William Gibson著『あいどる』角川書店、1997(1996)
サイバー・パンクの巨匠W.ギブスンの最新長編で、『ヴァーチャル・ライト』の続編にあたる。その翌年の話なので、時期設定は西暦2006年ということになる。主な舞台は大震災後の大復興をとげつつある東京。アイルランド系と中国系の血が混じっているというロック・スター「レズ」が、人工生命・知能的な電子・ホログラフィカル・ヴァーチャル・アイドルである「投影麗(レイ・トウエイ)」との「結婚」を宣言し、これを巡っての一連の騒動の顛末が描かれる。ちなみに原著のタイトルはIDORUである。
作品中では、レズの組んでいるワールド・ワイドな「ビリオン・ヒット」を生みだしたという音楽デュオ「ロー/レズ」のうち、その片割れである「ロー」は中国系とされていて、この辺りは昨今のアイルランド出身のアーティスト達が創り出す音楽の全世界的な浸透に加え、例えば北京出身のアジアの歌姫フェイ・ウォンがそうした音楽に傾倒していることなどを考えあわせると、今後の音楽シーンがそういうグローバルかつローカルかつハイブリッドなものになっていくのでは、というギブスンの読みは実のところ現状を如実に反映したものなのかも知れない、などと考えてしまう。ただ、ギブスンが住むカナダ、あるいは同国を含む北米においてどの程度中国語圏の音楽が市場形成しているのかが分からないので、何とも言えないところでもある。まあ、ネット上には現時点においても既にそういう情報は山のようにあるので、ギブスンもそういうもので現状認識をしているのかも知れない。その実、本書のディテイル形成に寄与している日本に関する微にいり細にいった知識もネットを通じて仕入れているような気がする。
基本的には「マスメディアが創り出す仮想的な現実」をテーマとしているように読めた。これは、前作同様ゴシップ暴露を得意とする番組制作会社が主要な役割を果たす他、具体的な身体をもった「ロー/レズ」の二人と、ネットを通じて流される彼等についてのドキュメント・ヴィデオその他が創り出す仮想的なロック・スター像を対比的に書いていることや、そもそもタイトルにもなったヴァーチャル・アイドル「投影麗」において典型的に表れていることである。まあ、別に電子的に創り出されたヴァーチャル・アイドルを持ち出すまでもなく、アイドルは元々極めて仮想的なものだということも考えた方が良いかも知れない。ただし、生身のアイドルではギブスン小説にならないわけだ。よりヴァーチャルな、と取るか、そもそも仮想現実と現実にはほとんど差がないのだ、ということを電子アイドルを小説内に創出することで表現しているとも取れるように思う。
余り日本人が登場しない東京の描写はなかなか面白いし、ディテイル(「テクスチャー」と言ってもいいかも知れない。)へのこだわりは相変わらずである。しかし、日本のTVで「全国こま回し大会」なんていうのを放映しているというシーンが随所にあるけれど、一体どこでそういう知識を得たんだろう?そんなものは一般的なTV放送では流れていないと思うのだけれど。
最後にもう一つ付け加えると、本作ではギブスンのこれまでの作品が少なからずもっていた宗教的なモチーフがほとんど表れていないのが印象的だった。最近、SFやSFまがいの小説その他には必ずと言っていいほど宗教的モチーフが頻出している理由について色々と考えていたのだけれど、「サイエンス・フィクション=科学的物語」(ちなみにH.エリスンはSFにスペキュレイティヴ・フィクションという語を当てる。)たるSFがむしろ宗教をポジティブヴに扱っている場合が多いというのは何とも面白い現象だと思うのだが、いかがだろうか?実はそういうものなしの小説を読んだのは本当に久しぶりのことで、その点に新鮮味を覚えてしまった次第である。(1998/01/17)