も重要とさえ言える問題をいち早く真っ向から論じていた大変重みのある書物である。特に、「柳田国男と言語学」という論文などは、私にとっても誠に啓発的なもので、これだけでも読む価値があると思う次第。やや気になったのは第3章から6章まで、本書の半分以上がソヴィエト連邦における言語と民族性に関する議論で占められていて、更にはこれらの各章の中身が大いに重複している点。正直言ってどれか1章を読めば十分という気がするので、後学のためここに記しておく。(2002/01/11)
高橋源一郎著『あ・だ・る・と』集英社文庫、2002.01(1999)
この人の頭の中はここ数年来ずっとこうなんだろう、ということを如実に物語るかのような「AV」(アダルト・ヴィデオです。)をテーマとした連作中編集。「エピローグ」に書かれた、「日本アダルトビデオの細いペニスがどろどろのアジアに突き刺さる(ここまで太字:平山注)のを目を細めて眺め、ああまるで拷問(ルビ:ごうもん)みたいだとピン(主人公:平山注)は思い…」(p.274)などというところに作者のそれこそ「思い」が現れていると思うのだけれど、それは要するに「主婦」だの「女子高生」だのといった人々がが、なんともアッケラカンとAVに出演し、「援助交際」に励むのは、貧困が消滅したかに見える日本という社会の文脈ではそれなりに理解もできる。でも、貧困がさっぱり解消されていない第三世界についてはちょっと待ってよ、というようなことである。まあ、この著者はそれほどあからさまにヒューマニスティックな言い方ではなく、もっと諦念に満ちた述べ方をしているのだけれど、それほど遠くはないでしょう。なお、そういう政治的な事柄はおくとしても、冒頭を飾る第1章「人妻図鑑」においてそれこそ「主婦」のアッケラカンとしたAV出演を扱ったこの作品集が、1999年の初出時には「主婦と生活社」から刊行されており、そのことが276頁にしっかりと表示されているのが、大変趣き深いのであった。(2002/01/22)
島田荘司著『御手洗潔のメロディ』講談社文庫、2002.01(1998)
本欄でもお馴染みの日本を代表するミステリ作家・島田荘司による、「御手洗潔」もの短編4本からなる作品集。各作品の初出は全て1990年代で、要するにこの著者が怒濤のごとく大長編を上梓していた時期とほぼ重なっている。内容も極めて充実したもので、「IgE」および「ボストン幽霊絵画事件」は良く出来た本格ミステリだし、「SIVAD SELIM」および「さらば遠い輝き」はそれぞれ御手洗および「レオナ松崎」(この人についてはどこかのサイトに出ているはずだからそちらを調べてください。)のこれまで語られなかった一面を示す異色作、といった具合にサーヴィス満点。「御手洗」通もそうではない人も、とくとお楽しみください、ということで。(2002/01/22)