鎌田東二著『神道とは何か―自然の霊性を感じて生きる―』PHP新書、2000.5

今日、「神道」について考えることの重要性は大変良く分かる。また、本書の第3章「神と仏はなぜ習合したか」の後半部分、第4章「神仏分離令と民衆宗教」については、余りにも常識的かつ教科書的な点を除けばこういうタイトルの本には適当な記述の在り方をしているとも思う(但し、他の章でもそうなのだけれど、第4章で神道を「ディープエコロジー」と見なしている点については、はっきり言って「勘違い」だと思う。ディープエコロジーは、人間中心主義批判に留まらず、むしろ人間否定(2傍点)まで行き着いているのだから。)。しかしながら他の部分、例えば第1章「神道の環太平洋ネットワーク」などというのは、タイトルだけでも笑ってしまうし(失礼!!!))、本書は全体としては神道の「ハイブリッド性」を前面に押し出しているという点ではそれなりに「買える」代物であるとは言え、結局は第3章の前半部分におけるように、「梅原猛」流の縄文還元主義ないし、縄文本質主義に陥ってしまっていて、この辺りには二枚舌を感じざるを得ない。そうそう、所謂かつての「日本宗教」論とあんまり変わらないではないか。私見では、実証ないし実感不可能な古代について語るのはもう止めた方が良いのではないかと考えている。さて、鎌田氏の持ち味は、まさに実感主義(但し、折口信夫とは違う意味での。)にあると思うのだが。更に言うと、第5章「神道を日常生活にいかす」、第6章「これからの神道」については、「何でこの人がこんな事を書かなきゃいかんのだ?」といった内容。PHP研究所が改稿してたりして(あり得るぞ。おお怖い。)。まだまだ、鎌田氏はお説教を垂れるお歳ではないと思うのだけれど、どうしちゃったんだ?(2000/07/22)
植島啓司著 『聖地の想像力―なぜ人は聖地をめざすのか―』集英社新書、2000.6
大変面白かった。現時点での「聖地論」の一つのメルクマールにさえなるのではないかとさえ思う好著である。植島は本書冒頭で聖地の特質として9項目を挙げているのだけれど、これは批判、賛同、発展その他の形で、今後広く引用されることになるような気がする。本欄から引用するというズボラな作業を禁じるべく(そんな事はしないって!?)、敢えてこの欄には掲載しない。ご自分で確かめて欲しい。その中で、一つだけ、これは植島自身も恐らく最重要視しているものだけ挙げておくと、それは「聖地はきわめてシンプルな石組みをメルクマールとする。」(p.5)というもの(尚、この特質はJ.A.スワン著、葛西賢太訳『聖なる場所』春秋社、1996(1990)からインスパイアされたもののようである。)。こんな事は当然の事ながら全然考えた事もなかったけれど、言われてみればこれはとても普遍的に当て嵌まる事のような気がする。案外盲点だったのではなかろうか。ついでに言うと、これには例外があるんだろうか。今のところ、思いつけない私なのであった。(2000/06/29)
谷川健一著 『うたと日本人』講談社現代新書、2000.7
最近古橋信孝、藤井貞和、兵藤裕己等の歌謡論をさんざん読みまくっていたせいか、こういう本を読んでも「今更何を言っているのか?」という感慨しか抱けないのであった。沖縄に「日本文化」の源流を求めるのも、いい加減止めた方がよいのではないだろうか。「古代にはアニミズムが云々」などというロマン主義的視点も同様である。ちなみに、ここで「うた」と呼ばれ、事例として扱われているのはあくまでもテクスト化されたものである。歌謡論に新しい地平を開くには、うたわれる場や、うたわれ方を問題にせねばならないと考えている。(2000/08/09)