島田雅彦著『彗星の住人』新潮社、2000.11.25
「無限カノン1」と題された連作小説の第1弾。尻切れトンボな終わりかたといい、その尻切れトンボさが「蝶々さん」と「ピンカートン」から数えて4代目に当たる西暦2015年の時点で消息不明になっている「カヲル」という名の男に関する物語の欠如によるものであるところなど、本作品は基本的に『源氏物語』のパロディである。このことは、2代目「JB」、3代目「蔵人」、そしてカヲルのそれぞれがマザー・コンプレックスであるところにも現れている。

これまでに書かれてきた偉大なる日本文学作品群のパロディを目指すかの如き本作品が視野に入れているのは、『源氏』のみならず、これもまた『源氏』のパロディであった三島由紀夫の『豊饒の海』4部作であったり、『源氏』の美しすぎる現代語訳を行なった谷崎潤一郎の作品であったりする。

三島作品への歩み寄りは極めて露骨で、冒頭に『春の雪』の著名な一節が引用され、カヲルは『春の雪』における松枝清顕の如く、後に皇室入りを果たす女性「麻川不二子」(モデルは明らかに小和田雅子・現皇太子妃である。)に懸想する。尚、発行日が11月25日になっているのも、明らかに意図的である。

また、谷崎作品の一部には女性の「脚」に対する偏愛が如実に現れているのだけれど、島田によるこの小説ではカヲルの養子先の兄「マモル」が「巨乳フェチ」である、という形に変奏される。

「蝶々さん」や「ピンカートン」、或いは「マッカーサー元帥」の「愛人」である多くの「O・Y二郎」作品に主演した女優「松原妙子」(モデルは明らかに原節子である。)、麻川不二子、元関取の暴力団組長・「花田貴志」(これは笑える。)といった人々の織りなす虚々実々たる挿話により、島田雅彦は歴史とは何か、国家とは何か、物語とは何か、といった事柄を読者に思考するようにし向けているのだな、という風に読んだ。付け加えるなら、この物語が、西暦2015年にカヲルの娘「椿文緒」の擬制的オバである盲目の女性「アンジュ」によって語られる、という点は誠に興味深い。さよう、ここには、沖縄における女性神役のオバ−メイ継承と、東北の盲巫女達の師子相承による口頭伝承が見事に合体させられているのである。

単なる「気付いた点」の列挙となってしまったが、取り敢えずは、この位にしたい。何しろ冒頭でも述べた通り恐らく意図的に尻切れトンボなこの作品の評価は、恐らく完結篇となるのだろう「無限カノン4」の刊行まで控えるしかないのだから。(2001/03/17)