ケン・ローチ監督作品 『麦の穂をゆらす風』
原題はThe Wind That Shakes The Barley。邦題はと言えば、まあ、そのままであるのだけれど、これは冒頭におけるある重要なシーンで用いられるアイルランドに古くから伝わるものらしい楽曲のこと。気になったので調べてみたのだが、実はここにその淵源(19世紀とのこと)やら歌詞そのものまでが載っている。ついでに言うと「どこかで聞いたことがあるなぁ」、と思ったのだが、The Chieftainsなどが取り上げているのだからアイリッシュ・ミュージック愛好家の私にとってそれは当たり前のことである。ついでに言うと、The CorrsのアルバムHOMEに“Moorlough Shore”という余りにも素晴らしい曲が入っているのだが、実はこれの原曲のような気もしている(これってアルバム表記の通りオリジナル曲なんだろうか?誰か教えて!)。
前置きが長くなったがこのイングランド出身の巨匠ケン・ローチ(Ken Loach)監督が作り上げた映画は、2006年度のカンヌ国際映画祭で絶賛を浴びた末に最高賞パルム・ドォールを受賞し、日本でも昨月の封切り以後かなり高い評価を得ている作品である。その内容はと言えばそれは基本的には、現在のアイルランド共和国がまだ英国の一部だった1920年におけるその独立運動から、自治領となった後の内戦(1922-1923)にかけての、それらに深く関わった、劇中ではその名前が出てこなかったかに思う南部の田舎町コークに住むとある青年医師とその兄が辿った運命を描いたもの、ということになるだろう。
抑制のとれた演出と脚色、そしてあくまでも市井の人々の視点から宗主国による抑圧から独立運動、内戦という何とも苦渋に満ちた歴史を描こうという姿勢を貫いたことにより、例えばスライゴー生まれのニール・ジョーダン(Neil Jordan)監督による同じくアイルランド独立運動を描いた超大作『マイケル・コリンズ』(原題Michael Collins、1996年の作品)などのようなものとは対極をなす作品となっていると思う。ただし、例えばそもそも歴史上の人物を主人公に据えた『マイケル…』のようなある意味での説明過剰さが全くない分、この映画(=『麦の穂…』)ではその中で描かれる物語の背景を全く理解することなく終わってしまう可能性がある。
上のことは例えば映画において戦争や歴史のようなことを描こうとする場合に避けて通ることのできない「選択」なのだと思うのだけれど、この作品では敢えて背景についての説明を最小限にとどめることによって、より「戦争一般」あるいは、「戦争一般が引き起こしうる悲劇」とでも言うようなものを描こうとしているようにも思える。固有名を持った個人群の死を丹念な形で描くことで、それとは裏腹にある種の普遍性を勝ち得ようとしているとも言い換えられるだろう。
これは映像やテクスト作品のクリエータがとるべき方向性の一つとして全く妥当なものだと思うわけで、実はこの作品、同監督がこれまでに作ってきた数々の作品同様もの凄く地味な映画であるのだが、今回の各界からの高い評価というのはここに来てこの人の作風というか芸風といったものもようやく本格的に理解され始めたのかせいなのかも知れないとも考えた次第である。
さてさて、やや蛇足めいたことを書いて終わりにするけれど、本作の主人公ダミアンを演じるのは『バットマン・ビギンズ』(原題Batman Begins。2005年の作品。)でのあの「悪役」ぶりが何とも鮮烈だったキリアン・マーフィ(Cillian Murphy)。かなり良い演技を見せていると思うのだが、実はこの人、アイルランド人である。以上。(2006/12/13)