最相葉月著『絶対音感』小学館、1998.3
言わずと知れた大ベストセラーである。幕張の某古本屋にて入手した。パステルナークとスクリャービンの関係を巡る導入部と終結部には本書を面白い読み物にしようというわざとらしさを感じてしまったし、第7章「涙は脳から出るのではない」及び第8章「心の扉」は一貫して「絶対音感」について書かれてきた本書のテーマ軸からは随分ずれているように感じられ、据わりの悪さを感じざるを得なかったのだけれど、とりあえずは退屈せずに一気に読み通せるノンフィクションであることは間違いなく、こういうものを書き得た著者の筆力や取材能力には賛美を惜しまない。
以下、個人的なことを述べるならば、私には「絶対音感」はない。5歳から自主的に(本当です。)ピアノを習い始めたのだけれど、町の個人的なピアノ教室であったために、その指導スタイルはソルフェージュだの、ましてや音感教育プログラムだのには全く無縁で、音楽を勝手気ままに楽しんでいたというのが実感である。一応「子供のバイエル」赤本・黄本は用いていたけれど。バイエルで思い出したけれど、最近のピアノ教室ではバルトークの「ミクロコスモス」が主流になりつつあるとか言う噂があったけれど、その辺りの事情はどうなんだろう。本書はピアノ教育について書かれたものではないからその辺の記述がないのは当然かも知れないけれど、ピアノ教育は恐らく「日本の音楽教育」の最大の位置を占めているのだから、そうした新事情についても少々記述があると良かったかも知れない。無い物ねだりかな。それはともかく、何だか弊害だらけの「絶対音感」などを植え付けられなくて良かった、などと妙に得心してしまった。勿論、プロを目指すなら別だとは思うけれども。なお、本書の記述の中で日本の音楽教育では固定ド唱法と移動ド唱法が併用されていて、これが混乱の元になっている、とされているのだが、どうも私の経験からはそうじゃないのではないかという気がしてならない。私は音名は「イロハニホヘト」、階名は「ドレミファソラシド」と教えられたからである。時と場所によってさまざまな音楽教育がなされていて、日本全国で全然統一されていない、というのが現状なのかも知れない。それはそれでいいことかも知れないなどと、思うことしきりである。(1998/08/29)