Walter Burkert著、松浦俊輔訳『人はなぜ神を創りだすのか』青土社、1998.12(1996)

原題はCreation of the Sacred:Tracks of Biology in Early Religions。古代宗教学者である著者が1989年に行ったギフォード講演に基づいたテクストの邦訳である。動物行動学ないし社会生物学、その中でも特にR.Dawkinsの提唱による「利己的な遺伝子」理論を主調低音にしつつ、タイトルから読み取れるような宗教の起源についての論述を行おう、という意図は稀薄であり、寧ろ宗教に見られる生物学的な特徴を網羅的に記述している、とでも言った方が良いだろう。例を挙げると、多くの生物が行う餌を探す行動が、神話や昔話に頻繁に見られる探求譚と相同性を持っている、とか、トカゲの自己保身の為の尻尾切り戦術は、人が結果的には自己保身に繋がると考えて良い身体の一部を切除するという宗教的行為に何らかの関わりがある、などといった仮説を次々に提示する。その多くは確かに、「宗教は人間がより良い生活を全うするのに資する」式の機能主義的なものであり、今更何を、という気もしないではないのだが、博識に支えられた著者の論の展開は、竹内久美子の一連の疑似社会生物学ないし動物行動学的トンデモ本などとは大違いで、現段階で確実に論証出来ることと、出来ないことをきっちりと分離しているという点で評価出来るものだし、宗教研究に携わる者は、本書を一つの問題提起として省みる必要があるように思う。B.MalinowskiやA.R.Radcliffe-Brownの時代と現在では、生物学的な知識の蓄積は天と地ほどの違いがあるのだから、「社会有機体説」のようなものでさえ「再考」の余地があるだろう。難を言えば、せっかく社会生物学を持ち出しているのに、この著者は例えば「利己的な遺伝子」が宗教とどう関わるかについて、もう一つ深い洞察に達していないように見える。そもそも、「利己的な遺伝子」理論とこの著者の論述はうまく咬み合っておらず、別にそんなものを持ち出さなくても良かったのでは、とすら感じさせる。流行に流された、という見方も出来ないではない。更に言えば、Dawkinsは1982年の段階で既に(日高敏隆他訳『延長された表現型』紀伊國屋書店、1987(1982))、社会・文化レベルにおいて恰も遺伝子的な振る舞いを見せる「利己的ミーム」なる概念を打ち出しているのにも関わらず、参考文献には一応入れているものの、多分同書を読んでいないが為に、宗教現象を説明するには遺伝子などより遙かに適切なこの概念に全く言及していない。もう一つ言うと、英語圏の人ではないのでやむを得ないかも知れないけれど、やたらと孫引き、曾孫引きが目についた(特に人類学・社会学関係の著作)。これって、スイスでは、普通の事なのだろうか?日本国内では一応「恥ずかしい事」になっていると思うのだけれど…。えっ、貴方もしてるって?(2000/02/24)