兵藤裕己著『〈声〉の国民国家・日本』NHKブックス、2000.11
本書は、〈「国民国家・日本」の形成には「浪花節芸人」乃至「浪花節」が大きな役割を果たした〉、という誠に大胆な仮説を提示・検証したものである。実は、既に同著者による『太平記〈よみ〉の可能性 歴史という物語』(講談社選書メチエ、1995)の233-241頁には、やや唐突な形で本書において詳述されている二人の浪花節芸人、桃中軒雲右衛門と宮崎滔天(とうてん)についての記述がなされていて、浪花節の流行と国民国家形成を巡る議論は別の本で語る、ということが仄めかされており、本書はそれを実行したもの、ということになる。

浪花節や、本書冒頭で触れられているバルカン半島の「物語詩(エピック)」(p.8)などの「声の文学(オーラル・リテラチュア)」(p.243)が、近代の日本も含めた国民国家形成にどのような役割を、どの程度果たしたかについては、今後更に検証が重ねられなければならない事柄で、私のやっている東北日本における口寄せ巫女の語りに関する研究も実のところこれに接続可能な問題機制を孕んでいる。それは兎も角も、240頁にあるように、近代の国民国家形成を、上からの抑えつけによるものとするような素朴な議論は最早通用せず、民衆乃至大衆が自ずから醸成した、例えば浪花節の流行のような場所から捉えていこうという視座は、今日において極めて妥当かつ重要なものであろう。

それにつけても、そもそも「国民国家」とは何か、ということについての学説史を含んだ説明が殆どなされていないこと、更にはこうした問題を論じるにおいては欠かせない文献である筈のB.Anderson等の著書が文献注にさえ見当たらないのは、やや不親切かつ不自然の観を否めなかった。(2001/01/09)