今福龍太著『フットボールの新世紀 美と快楽の身体』廣済堂出版、2001.07
本書は、中南米での生活が長い関係から、あの辺りで行なわれてきたサッカーないしフットボールと呼ばれるスポーツの技法に魅了された著者が、2002年FIFAワールド・カップのちょうど一年ほど前に刊行したフットボール論である。
薄い本ではあるけれど、中身は大変濃いし、日本という国でワールド・カップが開催され(ナショナリズムにくみしない著者はそんなことは基本的にどうでも良いと考えているのだろうけれど…。)一年過ぎた現段階でも、全く新鮮さを失わない、というよりより切実なものに感じられてしまうような記述が端々にあって、感慨深かった。
というのも、例えば折しも昨日行なわれた日本対パラグアイ戦を見てみよう。徹底した守備重視サッカーを標榜するパラグアイに対して(あの攻撃的GKチラベルトはどうしてしまったんだ?引退?)、ブラジル出身のジーコ監督のもとで、トゥルシエ流の守備的なスタイルを崩そうとしてもがいているように思える日本代表ティームだけれど、何となく予想していた通り0-0で終了。そうそう、今福もこの本の中でさんざん述べているのだが、世界の潮流が「負けないサッカー」に傾いてしまっている現状では、元々ヨーロッパ・サッカーのスタイルである「兎に角守る」ないし「最低限引き分けでも良い」という戦略が普遍化してしまっていて、それがこのスポーツから興趣を削いでいることはこの試合などを見ても明らかなのである。(実際、詰まらない試合だった。というわけで、前半・後半のそれぞれ終わり5分くらいしか見てません。まあ、今福氏や私とは違って、「守り合い」こそが面白いと考える方も結構いるのだろう。人類学なんてものをやっている私は、基本的に価値観は人それぞれないし多様であるべきだと思うのだが、それにしてもねえ…。)
他にも、中田英寿という天才サッカー選手の「アンティ・マスコミ」ないし「メディア批判的」姿勢の表出とされがちな言説を巡る分析だの、1998年FIFAワールド・カップを制したあのウルトラ混成ティーム・フランス代表こそが、21世紀において国家という枠組みを超える在り方を模索する上での一参照例となり得る、という議論などは、大変興味深くかつ示唆に富んだもの。本書は、サッカーないしフットボールという素材を通して、今世紀という時代そのものを予見しようとでも言い得る大胆な試みでさえあるのでは、と思いつつ読了した。
というようなわけで、サッカーに興味を持つ方は恐らく今までとは違う見方をこの本から学べるないし示唆されることになると思うし、興味のない方でもこの時代というものを理解する上での一つの視点を与えられることくらいには間違いなくなるはずの本書を、是非是非ご一読の程。以上。(2003/06/12)