歌野晶午著『葉桜の季節に君を想うということ』文春文庫、2007.05(2003)

元々は文春の「本格ミステリ・マスターズ」の一冊として出ていた、第57回日本推理作家協会賞などなど数多くの賞に輝いた大変な傑作である。いやぁ、もう何も言えません…。
それでは元も子もないので簡単に紹介を。元探偵で今はガードマンやらパソコン講師やらをしている自称「何でもやってやろう屋」の成瀬将虎(なるせ・まさとら)は、とあることからインチキ健康グッズ販売会社の素性調査のようなことを始めることになる。調査が進むのと並行して自殺寸前のところを救った麻宮さくらなる女性との関係が次第に深まっていき、やがて…といったお話。
今は亡き藤原伊織の名作『蚊トンボ白鬚の冒険』(講談社、2002)のような軽快な文体といい、ここでは何も語れないそのプロット構成といい、更には登場人物達、中でも主人公の人物造形といい(これは人生の新たな目標となってしまったかも知れない…「 サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ 」、って宮澤賢治か?)、これほど見事な作品というのはそうそう無い訳で、正に感服、感無量。のっけからの開けっ広げな描写に辟易することなく、是非とも最後まで読んで頂きたいと思うのである。以上。(2008/02/22)

黒田研二著『ウェディング・ドレス』講談社文庫、2008.02(2000)

私が今のところ拠点としている三重県出身の作家・黒田研二による、第16回メフェィスト賞を受賞したミステリ。結婚を予定している男女双方からの視点で物語が進行し、そこに『十三番目の生贄』というアングラ系AV作品を巡る謎が絡まり、更には結婚式当日とんでもない自体が勃発し、話は混沌の極みへと向う。その果てにあるのは、というお話。
とても良く出来た作品なのだけれど、それはあくまでも小説技巧面での話。どうも、人物造形に難があるというか、著しくバランスを欠いているように思う。ファンタジィなら許されるかも知れないが、現実世界の話であることが前提になっているはずなのだから、こういう余りにも不自然=人工的な人物設定というのはどうなのか、と考えてしまう。要するに、この作品の登場人物達は共通して「ゲーム内存在」っぽい感じがしてしまい、それが鼻をつくのだ。確かにこの作品の形式上致し方なかったのかも知れないが、そこをなんとか乗り越えて欲しかったと思う。以上。(2008/03/08)

石持浅海著『扉は閉ざされたまま』祥伝社文庫、2008.02(2005)

愛媛県出身の作家・石持浅海による、「碓氷優佳」シリーズの第1作。いわゆる倒叙もの、であり、既に第2弾『君の望む死に方』が刊行されている。2006年版「このミステリーがすごい!」で堂々の第2位にランクインし(1位は『容疑者Xの献身』)、先日TVドラマ化もされた作品、である。
大学時代に軽音楽部に属していた7人が、同窓会をとあるペンションで開くことになった。その一人である伏見亮輔は、事故を装って後輩の新山和宏を殺害、発見を遅らせるべく現場の扉を閉ざした。密室状況であることから事故または自殺の可能性が浮上するが、碓氷優佳はそれに疑問を抱く。伏見と碓氷、最後に勝利するのはどちらか、というお話。
さすがに緻密に組み立てられた作品で、その高評価にもうなずけた次第である。頭脳戦、という一点に絞れば、近年まれに見る傑作だと思う。ただし、動機についてはやはり疑問が。許せなくても、殺さないだろう、他にもやりようがあるだろう、と思ってしまうのである。第2弾以降で、別の何かが明かされるのだろうか?以上。(2008/04/20)

米澤穂信著『犬はどこだ』創元推理文庫、2008.04(2005)

注目すべき作家である米澤穂信による長編の文庫版である。『このミステリーがすごい!』2006年版で8位にランクインし、著者の知名度を一気に上げた一冊、となる。
紺屋長一郎は、わけあって銀行を退職して地元に帰り、犬捜し専門の調査事務所〈紺屋S&R〉を始める。しかし、舞い込んできた依頼は失踪した若い女性の捜索と、古文書の解読という変な取り合わせ。給料歩合制の助手として働き始めたハンペーこと半田平吉を所員に加え、事務所は二つの件に着手するが、やがて…、というお話。
文体とか、キャラクタ造形などにハードボイルドなところは全然ない、のだけれど、その実かなりハードボイルドな作品。張り巡らされた伏線がスルスルと回収されていき、更に捻じれていく様は爽快でもあり、反対にかなり毒気を感じるものでもあった。かなり個性的、な作風だと思う。
ちなみに、表紙に「ケースブック1」と書かれているので、きっと続編が出てくるのだろう。大いに期待したいと思う。以上。(2008/04/26)

池澤夏樹著『静かな大地』朝日文庫、2007.06(2003)

第3回親鸞賞を受賞した大長編である。池澤夏樹が生まれた当時父母の疎開先だったために彼の出生地となった北海道を舞台とした大河ドラマで、彼自身の母系の曾祖父とその兄をモデルとする宗形兄弟を中心人物として、明治期における彼らを含む和人による北海道入植と、その結果として滅び行く民となったアイヌ達の運命を描いていく。
史実に基づいた大きな流れを随所に入れつつ、そしてまたこの著者らしくアイヌの生活文化に関しての非常に細かいところまでをアイヌ語を交えた文体によって丁寧に描写した見事な作品で、既に多くの傑作を世に送り出してきたこの著者がここでまた新たな代表作を生み出したとも言えるように思う。
「滅亡」の語りを、過度な激情をもって、あるいは本当にそうなのかどうかについては再考の余地がある「和人の悪辣振り」や「アイヌの善良さ」といったようなものを殊更に強調するような形ではなく、むしろ淡々とした筆致で書き綴っている、という印象で、実はそうした書き方によって、ことの重大さ(=アイヌ及びアイヌ文化が消滅寸前に追い込まれているという事実と、そのことが持つ意味)はより鮮明になっているのではないかと考えた次第である。以上。(2008/05/06)

佐藤友哉著『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』講談社文庫、2007.03(2001)

第21回メフィスト賞を受賞した佐藤友哉による鮮烈な印象のデビュウ作。実にノベルス版刊行から6年を経ての文庫化となる本書は、その後も引き続き書かれている「鏡家サーガ」の第1作でもあり、サブ・タイトルにある鏡家第三男の公彦(きみひこ)が主人公となる。
J.D.サリンジャーの「グラース・サーガ」をもじった鏡家サーガ共通の事柄として舞台は北海道であり、時代的には書かれた当時は近未来に属していた2007年となる。妹である三女・佐奈を強姦しその自殺の原因を作った3人の男達に復讐すべくその娘や孫を誘拐し監禁する計画を練り、それを実行していく公彦の物語と、長らく続いている連続少女殺人事件=「突き刺しジャック事件」の犯人の視覚に直接接続できる能力を持つ公彦の幼なじみ明日美の物語がほぼ並行して進み、話は紆余曲折を経てある結末へと進む、という構成をとる。
公彦の姉である超オタクという設定の次女・稜子(りょうこ)が予言能力を持っていたり、上のような遠隔視覚みたいなこともあり得るということなどから、私はこの本を仮想世界を舞台としたファンタジィ色の濃いスプラッタ系ミステリ、として読んだ。それでもなお、実のところ謎解きなどにおいてミステリとしてもきちんとした骨格を持っているし、著者なりの「ここから外は反則」みたいな線引きがなされて一定の論理性は保持されているということも述べておきたい。続いて第2作へと進む。(2008/05/22)

佐藤友哉著『エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』講談社文庫、2007.09(2001)

「鏡家サーガ」の第2弾となる長編である。時代的には第1作から遡って次女・稜子の高校生時代、ということになる。稜子の通う札幌市のとある共学私立高校を舞台に、人肉食少女、コスプレ少女、いじめられる少女、謎の美少女転校生、そして超オタクな稜子といった面々を中心人物として、群像劇的な物語が綴られる。
さてさて、取り敢えずタイトルが素晴らしいのだけれど、これの意味するところについてはほとんど説明されていない。サブタイトルの密室殺人事件も話の中で一定の役割を果たしてはいるけれど中心というわけではない。どうも、「鏡家サーガ」という大きな流れがあって、その中で色々な事件が起きて、それが互いに重なり合っていて、それを取り敢えずまとめられるところまでまとめて提示した、というような体裁の小説になっているように思う。
担当編集者の太田克史氏をさりげなく、というかあからさまに登場させているところが笑えるのだが、それはさておいて、と。この作品でも一般的にはあり得ないとされる能力が幾つか使われていて、それでいてあるルールは守られている。その中で幾つかの謎は解き明かされ、大きな流れの一端も少しは垣間見えてくる、というような具合である。こういうスタイルの善し悪しというのはシリーズ未完の中で判断が難しいところなのだが、今は取り敢えず読み続ける他はない。
ついでながら、この本、「ジョジョ」も含めてのコミック・アニメ等々へのおびただしい言及が個人的には楽しめた次第。普通に楽しめる自分が怖かったりもするのだが…。以上。(2008/05/24)

佐藤友哉著『水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪』講談社文庫、2008.04(2002)

第3弾の長編。これをもって鏡家7人兄弟姉妹の名をサブ・タイトルに持つ作品は書かれなくなり、その後は「鏡姉妹」ものとこれまたサリンジャーからタイトルを借りた「ナイン・ストーリーズ」と名付けられた短編群へと移行している。なお、2008年5月の時点では『鏡姉妹の動物会議 〈鏡家サーガ〉本格編』が『メフィスト』誌上で連載開始されたばかりである。
さてさて、肝心の『水没ピアノ』だけれど、これはアルバイトとメールに明け暮れる引きこもり青年、監禁と密室殺人が横行するとある家族の一員の画家、ひたむきにとある「敵」から幼なじみの少女を守ろうとする少年、という3人の物語が並行して書かれていき、やがてとんでもない仕掛けが明らかになる、というもの。探偵役的な存在として鏡創士が登場し、その引用癖を披瀝しまくっているのだが、引用元はP.オースターとサリンジャーが多い。
ミステリ、あるいは小説としての完成度は3冊中最も高いと思う。但し、上の2冊同様、この作品への評価は読者の嗜好によって大きく分かれるだろう。個人的には、サブ・カルチャーへのあからさまな傾倒振りはやや押さえられ、より一般読者を視野に入れたと覚しき作風になっているという印象を持った。勿論、それこそが佐藤友哉の個性とも言えるわけで、そういうことが減退したことについては賛否両論あってしかるべきかも知れない。3部作と考えれば統一感が無い、ということになるが、このシリーズはその後も書き続けられ、今後も続くことが分かっているので、その中で本書がどう位置付けられるか、ということがより重要である。以上。(2008/05/25)