Larry & Andy Wachowski監督作品 The Matrix Reloaded
取り敢えず真似。本当は縦書きにしたかったのだけれど、それは面倒なので止める。
それは兎も角、この作品は、ご存じの通り1999年に封切られたサイバー・パンク・アクション映画The Matrixの続編。でもって、これも大方の人が既に知っている通り、この映画はこれで完結した一つの作品なのではなく、一応この映画を文字通り最後まで観ると分かる通りcoming soonなはずの最終章The Matrix Revolutionsへと続くことになる。(ついでですが、映画は場内が明るくなるまで観ましょうね。)
こういうことをされると、STAR WARSシリーズの第2弾であったThe Empire Strikes Back (1980。邦題は『帝国の逆襲』。監督は誰だと思います?すぐに言える人はかなりキテマスヨ。)の時と同じように、「ふざけるな!金返せ!」となる人も多いんじゃないかと思うのも事実で(って、私がそうだっただけなのだが…。)、最終章については本作の半券持参なら半額で入れるようにするとか、そういう配慮が欲しかったのは確かなのだが、まあそれも措いておこう。
いやいや、「措いておこう。」と言ってもそんなに簡単に措いておくわけにはいかない。要するにこの映画、話の途中で見事なまでにブチっと切れてしまい、それを予め知っていてもいなくても観客はそこそこ呆気にとられることになる。一応、主人公Neo(Keanu Reeves。映画の中では、字幕とは違って「ニオ」と発音されてますんでご注意下さい。もう一つ言っておくと、字幕で「救世主」と訳されている言葉は‘the one’。クリスト教文化圏では救世主=MessiahはJesus Christ以外には考えられないので、これは当然といえば当然の配慮である。)とTrinity(Carrie-Anne Moss)の恋がこの映画の中核となっていて、それを巡るプロット群は一貫した一つの物語にはなっているのだけれど、やはり「尻切れトンボ」感は否めない。
推測するに、あたかも、Wachowskiも多分観た(かな?)はずの『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版』(1997)の如く、創っているうちに構想がどんどん肥大・拡大し、いつの間にか5時間近くの長尺になってしまったんでしかたなく2回に分けることにしたんだろうけど、そういう作り手側の台所事情なり皮算用なりはこちらとしてはどうでも良くて、受け手側の人間の大部分は恐らく、一応一つの完結したものを観ないと気持ちが悪い、あるいは収まりがつかないのではないだろうか、それでもって、それを考えると、寛容で知られる私でさえ「これはあんまりではないか」、と思うのだ。Yahoo!Moviesのレイティングは余り当てにならないのだが、第1弾が4.4点(5点満点)なのにこの作品が現時点で3.8点しかとっていないのは、多分この辺に原因があるんじゃなかろうか、と推測する。
というようなわけで、問題の多い作品なのだが、評論を「コンクルード」するのも映画が完結してからにする予定。一応、以下中間報告的なことを述べるなら、取り敢えずこの第2部のテーマは「選択choice」という言葉に集約されるものである。<以下ネタ晴らしをするので未見の方は読まないように。>主人公Neoはマトリックス(ちなみに、‘matrix’の元々の意味は「子宮」である。)の中で、日本人男性中年サラリーマンをイメージした「キーメイカ key maker」と呼ばれる人物と出会い、マトリックスを動かしているプログラムのソース・コードが置かれている場所に行き着くのだけれど(「ソース・コードって視覚化出来るの?」、という疑問は野暮か…。)、そこで<Trinityを失ってでも人類を救う>か、あるいは<人類を滅ぼしてでもTrinityを救うか>の「選択」を迫られることになる。実のところ、<選択の余地などない>、というのがこの映画の結論であり、かつまた最も興味深い部分であると思われるのだけれど、これについては一つ述べておきたいことがある。
さてさて、誰もが知る通りの日本製アニメーション・オタクであるWachowski兄弟は、高橋しんが創った『最終兵器彼女』(小学館、全7巻からなる単行本は2000.07-2002.02刊)というコミックもそのアニメーション版もまだ観ていないと思うのだけれど、多分そのうちにこれを読むなり観るなりして狂喜乱舞することになるだろう、と予言しておこう。さよう、このコミック、タイトルの通り人類の生殺与奪権を持ってしまった一女子高生と、その彼氏とのはかない恋を描いた作品なのだが、扱われているテーマはこの映画とほとんどシンクロナイズしている。なんでこういうことになっているのか、という理由は簡単で、『最終兵器彼女』という作品が、ここ20年くらいの間に生産された日本製コミックやアニメーションが扱ってきたテーマを高橋しんなりに煮詰めて作られたものであり、これはこの映画がWachowski兄弟によるほとんど同じような作業を通じて作られたものだから、なのではないかと推測した次第である。
さてさて、ここまで打ってきて、評論の構想がそれこそ肥大・拡大してしまい、そろそろキリがなくなってきたので終わりにするけれど、いずれちゃんと完結させるんでお待ち下さい。以上。(2003/06/28)