山田宏一著『[増補]トリュフォー,ある映画的人生』平凡社ライブラリー、2002.01(1991→1994)
第1回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した余りにも有名な本の文庫化。中身は私も大概の作品を観ているヌーヴェル・ヴァーグの巨匠映画監督、Francois Truffaut(最初のcは下にニョロ付き)の評伝。その少年時代から、『大人は判ってくれない』でデビュウするまでを描くのがこの作品なのだが、最近、山田宏一氏は『フランソワ・トリュフォー映画読本』(平凡社、2003.05)を公刊し、そこでデビュウ後についての重厚な記述を行ない、とうとう氏のトゥリュフォー研究を完結(なのだろうか?)させたようだ。そちらも読まないといけないのだが、時間がない。ということで。(2003/06/25)
Isaac Asimov著 嶋田洋一他訳『ゴールド ―黄金―』ハヤカワ文庫、2001.02(1995)
20世紀最大のSF作家、Isaac Asimov最後の作品集。前半は晩年に書かれた短編小説群を、後半は主としてSFに関するエッセイを多数収める。表題作「ゴールド」はヒューゴー賞を受賞した作品。映像化が不可能と思われる作品を映像化する作業を行なう演出家の苦心惨憺を描くこの作品からは、そういう作業を文章化すること自体の苦労がしのばれた。また、後半のエッセイ群を読む限りでは、どうやらこの大作家が初期の代表作「夜来たる」にしかオリジナリティを認めていないらしいこと、しかもそれさえもがある詩人の言葉からインスピレイションを得たものに過ぎないことなどが明かされていて、なんて謙虚な、と思いつつも、オリジナルなものを創り出すのは天才でさえ困難なのだな、などと感慨に耽ったのであった。各文章が短いので、寝る前に、少しずつ読むのには良い本です。以上。(2003/06/25)
Kurt Vonnegut著 浅倉久志訳『タイムクエイク』ハヤカワ文庫、2003.02(1997)
ドイツ系アメリカ人SF作家Kurt Vonnegutの長編最新作である。「2001年2月13日に宇宙がしゃっくりをおこし、時間は10年前の1991年2月17日に遡行。人々は<自動的>に同じ10年間を過ごすことになるのだが、再び2001年2月13日が訪れた時、大混乱が…。」というのが基本プロットの小説。しかし、この作家のことだから一筋縄ではいかない。1996年にこの小説自体を<自動的>に筆記している作家Vonnegutや、その分身である不遇のSF作家Kilgore Troutも登場し、彼等と関係しつつも実際問題どうでも良いようなエピソードが矢継ぎ早に繰り出される、という面白いと感じられる人には面白いだろうような物凄い構成となっている。そういうことよりも何よりも、本書が実に数多くの含蓄に富む台詞、テクストの断片その他諸々を含んでいて、ある意味年老いたと自認する一老SF作家による人生の指南書みたいな感じに読めてしまうところが面白いかと思う。ただし、恐らくはこの本、この作家が以前に書いた他の作品を何冊か読んでからでないと全く面白くないだろうと思うし、全く理解できないとさえ思われるので、その点ご注意の程。(2003/07/03)
有栖川有栖著『山伏地蔵坊の放浪』創元推理文庫、2002.07(1996)
端正な作風で知られるミステリ作家・有栖川有栖が1990年代に書いた、山伏=修験者である「地蔵坊」なる人物を事件の語り手にして同時に謎解き役とする短編小説群7編を収める作品集。「法螺(ほら)を吹く」という言葉が山伏が持つ法螺貝から来ていることは周知だと思うけれど、それを踏まえつつ、それぞれの作品で語られる法螺なんだかホントの話なんだか良く分からないことになっている地蔵坊の放浪譚は、実に良くできた本格ミステリになっていて、誠に楽しいもの。是非ともご賞味の程。さて、山伏を主人公にしたのは、当時から作者の知己であって、本書の解説を書いてもいる東京創元社の戸川安宣編集長が元々山伏であったことから、と述懐されているのだが、ふむふむ、この名前、前々から気になっていたのだが民俗学者にして同時に山伏でもある戸川安章氏に余りにも似ている。年齢を考えると、安章氏の恐らくは息子さんだと思うのだけれど(孫ってことはないと思うが…。)、いかがなんでしょう?って思いつついろいろ調べていたら、この安宣氏、2001年の段階においては株式会社・東京創元社の社長さんになっているではないか…。以上、私の人生において見極めるべき謎が更にまた増えた次第であった。ということで。(2003/07/10)
森博嗣著『女王の百年密室 GOD SAVE THE QUEEN』幻冬舎文庫、2003.06(2000)
22世紀初頭の世界を背景とした、SF的要素満載の長編ミステリ。長い前置き的な記述の後にようやくタイトルにある「密室」を舞台とした殺人が行なわれるのだが、実際にはそれは密室とは呼び得ないものだということはその辺りの記述を読めば一目瞭然で、話の中心は英語タイトルにある‘GOD’なり「神」なりの正体やいかに、という辺りにある。そうそう、この物語の舞台は約100年前に創られた人工的な街=ルナティック・シティなのだけれど、人口約300人ほどが「住む」と言われるこの街には女王が君臨し、かといって圧制を引くわけでもなく見事な秩序が保たれれている。それを保証する機構の中枢に割合早い時期にその存在が明らかになる「人工冬眠」装置や、最後の方でようやくその正体が明らかとなる「神」がいるわけで、これら一切を含むシステムの成立過程ないし維持手法にまつわる謎解きこそが、本書の要なのである。麻耶雄嵩の『鴉』(幻冬舎ノベルス、1999)に幾らか似ているのだけれど、実に楽しめた次第。
なお、本書での謎解き役は「エンジニアリング・ライタ」のサエバ・ミチルと、そのパートナにしてアンドロイドのロイディ。この二人なり一人と一体の関係についても実はものすごい裏があるのだけれど、それは読んでのお楽しみとして、この二人組の元ネタはIsaac Asimovが書いていた『鋼鉄都市』とそれに続く「探偵Elijah BaileyとロボットDaneel Olivaw」ものなのは間違いのないところ。radio drama化作業を行なった富永智紀の「解説」によると本書には続編が書かれる予定があるそうなのだが、本家本元に負けないシリーズを、是非とも創っていただきたいと、切に願う。
最後に、本書にしても、少し前に文庫化された『そして二人だけになった Until Death Do Us Part』(新潮文庫、2002.12(1999))にしても、森氏の最も得意とするのはデビュウ作『すべてがFになる』(講談社ノベルス、1996)のような、人工的な建造物内(人工的じゃない建造物というのも想像するのが難しいのですが…。シロアリの巣とかがそうですな。)における犯罪にまつわる物語記述、ということになってしまうのだが、これは同氏の専門がその辺にあることから来る「強み」なのであると勝手に想像する。以上。(2003/07/21)