小倉紀藏著『韓国人のしくみ 〈理〉と〈気〉で読み解く文化と社会』講談社現代新書、2001.01
未購入の『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム』(同新書、1998.12)に続く韓国ないし朝鮮文化論。そうそう、朝鮮民主主義人民共和国の文化や社会にも言及しているので、「韓国人の…」というタイトルには問題があると思うのだけれど、それはおくとして、大変啓発されたことは事実である。特に、表紙裏あるいは36頁にある、「韓国は大きな〈理〉が支配しているが、この〈理〉の範囲を外れれば、そこには広大なる〈気〉のフィールドが野放しにされている社会です。これに対して日本は、〈理〉が限りなく細分化され、社会のどこに行ってもその場の〈理〉というものが支配しているので、いたって窮屈に感じられる。…巨大な一枚岩的な〈理〉は存在しないかわりに、細かな生活レベルの〈理〉がいたるところにあるので、〈理〉から逸脱した解放感をなかなか感じることができない、そのような社会だと思うのです。」という記述に見事に要約されている、日韓ないし日朝の文化・社会比較は、「なるほど!」と思わせるものであった。そう、本書は、韓国ないし朝鮮文化論であると同時にまた、三ヶ国の「相互比較」という作業を通すことによって、同時に新しいタイプの日本文化論ともなり得ているのではないか、ということを考えた次第。欧米との比較に拘泥し続けてきたと批判されているいわゆるこれまでの「日本文化論」を脱却するためには、こういう視点こそが、今後重要になってくるはずなのである。そんなところで。(2001/07/09。ちなみに、上記『韓国は一個の哲学である』は8/16にようやく読了した。どうせならセットで読まれることをお勧めするが、もしどちらか一冊を選ぶなら、というのであれば『韓国人のしくみ』がよろしいかと思う。何しろ、前者の記述は極めて抽象的で、やや晦渋とさえ言える内容だからである。2001/08/19)
麻耶雄嵩著『木製の王子』講談社ノベルス、2000.8
冒頭の、「白樫」「那智」両家間の、交叉イトコ婚関係を含む単純明快とさえ言える系譜図から始まって、ちょろちょろと顔を出す創世神話、ついで中盤における両家9名のアリバイ関係とその説明、更には後段において行なわれる上記系譜図の神話論的解釈まで、「うーむ、うーむ。」とうなり続けたまま読了した。343ページで終わるさほど長いとは言えない作品ではあるけれど、中身の濃さは途方もないもので、改めてこの著者の力量を思い知らされた次第。なお、如月烏有(きさらぎ・うゆう)を登場人物とする作品群に含まれる訳だけれど、『夏と冬の奏鳴曲』や『痾』(どちらも講談社文庫刊、出版年は面倒なので示さない。)その他において、音楽、絵画をサブ・モティーフとして重用してきた麻耶は、この作品でもそのパターンを踏襲している。そういうところにも、興趣をそそられるのであった。(2001/07/18)