J.G.Ballard著 山田和子訳『コカイン・ナイト』新潮社、2001.12(1996)
ニュー・ウェーヴSFの旗手、あるいはスペキュレイティヴ(思弁的)・ノヴェルの旗手などと称されてきたJ.G.Ballardの、訳者によると「病理社会の心理学≠テーマとする三部作」(機種依存文字が入っているかも…。)の第1作にあたる長編小説。
この人の大方の作品がそうであったようにスペインのコスタ・デル・ソルというほんの小さな場所が舞台となるこの小説、こちらは余り「そう」ではなかったと思うのだけれど一応本格ミステリの形式をとる。つまり、以下簡単に物語の概要を示すならば、コスタ・デル・ソルの某所にある大邸宅がどうやら放火により焼失し5人が死亡。フランクという英国人が逮捕され犯行を認めるのだが、その後彼の無実を信じる兄リチャードがスペインに入国。やがて放火事件の裏に隠された驚くべき真実を探り出すに至る、というもの。
さて、この作品全体を貫く最大のテーマは、「犯罪行為が持つ社会の覚醒作用」とでもいうべきもの。ふむふむ、これはG.Batailleの言っていたことを敷衍したものかな、などと思いつつ読んでいたのだが、それは間違いないのだろう。ただ、日本語に堪能な私は、村上龍が書いた『昭和歌謡大全集』や『共生虫』といった小説を読んでしまっていて、「何やら同じようなテーマが扱われているな」、と感じてしまうのだし、あるいはまた、Ballardが書いた本作品が基本的に「真犯人」というものを特定しないいわば構造論的な解決図式を採用していることに、例えば京極夏彦による「京極堂」シリーズとの並行関係をみてしまうことになる。
まあ、だからといってこの作品が例えば私のような読者にとって詰まらないものであることには決してならない。記述がまどろっこしいのはいつものことながら、ディテイルに徹底的なまでにこだわり、そうすることによって実に刺激的なヴィジョンを提示するこの人の作品世界構築能力にはやはり圧倒される。第2、3弾も初期の「破滅三部作」同様にこの作品と並行関係を持つ似たようなものになるのではないかと早くも邪推してしまうのだが、それで良いのだ。大事なのは、ディテイルなのだから。
そうそう、前々から気持ちの悪い思いをしてきた言葉が「コカイン」。この単語、もとの綴りはcocaineなわけだけれど、英語圏では一般には「コーケイン」と発音されている。映画なんかを観ていても、大抵そうである。ちなみに手許の辞書によると、「コウカイーン」という発音もあるようだが、基本的に専門家が使うもののようだ。どちらにしても、「コカイン・ナイト」はないでしょう、ということ。もっと言えば原題はCocaine Nightsと複数形になっているわけだしね。まあ、これは翻訳者の責任ではなく、日本社会全体の問題なのである。以上。(2003/06/25)