Thomas Pynchon著 高橋良明訳『ヴァインランド』新潮社、1998.12(1990)
ようやく邦訳された。原書は持っているのだけれど全然読む暇も能力もなくほったらかされていたのであった。まあ、それでもこの著者による第4長編の翻訳は、原書刊行後8年というこれまでの最短記録なのだから、日本における同著者の評価も随分と変わったものだと感慨を受けるのであった。1997年刊行の新作はいつ邦訳が出るんだろう。
さて、中身については翻訳者である佐藤良明氏による素晴らしい「訳者あとがき」があるので、私如きにそれに付け加えられるようなことは何もない。個人的な読みとしては、物語の二つの中心である1969年(過去)と1984年(現在)の対比に興味をそそられた。それはニクソン/レーガン、ヴェトナム/ニカラグア、洗脳/マインドコントロールみたいな対立関係を主軸に、二つの時代に一貫して存在するドラッグカルチャー、TV及び映画文化(ハリウッド文化といってもいい。)、ロックンロール、アメリカンファシズム、良き強きアメリカというイメージ、精神世界への傾倒(ニューエイジと言い換えても差し支えなかろう。)の微妙な変容を微にいり際に入り描こうとしているしているように思えた。私見では、以前の長編『V.』及び『重力の虹』におけるそれこそ「百科全書」的な「知」の披瀝はなりを潜めているのだけれど、本作ではそれこそ「オタク」的なTVや音楽や映画に関する膨大な「知」(「情報」の方がいいかも知れない。そんなものは「知」ではないような気がするので。岡田の本を読んでから「オタク」に対する反感が一層強くなっている私である。)が詰め込まれていることにこそ着目しなければならないと思う。これは決して、Pynchon氏が日本のみならずアメリカにおいても1980年代に入ってハバを効かせ始めたオタク的文化にどっぷりと浸かり込んでいる、ということではなくて、むしろその浅薄さだとか、しょうもなさを揶揄あるいは批判しようという意図をもって本書を執筆したのではないか、ということなのだけれど、それは、本書の「現在」が1984年という誠に象徴的な年に設定されていること(説明は不要でしょう。)、更にはヘクタというTV中毒者を徹底的にこき下ろしている(この人物がラテン系であることはやや人種差別的かも知れないのだけれど。)ことからほぼ明らかなのではないかと思う。ただし、安易な断定は保留しておいた方がよいのかも知れない。何しろ奥の深い作品なのだから。
ともかくも、本書は一筋縄ではいかないPynchon氏の諸作品の中では最も「読みやすい」のではないかと思う。訳者の力量によるところも大きいと思うけれど、14歳の少女プレーリィによる失われた母の探求の物語は、それなりに予定調和的で「一般読者」には分かりやすいなものだし(「エリート読者」には物足りないかも知れないけれど。)、最後のおまけもなかなかに気が利いている。これまでPynchon氏の作品に触れたことのない方には、まずはここからお入りになることをお薦めしたい。それはそうと、アメリカ大衆文化をもっとよく知っていたら本当に楽しめるんだろうなあ、などと考えてしまう。まあ、『宇宙家族ロビンソン』なんてものを民放で再放映しているような国だから(今頃になって劇場版を作ってしまう国はもっと凄いんだけど。)、案外そういうものには知らず知らずの内にどっぷりと浸かってきてしまったのかも知れないけれど。それを考えるとちょっと寒くなるのであった。(1998/12/28)