奥泉光著『坊ちゃん忍者幕末見聞録』中央公論新社、2001.09
庄内地方出身の芥川賞作家・奥泉光による、タイトルを見て瞬時に分かる通り、最早この人のお家芸ともなってしまった夏目漱石作品のパロディ忍者武芸小説である。私見するところその舞台および人物設定自体は『坊ちゃん』よりもむしろ『三四郎』に近いように思うのだが、どちらにしても漱石作品から多くを借りているのは間違いなく、特に気になる事柄でもないのでそれはおいて先に進もう。
時代は幕末。庄内地方(現在の東田川郡三川町辺りでしょう。)出身の忍者でありかつ医者見習・横川松吉と、その幼馴染である庄屋の放蕩息子・鈴木寅太郎の二人その他が(あの辺り、鈴木姓は結構多いんです。)、京都で繰り広げる一連の珍騒動を描く。当然幕末=文久三年(西暦1863年)の京都だから、新撰組の沖田総司や土方歳三等、あるいは坂本龍馬などお馴染みの幕末キャラクタが総出演し、何とも楽しい作品に仕上がっている。
「忍術を習って得をしたことなど一度もない。」と、主人公・松吉による一人称の語りという体裁をとる本作品の冒頭にしっかりと書かれているように、忍術には全く効果が無いという本人の認識とは裏腹に、実のところそれは松吉がその降りかかる数々の難を逃れるにおいてそれなりに貴重なスキルとしての役割を果たしてしまう、という図式はなかなかに滑稽極まりないもの。
こういうアンチないしはメタ忍者武芸小説とでもいうべきスタイルは、実のところ先に述べたような漱石のパロディなんかでは全然なくて、尼子騒兵衛による朝日小学生新聞(!!!)連載のコミック『落第忍者乱太郎』なり、それを原作にしたNHK教育TVで未だに放映中(今やっているのは再放送らしい。ちゃんと観てないのでよく分からん。)のアニメーション『忍たま乱太郎』から仕入れたものだということは何となく間違いないような気がするのだが、そういえばその前に藤子不二雄による『忍者ハットリ君』なんてのもあったな、というようなことも考えた次第。
話がまとまらなくなりそうなのを強引にまとめるけれど、確かに楽しい作品であるとは言え、全体を貫くテーマのようなものが最後まで皆目見えないのは問題であろう。「尊王攘夷」という思想運動に対してここまでシニカルな書き方をしたのだから、もう少し今日における天皇制のあり方を巡る議論や、外国人ないしは異民族排斥問題みたいなものについての深い洞察を織り交ぜても良かったのではないかなどと考える。そうそう、エンターテインメント作品としてはややケレンに欠け、かつまたお得意のメタ・フィクション的技法を取り入れてしまったために難解にさえ感じるところもあってか不完全に思えるこの作品を、一文学作品として生かすにはそういう今日的テーマの追求こそが試みられるべきだったのではないか、とうことである。まあ、全く逆にエンターテインメントに徹する方向も、あながち間違いではないことも申し述べておく。
何はともあれ、これだけの仕事をしている作家は今日の日本には奥泉を除いてないのだから、次回作にも当然期待することに相成る次第。最後に蛇足を付け加えると本作品は読売新聞に連載されたわけだが、この作家がここまで漱石にこだわり続けて来たからには、そろそろ朝日新聞に連載させてあげて欲しい、などと詰まらぬオネダリを述べて終わることとしたい。以上。(2002/02/17)