清涼院流水著『カーニバル・デイ−新人類の記念日−』講談社ノベルス、1999.9.9

「7の月」には出版予定、とは前作に記されていたが、結局2ヶ月の遅れ。しかし、怪我の功名とも言うべきか、何ともわざとらしく1999年9月9日にようやく刊行された。都合三冊からなる「カーニバル」シリーズもとうとう完結。全部で4,200枚に到達したとのことで、世界最長のミステリー作品、ということになるのかも知れない。最終巻となる本巻は1,000ページを超えているけれど、これは講談社ノベルスの限界ぎりぎりであるらしい。
ここまで4−5行も費やして、何にも中身に触れていない。というのも、触れる気にならない、というのが正直なところなのだ。かなり期待していたのにも関わらず、終わってみれば、この作品、単にありとあらゆる陰謀史観ネタ、オカルト・ネタ、世界の七不思議ネタ、世界の名所旧跡ネタを盛り込んだだけのものに過ぎない。記述に重複が多いし、これではあんまりではないかという解決篇も頂けない。メタ・ミステリなのだから何でも許される、というものでもなかろうと思う。それではこれはミステリではなくSFなのか、というと実際問題SFとしてもさほど良い出来とは言えない。今さら「イヴ仮説」でもないのでは?RISEにしろ、「悪連」にしろ、秘密結社としての出来が余りにも悪過ぎる。お子様向け特撮ヒーローものの悪しきパロディとしか見えない。パロディをやるのは大いに結構だけれど、ひねりがないといけない。何だか、そのまま引っ張ってきているだけなのだ。
空気のような小説だけれど(清涼院に言わせれば「大説」ということになるのだろうか?私見では「小説」にすらなっていないように思われるのだが…。)、唯一、頭に残ったのは「読者論」の部分。日本のミステリ界では竹本健治が先鞭を付けたものだけれど、ただ、本書の読者論はちと「選民思想」的過ぎないだろうか。本書を含めて本を読まない人々は本書に書かれていることを知ることはないので、苦情が来ないことを見越しての記述なのだろうけれど、これは遊びとしても度が過ぎますよ。勿論、作中人物の発言が作者の思考をそのまま表明しているというわけでは必ずしもないのだけれど、これはどう見てもそう読めてしまった。
なお、最後になるが、第1巻『カーニバル・イヴ』では「九十九十九(つくも・じゅうく)」は2000年12月31日に殺害される事になっているのだけれど、本書では1997年2月7日に死んでしまう。どうなってんだろう。しおりに刻まれた文字「......to be continued?」が意味するのは?また、メタ・レヴェルで逃げるのか?あるいは別の仕掛けがどこかに隠されているのか?いずれにせよ、「何でもあり」はそろそろ勘弁して欲しいというのが、率直な感想である。(1999/10/28)