宮部みゆき著『クロス・ファイア』カッパ・ノベルス、1998.10
杜撰な作品である。自腹を切っていないのが唯一の救い。何しろ、不自然な点が多過ぎるのである。列記しよう。読んでいない人には分からないことが多いかも知れないが、本書の記述の「いい加減さ」だけは分かるはずだ。@上巻286頁に「3年前」とあるのは明らかに勘違い。4年前が正しい。A上巻282頁、「数日前にかかってきた、あの電話の声」もおかしい。別の人物がかけてきている。B日比谷公園の事件についてその1。あの辺にはガソリンスタンドなんてない。これは元になった「燔祭」(『鳩笛草』カッパ・ノベルス、1995に所収)という作品の中で起きた事件なのだけれど、さすがに本作品では当のガソリンスタンドが何処にあるのかを明記せざるを得なくなって、「東銀座の」ということにしているけれど、午後2時のあの辺の道路は結構込んでいて、日比谷から東銀座まで行くには10分位はかかるんじゃなかろうか。そんなことしてたら焼け死んじゃうよ。C日比谷の事件についてその2。同事件はマスコミで流されたらしいのだけれど(下巻115頁など参照)、当時既に本庁の放火班に配属されていた石津ちか子がこの事件を知らないはずはなく、田山町の事件が起きた際に荒川河川敷事件と同時に思い起こさないのは明らかに不自然である。下巻になってようやく結び付け出すのだけれど、どう見ても宮部が「あ、そういえば」という感じで書き進めていってとしか考えられない。ついでに上巻の方も直すべきでした。Cインターネットの安易な盛り込みその1。青木淳子がパソコンを持っているかどうかも分からないのに(持っていない可能性の方が高い。)、そんなものを当てにして捜査を進める刑事なんているのだろうか?他にどうしようもないから、とでもいうのだろうか?そもそも淳子云々以前に、多田一樹の婚約者が閲覧してしまう危険性だってある。そこまで考えたんだろうか?Dインターネットの安易な盛り込みその2。恐ろしいことに、捜査にインターネットを使うことに決めた途端に、青木淳子にパソコンを所有させている。推理小説に偶然を多用してはいけない。Eインターネットの安易な盛り込みその3。さらにはちか子にもパソコンを所有させてしまう。あー物凄い。Fインターネットの安易な盛り込みその4。もっと凄いのは、ここまで引っ張っておいて、その後のストーリーにインターネットは何にも介在しない。これは結局、ページ稼ぎってことなのじゃないの。あるいは、宮部自身がインターネットを始めたことが作品に反映してしまった、つまりは、盛り込みたい衝動を抑えきれなかったとかね。しかし、それはプロのやることじゃありませんよ。G牧原刑事は、倉田夫人が漏らした「守護者」(下巻38頁)という言葉から、私刑組織「ガーディアン」の正しい名称を連想し、その後この呼称がちか子との間で用いられることになるのだが、これは余りにも不自然。さらには、下巻271頁でちか子がガーディアンの一員と会話をしているのだけれど、その人物は、ちか子が当の組織を「ガーディアン」と呼んでいることに何の不審も抱いていない。普通だったら、「何で分かったんだ?」位のことは言うよな。Hガーディアンの人達の甘さその1。そのガーディアンの一員その他が、ちか子が伊崎の知人であることを知っているのにも関わらず、捜査に参加させたのも不自然。こんな危険はおかさんでしょう。Iガーディアンの人達の甘さその2。ガーディアンの一員ともあろうものが、現場に痕跡を残す癖があるというのも不自然。ちゃんと教育を受けてるんじゃないの?そもそも、そんな程度の人材を結構危険な場所に配置するだろうか?Jガーディアンの人達の甘さその3。ガーディアンは多田を見張っているのにも関わらず、多田が警察に情報をリークした可能性を全然考えないで、その一員である木戸浩一は淳子と一緒に、淳子と多田の思い出の店「パラレル」に堂々と行っている。これじゃ、捕まって当然だ。Kガーディアンの人達の甘さその4。倉田(夫)は妻の能力を知っていたのに、なんでわざわざ二人っきりになったんだろう。殺されるのは目に見えている。L細かい話だけど、「ヴィジョン」という名の猫がどうなったのかについてフォロウしていない。凄く気になる。M兎に角、全体に「偶然」が多過ぎる。冒頭の事件からしてそうだし(これは発端だから許そう。)、ラストで信恵がタイミング良く現れるのもおかしいし、クライマックスで淳子の死に際にちか子達が満を持して到着する、というのも余りにも作為的である。N一番凄いのを最後に。下巻233頁。「河口湖ナンバー」。「か・わ・ぐ・ち・こ・な・ん・ば・あ」?何じゃそりゃ?唖然。思わず息をのみ、その後、大爆笑。クライマックスだというのに。
他にも、あら探しすれば幾らでもぼろが出るような気がするけれど、面倒なので止めておこう。実は、おかしな点をたくさん探し出した人には何か賞品をくれる、という企画だったりして。わざとやってんのかな。しかし、この人の、ディテイルを省いて、ひたすらプロットのみを綴っていく手法はそれなりに大したものだといつも感心している。プロットだけで1200枚書いてしまうんだからね。これが瀬名秀明だったら、「念力放火能力」が何故可能なのかについて、200枚くらいのそれこそ科学的根拠を書き付けるだろうし、京極夏彦だったらその宗教学的・社会学的・心理学的根拠を延々と書き付けるだろうし、高村薫だったら警察内部の細かい人間関係だのなんだのをきっちり書き込むだろう(宮部のこの本には、警察関係者はほんのわずかしか登場しない。目立った活躍をするのは6人。これは余りにも少ないのではないかな。これだけの事件なんだから。)。宮部の作品は、あっという間に読めてしまうのは嬉しいけれど、後には何も残らない。主題は「超能力者の愛と哀しみ」なのだろうけれど、筒井康隆の「七瀬」シリーズから20年位経っているのに、「何を今更」、という感じもする。誠に不満の残る作品であった。『理由』を読む「理由」も無くなってしまったなあ。(1999/01/27。1/30に若干項目追加。)