Stanislaw Lem著 長谷見一雄・沼野充義・西成彦訳『虚数』国書刊行会、1998.2(1973,1981)
私が尊敬してやまない世界最高のSF作家S.レムの待望の新訳である。何しろ初出から25年もたっているのだ。『完全な真空』の翻訳が1989年に同社から出た時に「近刊」となっていたように思うのだけど、もう忘れかけていた、というのが正直なところである。さて、本書には架空の書物の序文集である表題作『虚数』(1973)と、コンピュータ「GOLEM」による人類への講義録である『GOLEM ]W』(1981)の2編が収められている。前者はとても読みやすく、また大変面白かったのだが、後者はそれが人間の「知性」を遙かに上回っているという設定の「知性」から人間に対して発せられるものであるために、その論述の形態は我々人間から見れば吹っ飛んだものだし、所々横道にそれて行って帰ってこないこともあったりするし、全く意味不明の部分も幾つかあって大変読みにくかった。これは、レムの諸作品の基本コンセプトが、人間以外の生物その他(コンピュータでも、宇宙でもいい。)が「知性」なり「論理」なりをもつ場合、それは人間には基本的に理解不能である、ということを考えれば、意図的にやっているのだと思い、分かりにくさそのものが大事なんだ、などと納得してしまったのだが、ひょっとすると単に翻訳が良くないせいなのかも知れない。この「翻訳」という問題も色々と考えなければならない事柄の一つなのであって、そもそも「日本語」を母国語にするわれわれ「日本人」が「ポーランド語」を母国語にする「ポーランド人」であるレムの書いたものを理解出来るのか、とか、さらには、それはたとえ同じ「ポーランド人」であったとしてどうなんだ、人間は「他者」を本当に理解できるのか、というように幾らでも膨らまし得るのだけれど、考えれば考えるほど難しい問題なので、一旦判断停止しておくことにしたい。最後に、これは出版者・翻訳者への注文なんだけれど、まだまだ大量に存在するレムの未訳のテクストを早く「日本語」に翻訳していただきたいものだと切に願う次第である。(1998/06/02)