湯浅泰雄著『宗教経験と身体』岩波書店、1997
先日行った藤田庄市氏の著作『行とは何か』の書評のために読んだのだが、結局全く利用しなかった。その理由はひとえに両者の著述のスタイルが大きく異なるからであって、もしそこで湯浅のユンク心理学や現象学を大フューチャーした幾分抽象的で一般論的な視点なり論点なりを取り込んだとしても、あくまでも事例に語らせようとする藤田のスタンスとの相違点のみが明らかになるだけで、生産性のある議論に発展させられないと考えたからである。
本書の前半部である第1章及び第2章は「臨死体験」と「修行」という二つの「宗教経験」についての宗教心理学的な考察であり、後半部の第3章と第4章では「身体」及び「科学」に関する哲学的考察となっている。前半部は事例に則しながら、最近の「脳死」や「超能力」を巡る議論にも言及しており、後半部ではE.フッサール、M.メルロー=ポンティの現象学と、H.ベルクソンの生命の哲学をベースに、湯浅ならではの議論が展開されている。どちらもなかなか興味深く読ませて頂いた。
さて、本書の問題点は、宗教経験の具体的事例とその宗教心理学的説明と、身体や科学に関する哲学的考察が結局うまく交わることなく終わっていることにあるのではないかと思う。すなわち、本書を通読してどうも気になったのは前半部と後半部の議論の間の明らかな乖離であった。さらに言えば実のところいずれの議論もすでに他の著作において行われたことと余り代わり映えがないのであって、もし本書が新しい視点を提示出来るとすれば、それは例えば前半部において取り上げられた事例やそれらについてのさまざまな学説を、後半部で示された身体論・科学論によって再度評価し直すというような「第5章」が書かれなければならなかったのではないかと思う。
まあ、一冊の本としてではなく論文集として読めばよいのかも知れない。とにもかくにも、「宗教経験論」と「身体論」の格好の入門書であることは間違いない。(1997/12/08)