柄谷行人著『倫理21』平凡社、2000.2
著者「初の書き下ろし評論」である。です・ます調で書かれた、極めて分かり易い、とは言えその実践が極めて困難な事を述べた書物、と述べておこう。柄谷は、I.カントの徹底的な読み直し作業を通して、「自由意志」に基づく行為などそもそもない事(これはスピノザに拠っている。)、人が唯一「自由」であるのは「自由であれ」という至上命令に対する応答であること、そしてその至上命令こそが正に「倫理」と呼ぶべきものであるとする。そして、そういう意味において、「自由」である事は自らの行為の拠って立つ元に関する、それこそ「遡行」(本書ではこの語は用いられていなかったと思う。)的な再認識を可能な限り行う事を要求し、同時にまた「自由」である事を選択した主体に自らの行為について全責任を引き受けることを要求する事になる、と考えて良いだろう。これはとても厳しく、かつ困難な事だ。しかし、我々は、この困難を何時の日か乗り越えねばならないのだとも思う(何て凡庸な表現…。でもそうなんだよな。)。尚、本書に関して特記すべき点は、本書が哲学史の本でもなく、ましてや現代社会批評(むしろそれに対する痛烈な批判が行われている、と読むべき。)などでは決してなく、「実践」の書である、という事になるだろう。少年犯罪や戦争責任についての柄谷の言説は、極めて具体的かつ実践的である。昨日法政大学で行われたシンポジウム(「国家と言語」、06/10)でも述べていたが、「現状なり何なりを認識するに留まるのではなく、実際的な提案を行いたい。」(かなりいい加減な聞き取りです。)という同氏の姿勢、つまりは同氏の言う「倫理」的であると如何なる事であるかが、如実に表れた書物である事を述べて終わりとしたい。(2000/06/13)