本橋哲也著『ポストコロニアリズム』岩波新書、2005.01
ポストコロニアリズムを植民地主義、すなわちコロニアリズムの「終わることなき再検証」と規定しつつ、その学説史、今日的意義などなどを記述した概説書である。大航海時代から列強による文字通りの植民地支配の時代、第2次大戦後における形式上の独立時代、そして冷戦後という暫定的な時代区分を念頭に置きつつ、フランツ・ファノン、エドワード・サイード、ガヤトリ・スピヴァックという3人の論客について簡にして要を得たまとめを行ないつつ、日本という今日一見植民地主義とは無縁に見える社会が実のところそれに極めて深く関わっており、だからこそ我々はそれに取り組まねばならない、と説く。これを読んでいて分からなくなってきたことが一つあって、それをちょっと書いておくと、例えば競争力のある企業が市場を支配することは割合正当だとされる訳だが(ある程度歯止めもかかるのだが、実はその歯止め自体にそもそも正当性があるのかどうか疑わしいケースが多い。)、競争力というか、国力(軍事力が大きいのだろう。)を持つ国家がある国家なり地域社会を支配する、すなわち広義の「植民地」とすることはそもそもなぜ「良くない」ことなのか。この問題、誰か答えられますか?(2005/04/04)
島田荘司著『ネジ式ザゼツキー』講談社ノベルス、2003.10
余りにも素晴らし過ぎて涙が出るくらいの作品。もう、タイトルからして凄い。つげ義春のコミック史上に残る名作「ねじ式」から貰ってきているのは明らかなのだけれど、色々な場所で既に引用されてきた(『千と千尋の神隠し』などなど…。)同作品に登場する様々なモティーフを随所に織り交ぜつつ、本書のストーリーは進行する。「ねじ式」なんていう言葉を造り出したつげ義春はとんでもない漫画家だと思うのだが、これにくっつけられる謎の人物に冠せられた「ザゼツキー」なる固有名詞の語感もなんとも素晴らしいものだ。さて、本書の基本的構成は同氏の書いた『異邦の騎士』以来お馴染みの、「記憶を失った男が語る奇妙な物語に隠された現実に起きた事件の真相を名探偵・御手洗潔が解明する」、というもの。でもって、その『タンジール蜜柑共和国への帰還』などという、これまた絶妙なタイトルを持つ小説内物語に登場するのが「ネジ式」であり「ザゼツキー」であり、The Beatlesであったりするのだけれど、これだけ途方も無い物語と真ん中辺で出てくる某国で起きたこれまた誠に奇妙な殺人事件の関係を解明する過程を、見事な筆致で纏め上げる島田荘司の力量には舌を巻かざるを得ない。やけにさりげなく出版された本だけれど、これはとんでもない傑作である。(2005/05/02)