高村 薫著『レディ・ジョーカー』毎日新聞社、1997.12
緻密かつ何ともリアルな企業小説である。高村薫の特徴である感情の表出を極度に押さえた淡々とした記述が上下巻約900ページにわたってひたすら続く。その実、固有名詞を替えればほとんどノンフィクションとしてそのまま出せてしまうように思う。繰り返すが、何ともリアルである。
まあ、企業小説としての評論は数多く出ていると思うので、ここでは極めて私的な読解を紹介しておきたいと思う。合田雄一郎警部補シリーズとしては第3作にあたる本作は、私見では「キリスト教文学」の範疇に入るものである。そのことは合田の読書リストに『カラマーゾフの兄弟』が含まれていたり(本書を読みながら「ドストエフスキー」を感じてしまったのは私だけではないだろう。一番近いのは『悪霊』だろうか。)、証券疑惑を追う新聞記者・根来史彰がその愛読書であるシモーヌ・ヴェイユ全集を合田の義兄・加納祐介に渡そうとしたりというところにも暗に含まれているのだが、もっと顕在的には、合田と加納、及び脅迫を受けるビール会社社長・城山恭介の3名が偶然にも揃いも揃ってクリスチャンである、というところに如実に表れている。
一連の事件の淡々とした記述に所々挟み込まれた上記4人の内面描写はこの小説に別の光を当てている。そこで問われているの多くは基本的には「個人」と「組織」(企業・警察機構・マスコミ・国家・全体社会)の関係を巡っての諸問題なのだが、他にキリスト教的なモチーフとして、「悪」とか「正義」は犯罪小説なのでまあ当然としても、クリスチャンでない私にはちょっと違和感を覚えてしまう「神」という語すらもちらちらと見え隠れする。一例を挙げれば、合田は終章においてやや唐突に「神はいるのか、という問い」(下巻・p.437)を立てているのである。
なお、以下はどうでもいいことかも知れないけれど合田は最後に「クリスマスイブは空いてるか」(下巻・p.438)で結ばれる手紙を義兄に対して書いていたりもする。実は、気付いた方も多いと思うが、全ての事件の発端となる元ビール会社社員・岡村清二が同社に宛てて出した手紙の最後には、「神のみぞ知るです。」(上巻・p.28)なんてことが書かれていたりするのだ。しかも、岡村の出生地は青森県戸来村に設定されていて、この辺にも国際基督教大学出身の高村の作為を感じてしまった。以上、他にも書きたいことはたくさんあるのだが、珍しく極めて私的な短い論評を終えたいと思う。(1998/02/04)