Cameron Crowe監督作品 VANILLA SKY 2002.07(2001)
この作品は、既に別のところで述べた通り、Alejandro Amenabar(最後から2番目のaは右上がりアクサン付き。)が創ったAbre Los Ojos(1997。未見。)という映画の脚本を基に、ハリウッド資本で製作されたもの。といいつつ、中心的な出資者は主演もしているTom Cruiseである模様。まあ、そういうご託はこの位にして中身に入る。
以下、取り敢えずのストーリーを示そう。マンハッタンに住む主人公David Aames(Tom Cruise)は若き出版界の帝王として贅沢三昧の日々を送っていた。彼にはベッドを共にするほどステディな(この形容動詞は使い方がおかしいかも知れないです。‘steady’の原義は「しっかりした」とか「安定した」という意味なもので。)女性Julie Gianni(Cameron Diaz)がいるのだけれど、ある日パーティで出会ったSofia Serrano(Penelope Cruz。頭から2番目のeには右上がりアクサン付き。)に一目惚れ。それに気付いたJulieは、Davidを助手席に載せた車の中で激昂し、暴走。車は橋の下に転落し、Julieはどうやら死亡、Davidもこれまたどうやらその美貌を誇っていた顔面その他に大きなダメージを受けることとなる。事故から一時をおいたある時点で、失意のDavidは、またまたどうやらどこかで何らかの犯罪を犯したらしく、刑務所内で精神分析医のカウンセリングを受けているのだが、その犯罪とは一体何なのか?という辺りの謎を物語構成上の核として保持しつつ、映画はDavidの夢と現実が錯綜する複雑な構成をとりながら進んでいく。
上に述べたのはほんのさわりに過ぎず、話が進むにつれてDavidの置かれた極めて複雑な状況が次第に明らかになっていく、のではなくてますます錯綜と混迷を深めていくことになる。(以下、この作品を未見の方は読まない方が良いです。)実は、元々の脚本を書いたAlejandro Amenabarがこの映画と同じ年に創ったホラー映画を先に見てしまったので、その真相については「この作者のことだから、要するに何でも有りなんでしょ…。」という感じで眺めていたのだけれど、まさにその通りであった…。ふうむ、「P.K.Dick的オチ」というか、「夢オチ」というか、例えば日本で書かれている近年のミステリでは割と反則視されているオチが使われているのである。(そこで登場する世界像は、来週末日本国内でも第2弾が公開されるThe Matrixシリーズにも近いものだ。ちなみに、‘matrix’の原義は「子宮」。こんなことを打ち込んでいてふと思いついたのだが、実はこの映画(Vanilla Sky)は、Davidの父親にはかなり頻繁に言及するものの母親は全く出てこない、というかその存在を示唆するものさえ隠蔽されている観がある。何故なのだろう?精神分析学的な深読みの可能性がこの辺りに存在するのも事実。)
まあ、別にそれはそれで面白いとは思うのだが、敢えてそういうメタ・レヴェルな次元に話を持って行かなくとも、あくまでも「現実」のレヴェルで話をまとめて、その枠の中で例えば「美貌を失った男が辿る数奇な運命」みたいな話として、そこに深い人間洞察を込めることも可能であったのではないか、と思う次第。例えば安部公房が『他人の顔』(新潮文庫あたりで出ているはず。)で行なった如くに、である。要するに、みたいなSF映画を創りたいのか、あるいは深刻な人間ドラマを意図しているのかが結局のところはっきりしないために、見終わって何だかモヤモヤした気分しか残らない、というのが本当のところなのである。そして、そういうモヤモヤ感を残したまま、眠りについた私もまた、結構変な夢をみたのであった。うーん、責任とってくれい。
最後にどうでもいい蛇足を。この映画、その内容は兎も角として、サウンド・トラックはとても良いです。一応20世紀終盤から21世紀初頭におけるポップ・ミュージック・シーンの在り方を一望できるほどの内容になっていることを述べておきましょう。以上。(2003/05/31)