化野燐著『件獣』講談社文庫、2009.05(2006)

これまでのところは岡山県を主な舞台としている妖怪伝奇小説「人工憑霊蠱猫(こねこ)」シリーズの第4弾。タイトルは「くだんじゅう」と読む。ついでながら、著者の名前は「あだしの・りん」と読む。
物語としては、第1-3弾からなる第1部完結後という時間設定。そして、話は相変わらず『本草霊恠図譜(ほんぞうれいかいずふ)』を巡っての小夜子・白石・龍造寺らと大生部ら有鬼派の対立が描かれる。登場人物として今回新たに件獣と関わりがありそうな「牛首塚(うしこべづか)古墳」発掘調査に関わる学芸員・奈義(なぎ)明と、その手伝いをするアルバイト・軽部時子が加わっている。
予知能力を持つ、あるいは予言を行なう、というような伝承が各地に伝わる妖怪「件」だけれど、化野によるその現代的意匠を纏わせた再物語化はこれもまた見事なものだと思う。どうやらこの1冊はこのシリーズのターニング・ポイント的な作品のようなのだが、その辺りのことについてはご自身で確認頂きたい。
ついでながら、第3弾『混沌王』に続いて本書の語り手も龍造寺であり、更に言えばそのせいもあってか本来主役なはずの美袋(みなぎ)小夜子の影が薄くなっているように感じるのは私だけではないだろう。こういうことでシリーズから離れていく読者もいるのではないか、とやや心配になった次第である。以上。(2009/08/31)

歌野晶午著『世界の終わり、あるいは始まり』角川文庫、2006.10(2002)

やや古いものだけれど、このところまとめ読みしている歌野晶午が、2002年に刊行した作品の文庫版である。ここしばらく久石譲さんのコンサート・ツアーに合唱団員として参加していたのだが、彼の曲に『The End of the World』というのがあって、これのイメージ作りのために読んでいた、というわけでもない。
さてさて、久石さんの曲は黙示録的なものだけれど、歌野によるこの作品は、非常に今日的で、かつまた慎ましいといえば慎ましい舞台設定を持つものである。埼玉県のベッド・タウンで発生した連続誘拐殺人事件の被害者たちの父親の名刺を、主人公の会社員・富樫修が小学6年の息子の部屋から発見するところから物語は始まる。「何故こんなものが?」、と自分の息子を疑い始める修だが、それは更に明らかになるいくつかの事実により確信へと変わっていき、そして…、というお話。
歌野晶午がこのところ取り組んでいるように思う「枠組み外し」と「再構築」作業の一つに数えて良い作品であり、確かにこれが出た当時の評価は「???」だったかも知れないのだが、その後の流れを知っている現時点で考えればこれが非常に意味のある作品であることは明らかである。意味のある、ということは、同時に極めて優れた、という意味でもある。是非ご一読の程。以上。(2009/09/04)

芦辺拓著『千一夜の館の殺人』光文社文庫、2009.08(2006)

独特な雰囲気を持つ作風で知られる芦辺拓(あしべ・たく)による、2006年にカッパ・ノベルスで出た<森江春策(もりえ・しゅんさく)もの>本格ミステリ作品の文庫版である。
天才的な情報工学者である久珠場(くすば)博士が死去。その遺産は総額100億円にもなると噂された。全貌がはっきりしない遺産の管理を託された弁護士・森江春策の助手である新島ともかは、あることがきっかけで遺族の集まりに参加することになったが、そこに待ち受けていたのはおぞましい連続殺人事件であった。果たして、犯人は誰なのか、そしてまたその真の目的は…、というお話。
『千一夜物語』を大胆な形で取り込んだ、何ともスケールの大きな一作。全編に溢れる、古き良き、と言って良いだろう往年の冒険ミステリを彷彿とさせる謎めいた雰囲気と、ロジカルで軽快なプロット運びが絶妙な味わいを生んでいる、と思う。読書することの喜びを再認識させてくれる、佳品である。(2009/09/16)

化野燐著『呪物館』講談社文庫、2009.08(2006)

妖怪伝奇小説「人工憑霊蠱猫(こねこ)」シリーズの第5弾。タイトルは「じゅぶつかん」と読む。って、そのままか。前作『件獣』までは岡山県を主な舞台としていたこのシリーズだが、話は呪物館のある京都の山中へ。例によって『本草霊恠図譜(ほんぞうれいかいずふ)』を巡っての小夜子・白石・龍造寺らと大生部ら有鬼派の対立が描かれることになるのだが、古書店「文車堂」の娘・車持由妃(くらもち・ゆき)や呪物館館長・堀部惣治(ほりべ・そうじ)ら新キャラも加わり、後半へ向けてのある種ターニング・ポイント的な展開となっている。
お得意の蘊蓄もさほど語られず、更にはやや展開が単調な割にやたらと長いように思ったのだけれど、取り敢えず第3弾から語り部として据えられている「ダブル龍造寺」の謎というか正体らしきものが垣間見えた、という意味でなかなか興味深く読んだ。小夜子の存在感も前作に比べると格段に増していて、後半への期待を胸にしつつ読了したのであった。以上、簡単ながら。(2009/09/27)

東野圭吾著『さまよう刃』角川文庫、2008.05(2004)

寺尾聰、竹野内豊、伊東四朗を主要な配役として起用した映画が近く公開される、東野圭吾により2004年に発表された長編の文庫版である。今から考えるといかにも直木賞受賞前夜、という感じの、大変密度の濃い、そしてまた重い作品に仕上がっている。
映画では寺尾聰が演じることになる会社員・長峰の一人娘が、少年たちに拉致され蹂躙された上死亡し遺棄される、という事件が物語の発端。事件の当事者とおぼしき者からの密告電話により犯人たちを知った長峰は犯人グループの一人を殺害、逃亡したもう一人の追跡を開始する。犯人を追う長峰、そして長峰と犯人を追う警察とマスコミ。長峰への同情論が渦巻く中、事件は意外な結末を迎えることになる。
話自体の単純さは決して欠点ではなく、それはそれとしてこれ以外にないんじゃないかと思う。重要なのは、この作品が、少年による重大犯罪をどう考えるべきなのか、被害者という現刑法やその適用においてないがしろにされている感がある立場をどう考えるべきなのか、といった問題に真摯に取り組んでいて、そうした議論にきちんと一石を投じている点なのである。
そうそう、大事なことを。こういうテーマ(復讐の是非を問う、というようなこと。もしくは復讐は法的にも倫理的にもいけないことなのだろうけれどそれならば処罰はきちんと被害者感情を考えて行なわれているのか?、というようなこと。)とプロット(娘を奪われた父親による復讐劇)を持つ作品というのはこれまでにも多々書かれてきたのだけれど、本書が新たな切り口を持つとすれば、それは犯人たちが残した「ヴィデオ」ということになるだろう。
映画でその辺りがどのように処理されたのかはやや気になるのだが、それを見る父親、というのを考えると、その後の行動にはやはり「理解」出来てしまう部分が多いのである。おそらくはそれが「自然」な感情というものなのだろうけれど、この作品はまさしくそこに鋭いメスを入れているのである。以上。(2009/10/05)

誉田哲也著『アクセス』新潮文庫、2007.02(2004)

読むものがなくなりつつある状況なので、家の隅っこに置いてあったものを。さりとて、なかなか面白かった。そんな本書は、2003年のホラーサスペンス小説大賞特別賞というのを貰ったホラー小説の文庫化である。
物語としては、携帯電話を介したネズミ講みたいなプロバイダと契約することで妙な事件に巻き込まれていく女子高生3名を中心人物として進んでいく。まあ、何か書くと全部ネタバレになるので余り詳しくは語れません。一見ありきたりなエンターテインメント作品の体裁をとっているように見えるのだけれど、その実かなり複雑なプロットと、時代を見事に活写する深さ、鋭さを持っている、とだけ述べておきたい。
この作品、結構ヴィジュアル的にも面白いな、と思ったのだが、映画化作業のようなことはされているのだろうか。スプラッタ系ホラーであり、サイバー・パンクでもある本書だけれど、奇想天外だけれど決して分かりにくくはないストーリィや世界設定も映画向きだし、主役3人をうまく固めれば良い映画になるんじゃないかと思う。以上。(2009/11/07)

道尾秀介著『向日葵の咲かない夏』新潮文庫、2008.08(2005)

これも隅っこに置かれていたものだけれど、非常に面白かった。この作家、ただ者ではない。それはさておき、本書は第6回本格ミステリ大賞の候補作となった道尾秀介の長編第2作文庫版である。
物語は基本的に小学校4年生のミチオの視点で語り紡がれる。夏のある日、ミチオは同級生S君の首吊り死体を彼の自宅で発見するが、それはどこかに消えてしまう。1週間後、蜘蛛として転生してきたS君はミチオに衝撃的なことを語り始める。自分は殺されたのだ、と。真相を究明すべく動き始めるミチオだが、事件はあらぬ方向に向かいはじめ、やがて、というお話。
奇想天外系でもあり、さりとて非常に論理的な作品にもなっていて、その構成の巧みさや語り口には目を瞠るものがあると思う。この作品から受けた印象を一言で言うなら、山口雅也と恩田陸を合わせたような、というとどんな作品なのかが良く分かるのではないだろうか。この作者について語るためには他の作品にも目を通さなければならないので保留させていただくしかない。いずれにしても、この非常に才能ある作者の作品群をしばらく追ってみたいと思う次第である。以上。(2009/11/24)