村上春樹著『海辺のカフカ』新潮社、2002.09
最終的に「ハリポタ」第4弾には発行部数で遠く及ばないだろうけれど、それでも本年最大のベストセラーの一つに数えられることになるはずの村上春樹による最新書き下ろし大長編である。作品の構成は次の通り。父から「予言」という形で呪いをかけられ出奔し図書館生活を始める15歳の少年・田村カフカ君の「呪縛からの解放物語」と、少年時代に読み書き能力・記憶・知力を失った初老の男性・ナカタさんとそれに随行するごく普通の青年・ホシノちゃんによる「聖石探求譚」が、それぞれ奇数章、偶数章に分けられて綴られていく。前者および後者は、それぞれあからさまにオイディプス神話、聖杯探求伝説を踏まえているのだけれど、勿論そのまま翻案化するのみならず、今日的な問題をいろいろと取り込みつつ(とは言え、根元にあるのは「暴力」という誠に古典的なものである。)、新しい神話を創造する試みとなっているように思う。時間テーマSF恋愛小説として読める本作品を、当然エンターテインメント作品として読んでも良いだろうし、それなりに複雑な構成と重厚なテーマを内包した純文学作品として読んでも良いんだろうけれど、要するに一冊で二倍おいしいこの作品は、私にも当然のことながら大変楽しめた次第。特に、読み書きばっかりしている感じのカフカ君の物語と、リテラシィ(=読み書き能力)を欠如した老人の物語の対比はとても面白いし、あるいはまた、村上作品に常々あらわれる異界ないし他界が(大抵、この世界の外部というより、心の内側にあるような感じで描かれる。)、本作にもしっかり登場し、重要なモティーフとして扱われている点は、押さえておかなければならない点であると同時に、異界や他界へのこれだけのこだわりがどこから出てくるのかを考えるのも、今後村上を論じる上で必要なのではないか、などと思ったのであった。
以下蛇足。もちろん、いろいろと突っ込みたい部分もあるのも事実。こんなに面白い小説を読ませていただいて余り文句を言うのも失礼なので敢えて一つだけ挙げるとすれば、特に、奇数章のあまり意味があるとは思えない衒学的知識の乱用は頂けなかった。実のところ、大したことは述べられていないのだし…。まあ、それは措くとして、これは突っ込みではないのだけれど、主人公・田村カフカとナカタさん、あるいはカフカ君を取り巻く重要な人物である大島さん、佐伯さん、およびナカタさんの随行者・ホシノちゃん等々の主要登場人物の苗字が、何故か全て有名なスポーツ選手と同じなのは何でなのか、という下らない疑問を抱きつつ、読了したのも事実である。ほんとに、何故なんでしょう?誰か教えてくれ〜。最後に、先に本作品は「時間テーマSF恋愛小説」として読める云々、と述べたが、元ネタは当然村上が最大級の影響を受けている作家であるKurt Vonnegut(Jr.)による『スローターハウス5』(ハヤカワ文庫で読めるし、映画化もされている。)なのだろうけれど、あるいは本年9月に放送が終了した出渕裕監督によるアニメーション『ラーゼフォン』だったりする可能性もなきにしもあらず。えっ、「時間的」にそれはあり得ないって?でも、余りにもプロットやディテールが酷似しているような気が…。この小説の趣旨に従えば「時間というのそれほど重要な問題ではない」(下巻、369頁)のだし…。以上。(2002/10/29)