京極夏彦著『覘き小平次(のぞきこへいじ)』中央公論社、2002.09
各方面で大活躍中の京極夏彦氏による、江戸時代を舞台設定とした「怪談」。カッコをつけたのは、この人がこれまでに書いてきた諸作品同様、幽霊や妖怪といった超自然的な存在の実在を頭から前提としないで、あくまでも「近代合理主義」の枠組みの中で物語構成がなされているからである。とは言え、問題は必ずしも「合理」的でない「心の有り様」なのであって、そんなところにドラマが生じることになる。これがこの人の紡ぎ出す物語の持つ基本構造である。
さて、本書の元ネタは江戸期に作られた怪談であるらしい。巻末の関連文献には山東京伝の『復讐奇談安積沼』だの河竹黙阿弥の『怪談小幡小平次』などが挙げられていて、要するにこの辺りの翻案であることが伺い知れる。江戸に住むうだつの上がらない役者小平次は、言ってみれば引き籠もり状態。そんなある日、奥州は青森での興業に誘われ、一応とある役目を果たすのだけれど、その帰路に謀略に巻き込まれて「死亡」。しかしどうやらその念深く化けて出て、しばしば襖の影から覘いているようなことがあるらしいとまことしやかに囁かれることに。その真相はいかに、というようなお話。
如何にも時代小説的とさえ言えるかも知れない適度な官能性と勧善懲悪精神を盛り込みつつ、何ともサーヴィス満点なことには『巷説』シリーズの読者にはおなじみのキャラクタである「又一」および「治平」までサブ・キャラクタとして登場させ、更に言えば、私見では「覘き」、「覘かれること」、即ち視線の交錯が人の心を支配し狂わせていくいわば「まなざしの政治学」とでも言うようなものをメイン・テーマとした本作品は、エンターテインメント作品として優れているのは勿論ではあるけれど、文学作品としても一流以上のものである、と述べておきたい。
以下余談。そもそもタイトルの「覘き(のぞき)」なんてのがPCの辞書に入っていないので入力に手間がかかったのだけれど、滅多にお目にかからない漢字を多用し、ルビを振りまくった文体には(ご苦労がしのばれます…。)、京極氏の持つ美学の一端がにじみ出ているように思うのであった。誠に凝りに凝った、というやつです。ということで。(2003/04/30)