奥泉光著『浪漫的な行軍の記録』講談社、2002.11
1994年に『石の来歴』で芥川賞を受賞し、その後は純文学の枠組みの中でエンターテインメント性をいかに発揮するかに腐心してきたかに思える同著者による最新長編である。第2次世界大戦時における南方での日本軍の悲惨極まりない行軍を再び扱っていることがそもそも象徴していると思うのだけれど、『石の来歴』辺りのストイックな純文学路線に回帰しつつ、それでもなお文章の端々にここ10年ほど続くいわば夏目漱石的諧謔とでもいうべきものを含む文体の駆使を忍ばせることで、ある種の新境地を示す作品となっている。
従軍経験のない、というより戦争経験のない1956年生まれの同著者が、従軍経験を持つ大作家である大岡昇平あたりが描いてきたあの戦争についての記述・叙述を(本書における南方戦線の描写は明らかに大岡の『野火』から多くを借りている。というより、この作品自体があの小説のパロディとも受け取れる節すらある。)、21世紀という結局また戦争の世紀になりつつあるこの時期に再度咀嚼し再構成する試みには、文学的営みとして十分な意味があり、かつこうした作業が行なわれたこと自体を問題視せねばならないものとさえ思う。
すなわちこのところ、日本では高村薫、村上春樹らが文学というスタイルによって、あるいはアメリカなどでは例えばRoman Polanskiが映画というスタイルによって、第2次世界大戦を取り扱いかつまたその作品が広く受け入れられたわけだけれど、こういう傾向が一過性のものかそうではないのか、という辺りを見極めなければならないと同時に少なくとも、一過性のものだったとしてもこういう傾向が一時的に現われたことは特筆に値するものであると考えた次第である。
作品の中身についてはごく簡単に触れるにとどめるけれど、とりわけ、今日の日本が「死人(しびと)」の王国であり、それは南方戦線を行軍する兵士の観た「夢」なのである、という本書の基本的な叙述スタイル、あるいはそれとは逆に、村上龍の『五分後の世界』を思わせるような、あの戦争ないし行軍はまだ終わっていない、といわんばかりの記述が大変強烈な印象を残したのであった。ということで。(2003/05/04)