夢枕獏著『陰陽師 生成り姫(なまなりひめ)』文春文庫、2003.07(2000)
この秋に映画第2弾が公開される相変わらずの人気シリーズである『陰陽師』初の長編。朝日新聞に連載されていたものが単行本化されていたのだけれど、その文庫化。既に短編として発表された「鉄輪(かなわ)」の長編化で、嫉妬に狂い鬼と化しつつあるとある姫君を、かねてより彼女に恋いこがれてきた源博雅とその友人にして主人公である陰陽師・安倍晴明が何とか救おうとするのだが、その努力にも関わらずやがて迎えることになる破局までを描く。シリーズものとは言え、ここから読み始めても大丈夫なように、陰陽道や安倍晴明なる人物について一から説明し直し、更にはこれまで余り詳しく記述されてこなかった宮廷人・源博雅についても、古典を引用しつつその人物像をくっきりと描いている。使い方次第で毒にも薬にもなり得る陰陽道というものが持つ二面性をきっちりと押さえつつ、あるいはまた入念に書き込まれた人物造形、相変わらずの誠に巧みなプロット構築などなど実に見所の多いこの作品は、色々な意味でこのシリーズ中最高傑作であると思う次第。取り敢えず、ご一読の程。(2003/09/09)
森博嗣著『夢・出会い・魔性 You May Die in My Show』講談社文庫、2003.07(2000)
自称科学者の瀬在丸紅子を主人公とする長編本格ミステリのシリーズ第4弾である。舞台は珍しく東京。渋谷にある某TV局で起きた「密室」みたいな状況での「殺人」みたいな事件と、たまたまとある番組収録のため同局に居合わせ、「偶然」にもこの事件に遭遇した紅子その他のいつもの面々その他が引き起こす様々な出来事を描く。トリックもまずまずだし、プロットというか語り口も大変良く出来ている、ということで大いに楽しめた次第。さてさて、第4弾にしてようやく、「そういえばこのシリーズ、携帯電話やパーソナル・コンピュータといった今日における生活必需品が登場しないな…」などとその時代背景について考えてしまったのだが、これについては近著を読むことによってかなりはっきりしたのであった。しかし、そうするとこの時代、「女性のタクシー・ドライヴァってそんなに普通な存在だったろうか」、などという疑問も湧くことしきりではあるのだが…。ところで、この問題とも関連するのだが、本作で森氏は、これまでの作品に増してはっきりと、「トランス・ジェンダー」を一つの主題として提示している。「森ミステリにおける性表象」なんていうタイトルの卒論もひょっとしてありかも知れない、などと詰まらないことを考えてしまった。森氏は、この辺にかなりこだわって物語を創ってきている訳だけれど、それは何故なんだろう、と。本人に訊くのが一番早いのだが、それも含めて、これは一つのテーマになり得るだろう。誰かチャレンジしてみて下さい。ということで。(2003/09/10)
山口雅也著『マニアックス』講談社文庫、2003.05(1998)
私見では本格ならぬ変格ミステリの「巨匠」である山口雅也による、ややホラー仕立てのミステリ7編を含む短篇集。タイトルの通り、何かを蒐集(しゅうしゅう)する、あるいは何事かに物凄く拘(こだわ)るという趣味ないし嗜好を持つ人々を中心とする、奇妙奇天烈な事件群を描く。この人ならではの、作品世界構築能力は、短編という場所においても遺憾なく発揮されていて、個々の作品は、実に実に、見事な出来映えとなっている。以上、ごく手短に終える。(2003/09/11)
山田正紀著『蜃気楼・13の殺人』光文社文庫、2002.10(1990)
天才作家・山田正紀が、「何気なく」という感じで執筆し、1990年にカッパ・ノベルスで刊行されその後絶版となっていた本格ミステリ長編の文庫化。舞台は信州の過疎化と周辺ではリゾート開発が進む山間村。村おこしと銘打たれたマラソン大会で、あたかも密室状況のようなコースから13人の参加者が消失、その後一名が死体で発見される。どうやらこの事件、村に古来から伝わるとされる古文書を見立てたもののようなのだが、その真相はいかに、というお話。バブル末期のかなり強引とも言えるリゾート開発と村の存亡をかけた住民達の動きなどを話の根幹に据えた、社会派ミステリとして読むことが出来る内容で、思わずうなった次第。なお、今回の文庫版には、後書によると今後彼を中心とするミステリ作品が書かれることになるらしい探偵・風水林太郎をちょこちょこと登場させ、かなり重要な役目さえ与えるというサーヴィス振りを発揮している。是非とも早急に刊行して頂きたいものだ。以上。(2003/09/14)
Ernst H. Kantorowicz著 小林公訳『王の二つの身体(上)(下) ―中世政治神学研究』ちくま学芸文庫、2003.05(1957→1992)
20世紀半ばに書かれ、その後各方面に多大な影響を及ぼしてきた余りにも有名な大著の文庫化。ユダヤ系歴史学者である著者は、主として中世のイングランドとフランス周辺で擬制的な形で産み出された、その当時から(下手をすると現在に至るまでの、だが…)ヨーロッパ各国における王権を支え、ひいてはやがて近代国家成立への契機ないし思想的・制度的基盤ともなるような、王が持つ死すべき生身の体である「自然的身体」とは別の、国家という集団の象徴たる不死にして永続する「政治的身体」が、言説や表象上分離・成立していくプロセスを、神学問答、裁判記録を含む法学論、文学作品等々の文献から解明していく。その後あたかも自明なものであるかのように捉えられていく王政が、その実誰かがはっきりと自覚して作り上げたというわけでもなく、それに関わる様々な人達の思惑や言説によって次第に明瞭な形をとっていく過程を再構成する著者の論証力は、誠に類い希なものである。王権論、法制史、政治史などをやっている人は当然読んでいてしかるべき書物であることを付言しておこう。以上。(2003/09/26)
桐野夏生著『ローズガーデン』講談社文庫、2003.06(2000)
直木賞作家である桐野夏生(きりの・なつお)による、村野ミロもの第3弾を文庫化したものである。今回は短編集。表題作「ローズガーデン」他、「漂う魂」、「独りにしないで」、「愛のトンネル」の計4篇を収録。ミロと義父・善三、亡き夫・河合博夫との隠微な関係を描いた表題作をはじめ、最初の2作品でちらちらと見えていたものがより明瞭な形で描かれている。単行本刊行時の書き下ろし作である表題作については、かなり文学的な内容の作品で、著者が立つ直木賞受賞後のスタンス、とでもいうようなものが垣間見える、と思う。昨年出た『ダーク』(2002)がとんでもないことになっているようだが、いずれ紹介したい。以上。(2003/10/01)
首藤瓜於著『脳男』講談社文庫、2003.09(2000)
首藤瓜於(しゅどう・うりお)による第46回江戸川乱歩賞受賞作の文庫版である。中部地方にある架空の都市・愛宕(おたぎ)市で、連続爆破事件が発生。容疑者として緑川というサラリーマンが浮かび上がり、刑事・茶屋(ちゃや)がアジトに踏み込むと、そこには緑川と格闘している男がいた。鈴木一郎と名乗るその男は供述内容から共犯と見なされ、医師・鷲谷真梨子による精神鑑定を受けることになるのだが…、というお話。一応サイコ・サスペンスくらいの位置づけになると思うのだが、ミステリアスな展開と、脳男=鈴木一郎の人物造形が実に素晴らしい。続編が書かれそうな気がするので、期待しておこうと思う。以上。(2003/10/10)
藤木稟著『イツロベ』講談社文庫、2002.07(1999)
この人の作品を読むのは初めてだったのだが、こりゃまた大変な才能の発露を見逃していたな、という反省しきり。舞台はアフリカの小国と東京。ヴォランティアとしてその小国に入り込んだ産婦人科医が、現地での誠に奇妙な体験を経て帰国。その後も現実がいびつな形で歪んでいき、やがては破局を迎えることになり、というお話。解説にもあるように、まさにP.K.Dick的現実喪失感覚を持つこの小説は、ミステリとも伝奇小説ともホラーとしても読める実に興味深いもの。確かに、この一冊だけでは「何が言いたいのか分からない」という批判を受けそうなこの作品なのだけれど、要するに3部作として完結するとのこと。第2部は既に刊行されているそうなのだが、早いうちに取り寄せたいと思う。以上。(2003/10/21)