天童荒太著『永遠の仔』幻冬舎、1999.3

御存知昨年の大ベストセラー。途轍もない時間と労力を費やして執筆された事がひしひしと伝わってくる好編である。何で直木賞が取れなかったのかが本当に不思議な位よく書けている。幼少時の家族崩壊が原因となった性的トラウマを抱えながらも、30歳前後までなんとか生き延びてきた3人の物語は、確かに感動的なものだ、と素直に認める。ただ、この3人、ちと成功し過ぎのような気もする。二人の少年はそれぞれ若くして独立した有能な弁護士及び神奈川県警が誇る敏腕刑事に、主人公である少女は院内の誰しもが尊敬する看護婦となっている。この設定からは更に敷衍して、「著者の持つ、見事なまでに類型的なジェンダー観が反映している。」などと、フェミニスト批評的な言葉を書き連ねることも可能だろうけれど、本書は基本的に、家父長制、父権制、ファロ・サントリスム(男根中心主義)批判の書なのだから、それは当たっていない。その辺りの事情は作者もよく分かっていて、主人公の少女は医者になるのを断念して看護婦になっていたり、という挿話がきっちりと描かれていたりもするのだから。そうならざるを得ない今日的状況を的確に捉えている著者の現実認識は、間違っていないと思う。同じ事は、冒頭で繰り返される、この「まだ」結婚していない3人への、周囲の人々の行う「「まだ」結婚しないのか?」という暴力的かつ性差別的かつ人格無視的発言の記述が、実のところ、それらが暴力的かつ云々であることを告発すべく周到に準備されたものであることを、最後まで読み通した方は気付かれる筈である。イチャモンをつけるとすれば、「長過ぎる。」という点だけかも知れない。個人的には、第11章で終わっても良かったように思う。残りの300頁は蛇足のような気がする。基本的なテーマは同章までに全て出尽くしているし、物語自体も、私自身の中ではここまでで完結してしまった。後は個々の読者が想像力で補えば事足りるのではないだろうか、などと思う。更に言うと、そこから先に起こる一連の出来事は何となく不自然でさえある。特に、弁護士・長瀬笙一郎の行動は不可解。少し位不可解な部分もあっても良いではないか、という気もしないではないのだけれど。
以下は例によって蛇足。本書の背景には、高村薫の二つの著作、『マークスの山』と『照柿』が横たわっているように読めた。前者については、登山、過去に起きた殺人事件の謎、病院。後者については、幼なじみ、三角関係、衝動殺人。本書の文体は高村ほど重たくなくて、むしろ軽いとさえ言えるものであり、二日もあれば読めてしまうものだけれど、追求しているもの、描きたいもの、更には冒頭に書いた通り一つの作品執筆にはらわれる労力の使いようにおいてこの二人の作家は極めて接近しているように思う。高村と同様に次回作の公刊までには恐らく長い時間がかかるのであろうが、期待したいと思う。(2000/02/17)