鈴木光司著『ループ』角川書店、1998.1
映画が公開されている『リング』『らせん』(角川書店)に続く「リングウィルス」シリーズ第3弾である。これまでの2作は、基本的にはここ数年流行し、荒俣宏の通俗ポップオカルト小説『レックス・ムンディ』(角川書店。ちなみにこの本は正直言って余り面白くない。)で大体出尽くした観のあるいわゆる「ウィルスもの」だったけれど、今回取り扱われているのは、ウィルスは勿論のこと、さらには人工生命からヴァーチュアル・リアリティ、さらにはサイバースペースあるいは内宇宙(インナー・スペース)というやや古典的なテーマにまで手を広げている。大事なのは手広く色々なものを取り込んだ割には作品としてのまとまりはとても良く、あらためてこの人のストーリー・テラーとしての才能を感じさせられた。この人に比べ、私が荒俣や『ブレイン・ヴァレー』の著者・瀬名秀明を低く評価せざるを得ないのは、それが出来ていないように思うからである。
しかし、作品を重ねる毎にオカルト色が払拭されていくのを見るにつけ、せっかく獲得したファンを失ってしまうことになりはしないかと心配してしまわないでもない。何しろ世の中にはそういうものに安住しようという空気が相変わらず濃厚で、例えば瀬名の小説などが過大評価され、版を重ねてしまったりしているわけである。理系出身でない鈴木光司の方がより近代合理主義的だったりするところがちょっと興味深いなどと思ったりする。とはいえ、勿論、この作品はがちがちの近代合理主義精神の標榜(J.ヴェルヌみたいなものを想定していただければよい。そんなことを真剣にやっている作家は今日極めて稀かも知れないが…)、あるいは科学知識のひけらかしなどでは全然なくて、「生きる意志」とか「父と子の絆」みたいな物凄く健康的な理念の追求である。まあ、それが自然に出てくるところが家庭人たる鈴木の真骨頂だろう。
色々なSF小説を思い浮かべてしまった。ざっと書こう。J.P.ホーガンの『造物主の掟』及び『内なる宇宙』(「巨人たちの星」シリーズ第4作。ちなみにこのシリーズの第3作までの話の膨らませ方は「リングウィルス」シリーズの発展的解消形式にも通じるものである。以上創元推理文庫。)、H.エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」(短編集『世界の中心で愛を叫んだけもの』所収)、P.K.ディックの『ユービック』(以上ハヤカワ文庫。)。
大変面白かったけれど、『リング』の欠点を「外部」を立てることによって解決してしまおうというのはちょっとずるい気もした。ただ、あとがきで『リング』執筆時には『らせん』も『ループ』も構想していなかった、と述べておられて、なんて正直な方なんだ、と変なところで感心してしまった。
なお、まだまだ続編を書くことは可能だろうと思う。この後二つの世界がどうなるのかはまあおいておくにしても、そもそもリングウィルスはなんで発生したのかとか、何故本作の主人公・二見馨には「転移性ヒトガンウィルス」に対する免疫があるのか、といった謎は相変わらず残されたままである。さらにスケールアップした続編を期待したいと思う。(1998/02/04)