Gregory Bateson著 佐藤良明訳『精神の生態学 改訂第2版』新思索社、2000.02(1972+1999)
本書は、20世紀最大の思想家の一人と言って良いだろうGregory Batesonによって書かれた主要論文をまとめるという形で1972年に出版された、これまた20世紀思想史上極めて著名な書物であると言って良いだろう Steps to an Ecology of Mind の、1990年に刊行された全訳合本版第1版に、1999年に本国アメリカ合州国で刊行された際に付け加わったG.BatesonとMargaret Meadの娘であるMary Catherine Batesonによる序文の翻訳が新たに付された全訳改訂第2版である。
生物学者を父として持つ、という環境に育ち、その後ニューギニア、バリ島におけるフィールド・ワークによって人類学者として名を上げた1930年代から、第2次世界大戦以降精神医学や臨床心理学、コミュニケーション論やサイバネティックス等々(まさに、「等々」である。)という20世紀思想の主戦場を遍歴し、それこそ「精神の生態学」を樹立してしまったこの巨人の思考の経緯を知るためには、いやいやそれのみならず20世紀の科学(特に、ハード・サイエンス)とその隣接領域との関係の変遷という思想史上の大水脈について思考するためには、本書を読むことは絶対に欠くことの出来ない作業でさえある。
一読して気付いた点を一つ二つ挙げておくと、やや「トンデモ系」の評論家にして自称「生物学者」であるLyall Watsonなどに比べると、具体的な証拠ないし「情報」と、厳密な科学的思考プロセスによって組み立てられたG.Batesonの議論は、極めて近代合理主義的であるとともに、更に言えば少なくとも同じく基本的に近代合理主義者の私にとっては誠に真っ当なものに思われた次第。ついでに言うと、どうも「精神の生態学」という思考法を「勘違い」して捉えている方が多いようなのだけれど、あくまでもこれはG.W.F.Hegel的な大文字の「精神」至上主義へのアンチ・テーゼなのであって、ということはBatesonの思想と一緒くたにされがちな例えば「ガイヤ」思想みたいなものに登場する「地球生命体」説のようなものとは根本的に対立するもので、むしろ個々の生命体の周囲に小さく構築された生態圏を扱おうとするどちらかと言えば「ミクロ」な分析を志向する思考法なのだ、ということを述べておきたいと思う。
まだまだ、述べねばならぬことが多々あるのだけれど、今回はパスする。それではあんまりなので一言付け加えるなら、今後は私自身のフィールド・ワークを分析する中で、本書に記された様々な事柄・主張その他を吟味、援用、更には批判的継承していきたいと思う次第である。以上。(2002/03/22)