京極夏彦著『塗仏の宴・宴の支度』講談社ノベルス、1998.3
「京極堂」シリーズ第6弾である。今回は連作「中編」(決して短編ではない。)集という形態をとっており、既にその内の何本かは雑誌に掲載されていたのをご存じの方も多いものと思う。本書はあくまでも「宴の支度」ということなので、解決編の『塗仏の宴・宴の始末』がまだ公刊されていない以上余り突っ込んだ事は書けないけれど、幾つか気が付いた点を述べておきたい。
今回物語の中心におかれているのはそれを食すれば「不老不死」になるという伊豆山中の山村の旧家に代々伝わる「くんほう様」と呼ばれる謎の「生き物」であり、冒頭ではこの山村ではかつて大量殺人が行われたらしい、という事が述べられ、前者を巡っての争奪戦、あるいは後者を巡っての隠蔽工作、その他諸々の権謀術数が全巻の基調をなしている。全部で六つの章からなっているけれど、最終章「おとろし」を除けば一応それぞれの章は独立した物語として、ある謎が与えられ、何らかの解決が与えられる、という形をとっていて、これが初めに「連作中編集である」、と述べた理由になっている。ただし、勿論「宴の始末」ではこれら全ての暫定的な解決は全てひっくり返る可能性もあるし、本書の各章間でもそうした「どんでん返し」は幾度も繰り返されているのである。
「くんほう様」以外にも、薬売り、催眠術師、「成仙道」なる新宗教教団、「みちの教え修身会」なる自己啓発セミナー的な集団、「華仙姑処女」なる霊媒師、「韓流気道会」なる気功道場、「長寿延命講」なる健康法講習会、「藍童子」なる霊感少年、「徐福研究会」なる学術団体の体裁を持つ怪しげな研究会など、実に様々な組織や個人が登場するのだけれど、全体としては「道教」が主題となっている事は間違いない。これまでの作品では第2弾以降はそれぞれ新宗教、神道、仏教、ユダヤ・キリスト教を扱ってきただけに、今回はどうするのかと思っていたのだが、そこに落ち着いた事になる。しかし、「道教」の扱いを巡っての日本民俗学批判が451頁辺りから展開されているのだが、中国の古典なんてほとんど読んだことのない私にとっても頭の痛いところであった。どうでもいいことだけれど、この部分を含む「しょうけら」の章では「庚申信仰」が主題として取り上げられているのだが、参考文献には窪徳忠の名が当然のように掲げられており、「なるほどねえ、そういうのを読んでるのか」などと思ってしまった。
なお、中編としての出来は「ひょうすべ」の章がぴかいちだと思う。誠に見事な落ちが付けられている。
こんなところで。一日も早い「宴の始末」の公刊を臨む次第である。(1998/04/09)