Sean O'Faolain著 橋本槇矩訳『アイルランド−歴史と風土』岩波文庫、1997(1947→1980)
訳者あとがきにある通り「リベラル・ヒューマニスト」(p.312)である「アイルランド人」作家Sean O'Faolainによる「アイルランド史」である。著者は「通常の愛国心=パトリアティズム)」と「水腫に冒された狂信的愛国心=ショーヴィニズム」(p.285)を分けた上で、前者を肯定し、後者を否定する訳であるが、著者によれば今日の「アイルランド」のナショナリズムは、後者なのであり、捏造されたに等しい「アイルランド」の「民族性」や「伝統性」にしがみつく近視眼的かつ有害なものであるという視点が繰り返し打ち出されている。
冒頭で本書は政治史的なものではなく「文明史の視点」からの「アイルランド史」である(p.9)、と述べられている割には、政治的な事件についてもかなり詳しく記述されており、参考になることが多かった。文明史を語るにしても、政治的な要因がかなり関わってきてしまうということは、いかなる社会においても言えることだと思うのだけれど、著者が意図してやっているのかどうかは分からないが、本書が「アイルランド政治史」としても読めてしまうことは、図らずもそのことの傍証になっているのではないかと思う。T.イーグルトンを初めとする、テクストの政治性に着目する研究者がアイルランドや英国で1960年代以降大活躍をする事になったのは周知の通りであるが、そういう文脈とは距離のありそうなこの著者が1947年にこういうものを書いていたという事実はなかなかに興味深いところである。
なお、個人的な感想を述べると、紛争の当事者でない私が勝手なことを言うのはこれまた問題なのかも知れないけれど、全ての「アイルランド人」の「リベラリズム」への覚醒が一連の「アイルランド問題」の解決になるのかどうかも分からないし、そもそもそんなことがいつ実現するか分からない以上は、「発明された伝統」かも知れない「文化伝統」や「民族性」を振りかざす民族主義的政治運動にもそれなりに意義はあるのではないかと思う。ただ、最近の「北アイルランド問題」の緩和を告げる一連の報道を見ていると、反対に英国における「リベラリズム」の浸透が問題の解決に大きな役割を果たしているように感じられ、現実は知識人の思惑を超えて動いていくものなのだな、と言うことをあらためて確認しつつ、感慨に耽るのであった。(1998/04/25)