池上良正著『民間巫者信仰の研究−宗教学の視点から−』未來社、1999.2

 
池上良正氏の博士論文の待望の単行本化である。本書は、副題にある通り徹底的に「宗教学」という立場に依拠しながら、氏のこれまで行ってきた青森県津軽地方及び沖縄県与名城町屋慶名を中心とした調査を元に、「民間巫者信仰」の実相に迫ろうとするものである。ここで「民間巫者信仰」とされているものは、字義通りならば「民間巫者に対する信仰」ということになりかねないのだけれど、ここでは巫者自身の持つ信仰体系と、信者達が持つ信仰体系の両者を含んでいることに注意しなければならないだろう。さらには、本書ではその序章において「民間」「巫者」「信仰」というテクニカル・タームについても充分過ぎるくらい厳密に定義付けがなされているのだが、ここではその詳細を述べるのは止めておく。
さて、本書では、「民間巫者を、<「霊威的次元」の自律的主導性の内に生きる宗教者>として捉える基本的視点を提示」(p.9)しつつ、記述・分析がなされていくことになるのであるが、ここで重要なのは「民間巫者」を「宗教者」として捉える、ということなのであって、これは結局のところ、これまでの巫者研究が、巫者の行っている儀礼その他の行為や、その信者達の持つ世界観・霊魂観・災因論などを、「宗教」であるキリスト教や仏教、神道や儒教の儀礼や教義体系に対比して、「呪術」や「俗信」、更には「迷信」といったラベルを張ることに終始し、彼らへのある意味で虚心坦懐に接することを旨とした、長年にわたる調査によってしか見えてくるに至ったのであろう、その「宗教的」な内実とでもいうものに深く入り込むことを怠ってきたことに対するアンチ・テーゼの突きつけとも言えるだろう。このことは第一章及び第六章のそれぞれ津軽地方の「カミサマ」と沖縄県の「ユタ的宗教者」の「成巫過程」に関する記述、あるいは民間巫者によるあるいは彼ら自身の「救済」をメイン・テーマに据えた第五章及び第八章などに端的に現れている。即ち、成巫過程について言うなら、これまでのそれ自体に基づいた巫者の類型化や、成巫過程自体の持つ<スティグマ→カリスマ>への変換プロセス的性格の摘出のような、還元論的かつ類型論的な方向ではなく、あくまでも彼らの宗教者としての「霊威的次元」との関わりの実相を、彼らの語りの池上氏による再構成によって具体的に示すことが主眼となっている。また、「救済」に関する分析では、これまで「呪術的」ないし「現世利益的」な性格が重視されがちであった民間巫者達の活動について、そうではなくあくまでも「宗教的救済のひとつ」(p.285)として捉えることによって、その実態に別方向から光を当て直そうとする。そこで抽出されてくるのが「運命観による救済」「共振による救済」「怨念の感得とその解消による救済」ということになるのである。
ここで個人的に興味深かったのは第八章で詳述される「怨念」に関する分析であり、M.ヴェーバー→J.シュナイダーの「互酬性の倫理」なる概念が持ち出され、ここから、「さまざまな霊たちの『うらみ』『祟り』『障り』などとして語られる『霊威的次元』の力や意味の表出には、社会の平準化を志向し、成員相互の互酬性を回復させようとする重要な機能が組み込まれていた」(p.297)、あるいは、「民間巫者たちによる『癒し』の根幹には、とりわけこの『互酬性の倫理』を起動させる力が深く埋め込まれている。為政者や社会の上層部からは常に侮蔑と弾圧を受けながらも、依然として死者の恨み・嫉み・羨みなどに基づく災因論に固執し続ける民間巫者たちの存在は、かなり素朴ではあるけれども、きわめてストレートな形で、この「互酬性の倫理」を維持する宗教者として捉え直すことができるのではないだろうか。」(pp.438-9)という論点が打ち出される。こうした、「今後に展開すべき多くの可能性が秘められている」(pp.527-8)という、経済人類学の先駆者であるM.モース及びK.ポランニーや、近年ではM.サーリンズによって論じられた「互酬性」の問題及び、ここでさりげなく語られるP.クラストルの言葉を借りれば「国家に抗する社会」とも言いうるのではないかと思うこれら民間巫者を包摂した村落共同体の統合を巡る問題については、私自身が博士学位請求論文において行おうとしている村落祭祀への民間巫者の関与の分析に直接的な関わりを持っており、まさにその「可能性」を追求してみたい衝動に駆られた次第である。
なお、ここでは簡単に紹介するにとどめるが、本書では他に第二章では「場所の霊性」を巡って恐山と岩木山の事例が取り上げられ、第三章では「民間巫者の『近代』」と題して『東奥日報』の明治期から昭和期にかけての民間巫者に関する記事を元にした分析がなされ、第四章では「赤倉山神社の創設と変遷」を事例として民間巫者による「教団化」あるいは「制度化」の問題が論じられる。また、沖縄の巫者信仰を扱った第二部では、第六章では「ユタ的宗教者」及び「ユタ信仰」の概観が示され、第七章では屋慶名集落を事例に、従来ユタとは対比的に扱われることが多かった「カミンチュ=神人」とユタとの混淆状態やその近年における動態が示される。こうした事例は1960年代以降逐次報告されているのだけれど、そろそろ総まとめ的な著述が出されてもいいのではないかと個人的には考えている。まだまだ、事例の積み重ねが必要なのかも知れないのは確かであるが。第九章では民間巫者信仰の拡がりを見るべく、「都市のユタ的霊能者」及び「キリスト教聖霊運動」の事例が挙げられている。
ところで、この第九章に関して言えば、その記述を見る限り、彼らは確かに「ユタ的宗教者」に極めて近いような気もするのだけれど、「線引きの一貫性」とでもいうべきものはいかなる研究においても非常に重要なことであることも間違いなく、そうした意味では本章についてはやや違和感が残ったのも事実である。すなわち、本章を挟み込んだからには、津軽地方においては「カミサマ的霊能者」や「キリスト教聖霊運動」はないのか、という疑問が当然のことながら湧いてくるのだし、あるのならばそれについての言及は必要であったであろうし、もしそういったものがないのならば、それは何故か、という分析も必要だったように思う。「文化的基盤の違い」の一言で済ませられてしまいがちな問題だけに、そうではない解答の模索こそが、二つの地域の民間巫者信仰を事例として採り上げたことの意味を、より説得力のある形で示すことになったのではないかと思うのである。勿論、本書は民間巫者の分類あるいは民間巫者とその他の宗教者との線引きを主眼とするものではなく、あくまでも民間巫者と呼ばれ得る人々やそれを取り巻く人々の持つの「宗教性」を明らかにしようとするものであることがそれこそ一貫して述べられている訳であり、それはそれで果たされているのだから、取り立てて言うべきことではないかも知れないことも断っておきたい。もう一つ、こちらの方が重要だと思うのだけれど、同じく研究対象の設定に関して、335頁には「東北地方の代表的な民間巫者として、青森県のカミサマ系巫者を取り上げた」という記述があるのだけれど、本書においてはカミサマ系巫者と並べて論じられることの多かった私自身はこちらの方が代表的なのではないかと思える「イタコ系巫者」(私の調査地である宮城県・山形県でも、青森といえばイタコ、という答えが頻繁に聞かれる。)に関する記述が非常に少ないのが気になった。イタコ系巫者の激減に伴って、両者の区分がかなり曖昧になってきていることはよく知られているけれども、「伝統的」なイタコ系巫者の成巫過程においてほぼ確実に行われていたと考えられるイニシエーションの儀式(宮城・山形では「カミツケ」「ウツシソメ」などという。)におけるやや制度化された観のある「霊威的次元」への組み込みプロセスと、カミサマ系巫者の余り制度化されていないように見えるそれとの比較、というのも、重要な課題なのではないかと思うのである。この辺り、<「霊威的次元」の自律的主導性の内に生きる宗教者>という枠組みに当てはまりやすい民間巫者を研究対象をやや恣意的に限定したのではないか、という批判が当然のことながら提出されることになるだろう。とはいいながら、先程述べたことと重なってしまうけれど、研究対象や調査地域をこれだけの大著(560頁近い。)としては稀有とも言えるくらいに絞り込んだことによって、少なくともここで扱われた民間巫者たちの「宗教者」としての位置づけや、民間巫者信仰の「宗教性」はかなり明瞭になったとも言い得るだろう。調査対象や研究方法の限定は、時としてメリットともなり、デメリットともなる。これは結局、そのことを意識しているか否かが研究の成否を決定付けてしまうと思うのだけれど、本書ではこうしたことに関して池上氏は徹底的に意識的であるということ(終章では本書が持つと著者自身が考えている問題点や予想される批判に対する解答、更には今後の課題が示されている。)を付言しておきたい。最後になるが、行間からにじみ出る、池上氏が民間巫者たちとそれこそ「共苦共感」しようとして悪戦苦闘しておられる姿を思い浮かべつつ、私自身はどうであるのかを改めて反省させられた、というのが読了直後の率直な感想であったことを述懐しておきたいと思う。(1999/05/11)