京極夏彦著『塗仏の宴・宴の始末』講談社ノベルス、1998.9
3月刊の『塗仏の宴・宴の支度』の解決編。そう、まさに解決編なのである。困ったことに。前作『絡新婦の理』で「主体なき構造的犯罪」、あるいは「犯罪という主体的行為自体の解体」とでもいうような図式を持ち出したわけだけれど、今回は主謀者がはっきりしていて、最終的には全てがあからさまになってしまうのである。これは、ある意味で後退ではないのかといぶかしんでしまう。そう、『魍魎の匣』辺りへの。後退では決してなく、敢えてそこまで引き戻した、ということかも知れないけれど。ちなみに、『魍魎の匣』においてですら、それなりに主謀者ははっきりしているのだけれど、実行犯達は結局のところ自分の行為の持つ意味を、全体を鳥瞰する超越者的な視点において、という意味では決して明確に知悉してはいない、という前提で貫かれていたことも付け加えたい。そういう視点を持つ黒幕の登場は今回が初めて、ということになるだろうか。このことによって、善悪がはっきりしてしまって、今までの作品群と比較して、やや凡庸な犯罪小説と化してしまっていることは否めないだろう。
これで6作が出揃ったことになるけれど、今になって気付いたのは、このシリーズの基本的なテーマとして、実は「家族の解体」というのがはじめから存在しているということで、今回はこれをかなり明瞭に描き出そうとしている。「イエスの方舟」についての芹沢俊介的な図式で言えば、<家族の解体→それを代替する共同体の出現>ということになるのだろうか。時代設定が昭和28年なので、この当時の新宗教その他というのはむしろ「貧・病・争」ということが主要因となって飛躍的に伸びたという学説を考えあわせると、ちと早いのでは、などと考えてしまう。家族が解体し始めるのはやはり高度経済成長以降のように思われるからである。まあ、その萌芽は、近代に入ってから隠然としてあったのだから、良しとするか。しかし、この辺の話はとても重要なことなのに、前作で家父長制だの母系制だのについてあれだけ事細かに論じたこの著者が、「家は制度だが、家族は制度ではない。」、「家族とは慣行なのであって、第三者の視点が登場することによって崩壊する」位の簡潔な議論しか述べていないのは少々不満であった。中禅寺秋彦の延々数百頁に及ぶ長広舌が欲しかったところである。
もう一つ、今回は随分妖怪とその出自等を巡る議論が少ないな、という印象を受けた。妖怪やその他の怪異にまつわる、それこそ近代合理主義的な解釈は既に前5作で言い尽くされた観もあるので、いたしかたないのかもしれないが、それはともかくとして、本作では結局のところ、第3章における多々良勝五郎(何とも思わせぶりなネーミング。「羽田製鉄」なんてのも今後問題になって来るんでしょう。)が提示した「塗仏」=「付喪神」説を発端とした、「精」、「霊」、「式神」、「物の怪」等に関する議論位しか行われていない。ここにおける「渡来人」や「被差別民」、あるいは彼らが所有し、もたらす技術・道具とその妖怪化にまつわる話はなかなかに興味深いものであった。実のところ全編を通して、この辺しか頭に残っていないのである。なお、「燭陰」という妖怪あるいは神の「目が縦だ」、という中国古典の記述を援用しつつ、石燕の筆によると目玉がそれこそまっすぐに飛び出しているという意匠を持つ塗仏の起源を説こうとしているのだけれど、燭陰の「目が縦」というのは、爬虫類や猫の「目が縦」ということから来ているだけのことなんではないでしょうか。燭陰は竜みたいな形状で描かれているわけだからね。どうも今回の中禅寺、あるいは京極さんの妖怪論は余り切れていないな、という印象であった。
なお、この作品では旧内務省や旧陸軍の人間が重要な働きをするのだけれど、544頁にある、そういう人たちが国内で諜報活動めいたことをする際に「郷土史家とでも、民俗学者とでもいって尋けばいい」なんていう台詞があるのだけれど、これって、高級官僚(農商務省に勤務後、貴族院書記官長までやっている。)にして日本民俗学の創始者である「あの男」への物凄い当てつけなのだろうね。村井紀の本などを読んでいると、「あの男」が物凄く政治的な意図を持って当時の「日本」国内を歩きまわっていた、ということがまことしやかに書かれているけれど、まあ、そこまで言わずとも、582頁に見られるような民俗学が第三者の視点(今回はこれにこだわっているよね。)を「村」に持ち込むことによってそれを解体し、破壊してしまうものだ、という一節は、全くクローズドな村社会なり共同体を前提としているから必ずしも正しくはないのだけれど、それなりにここ数十年の西欧人類学者その他によるかつての植民地主義人類学批判を踏まえているように思え、なかなか面白かった。
ところで、次回作『陰摩羅鬼の瑕』は一体何頁になるんでしょう。これまでだんだんと増量してきて、今回は1,250頁だから、次は1,500頁位になるんだろうか。今回も電車の中で読んでいたのだけれど、手が疲れてしまいましたよ。ああ、文句ばかり並べてしまった。でも、これは期待の裏返しなんですから。次回作ではあっと驚くような凄いことをやって欲しいものです。(1998/10/03。10/04に大幅加筆。)