京極夏彦著『ルー=ガルー 忌避すべき狼』徳間書店、2001.06
『塗り仏の宴』(講談社ノベルス、1998)以来、この著者にしては珍しい約3年のブランクを経ての書き下ろし長編は、西暦2030-2053年頃を時代背景として設定した「近未来少女武侠小説」(帯より引用。)である。

著者初の近未来小説であり、一応同じく著者初のSFでありかつ、もっと言えばサイバー・パンク小説とも言い得るのだけれど、その文体はこの人がこれまでに書いてきたものを踏襲しているし、14歳位の少女達が何者かによって次々に惨殺されるというミステリ仕立ての基本プロットだの、あるいはまた、県会議員の養女である14歳の少女・牧野葉月の視点で描かれる奇数章と、彼女を含む「児童」達のカウンセラである美貌の才女・不破静枝の視点で描かれる偶数章が交錯する様は、この人が当初から採っている「多視覚的手法」をそのまま引き継いだものだったりする。更には、京極作品付き物と言っても良いだろう、「異常」と「正常」の間の線引きや殺人行為の是非についての議論めいたことが行なわれていたり、あるいはまた「占い」に関する蘊蓄が語られたりといった具合なのである。というわけで、これまでの京極作品をこよなく愛してきた皆様は(勿論、まだ一冊も読んでいない方も、であるけれど…。)、取り敢えず安心してお買い求め下さい、と申し上げておく。まあ、「もう飽きた」なんていう向きもあるかも知れないのだが、作品ごとに、この人のテーマ追求は確実な深化・進化を遂げている、という弁護を行なっておこう。

さて、既に本欄ではさんざん京極作品に言及してきたこともあり、また上述の通り本作品はこれまでの京極作品とさほど変わらない世界観や文体を持っていることもあることなどから、余り長い論評を行なう気はない。ここでは、本書がインターネット上、あるいはそれぞれ徳間書店刊の『月刊アニメージュ』および『月刊キャラ』(そんなん知らんぞ。タイトルからしてどういう雑誌かは見当がつくのだが…。)誌上で一般の方々から募集した、近未来社会についての基本設定を用いている、ということに言及しておきたい。そのためもあってか、本書の基本設定は、京極作品の読者が好きそうな諸作家その他の作品群からの「サンプリング」の嵐であるかの如き様相を呈することになった。幾つか例を挙げると、例えば全く続編が刊行される雰囲気もなく、中途半端なままになっている竹本健治の『闇に用いる力学・赤気篇』(光文社、1997)及び「パーミリオンの猫」シリーズだの、萩尾望都の原作を基に金子修介が監督した映画『1999年の夏休み』だの(ついでに言うと、1990年代に作られた平成ガメラ3部作を監督したのも金子修介である。この本にも、「ガメラ」はしっかりと登場する。)、更には京極自身の作品である『魍魎の匣』(講談社ノベルス、1996)だののテイストや基本設定その他が、ほとんどそのまま「引用」ないしは「盗用」(決して悪いことではない。)されている。

一旦印刷されてしまえば変更が利かないこともあって、真にインタラクティヴな小説(巻末の表現では「双方向」的な小説、ということになる。)などというものはそもそもあり得ないのだけれど、逆に言えば創作プロセスや読解プロセスというのは実のところある程度のインタラクションを常に含んでいることも事実な訳であり、京極がどのようなインタラクションを行ないつつ作品世界やプロットを構築しているのか、だの、では読者の側はどうなのか、などということを考えつつ読解を試みるのは、誠に楽しい作業なのである。何となく、そういうプロセスをかいま見てしまえるかのように感じられるところが、本作品が持つ真の醍醐味、とも言えるだろう。以上。(2001/07/15)