化野燐著『渾沌王』講談社文庫、2008.10(2005)

2005年にノベルス版として刊行されていた、「人工憑霊蠱猫」と題されたシリーズ物の『蠱猫』『白澤』に続く第3作。これでこのシリーズも第1部のようなものが完結となる。タイトルは「こんとんおう」と読む。
時間の流れは基本的に前2著と同様。今回の語り手はここまで謎の多い存在であった龍造寺。スキンヘッドの尻軽男、というようなこれまでの雰囲気からすればややトーンの異なるキャラクタ設定のこの人物が、禍々しい事態が進行する「美作(みまさか)研究学園都市」を疾駆する。
今回は蘊蓄的要素として生物進化のヴィジョンが豊富に含まれているところが印象に残った次第。エディアカラ生物群しかり、バージェス生物群しかり。そうしたヴィジョンと、基本的に中国古典由来の妖怪群とのコラボレーションが何とも楽しい一冊である。以上。(2008/11/20)

乾くるみ著『リピート』文春文庫、2007.11(2004)

1作毎に仕様の異なる様々な仕掛けを施してくるアクロバット作家の乾くるみが、時間テーマ・ファンタジィとクローズド・サークル・ミステリを融合させて完成させた傑作である。井上夢人の作品同様ジャンル自体を書くことがネタバレになってしまう怖れがあるのだけれど、上の二つを書いたところでこの作品の本質的な部分には触れないので問題はなかろうと思う。それ位、両ジャンルについて見事な消化・昇華を成し遂げているのである。
時は1990年代初頭。大学4年生の主人公・毛利の元に1時間後に地震が起きるをことを予言する電話がかかる。そして実際にそれは起きるのだが、かけてきた人物は、「10ヶ月前に現在の記憶を保持したまま戻ることが出来る方法がある。これに参加しないか。」、と毛利を含む9名にもちかける。やがて一行は過去に戻り、一人一人と怪死を遂げていき…、というお話。
息つく間もなく、という感じで読ませられること請け合いの見事なプロット構成と、一癖も二癖もある登場人物達の書き分け、はたまた基本アイディアの凄さとそのひねり具合の凄さ等々、兎に角良く出来た作品で、是非既に紹介した同じ文庫から出ている『イニシエーション・ラブ』と合わせてお読み頂きたいと思う。実に侮り難い作家であることがお分かり頂けるであろう。以上。(2008/12/07)

乾くるみ著『クラリネット症候群』徳間文庫、2008.04

2001年に徳間デュアル文庫から刊行された『マリオネット症候群』に、書き下ろしの中編「クラリネット症候群」を併せて一冊としたお得感たっぷりな本。後者は寡作作家である乾くるみの現時点での最新作ということになるはず。
「マリオネット症候群」は、死んでしまったらしい憧れの先輩の霊に憑依された女子高生の視点で描かれるコミカルなミステリ。「クラリネット症候群」は、「巨乳で童顔」なこれまた憧れの先輩の前で壊れてしまったクラリネットの「呪い」で五十音のうちの幾つかが聞こえなくなった男子高生の視点で描かれるこれまたコミカルなミステリ。
どちらの作品にも確かに元ネタはある、とは言え乾くるみはそこから見事な跳躍を果たしていると思う。この作家、上にも挙げた井上夢人や、あるいは筒井康隆といった先達・巨匠達に連なる系譜を形づくりつつある、と言っておきたい。誠に、「今が旬」の作家の一人である。以上。(2008/12/20)

古川日出男著『ベルカ、吠えないのか?』文春文庫、2008.05(2005)

現在私にとって最も重要な作家と言える古川日出男による、2005年発表の作品を文庫化したもの。1943年、アリューシャン列島のとある島に残された軍用犬4頭が、世界各地に散らばり、交配し子孫を増やし、その子孫達が更に移動、繁殖し、世界各地の戦争・紛争と関わり、というお話。
言わば戦争の世紀について敢えて犬の視点から語った驚異的な作品で、古川の現時点での代表作の一つ、と言って良いのではないかと思う。兎に角、その疾走感溢れる文体が素晴らしい。実のところこれは、小説というよりは叙事詩と言うべきものかも知れない。圧倒的な情報量と、独特な言葉選びはこの作家ならでは。熱い、極めて熱い作品である。以上。(2009/01/10)

伊坂幸太郎著『死神の精度』文春文庫、2008.02(2005)

表題作が第57回日本推理作家協会賞短編部門受賞、単行本が第134回直木三十五賞候補、本屋大賞第3位といったような極めて高い評価を受けた6編からなる連作短編集。金城武を主人公・千葉役に据えた長編映画が昨春公開されたのは周知の通り。
その千葉の属性というか仕事は死神。7日間の調査期間を経て当の人物がその時点で死ぬべきか天寿を全うすべきかを裁定する。音楽好き、一般常識がない、素手で人をさわるとまずいことになる、というような特徴を持つこの死神だけれど、この作品、兎に角この千葉という人物の造形が優れていて、そここそが読み所だろう、と思う。
ところで、個人的には、雪の山荘もの作品である「吹雪に死神」が最も面白かったのだが、この作品集、一つ一つの作品が実に多様なので、好みは分かれてしまうだろう。他にもストーカもの、ヤクザもの、恋愛もの、ロードムーヴィものなどなどといったヴァリエーションがあるのだが、あなたはどれがお好みだろうか。以上。(2009/01/12)

伊坂幸太郎著『魔王』講談社文庫、2008.09(2005)

伊坂と同じく千葉県出身の大須賀めぐみによりコミック化が進行している作品の文庫化。5月にいよいよ『重力ピエロ』映画版が公開されるのだが、考えてみると伊坂原作の映画制作はほぼ1年に1本のペース。何とも凄まじい人気振りで、この作品も映画化されるんじゃないかと思うのだが、それは措くとして、と。
本作は二つの中編からなる。第1編「魔王」はシューベルトの「魔王」をモティーフとした、ファシズム台頭の雰囲気が漂う日本で、他人の口を借りる能力に目覚めた男=安藤兄が、とある大衆扇動的な新進政治家と対決する過程を描く。それに続く第2編「呼吸」では、それから5年後、憲法改正に向けた国民投票が迫る中、仙台で妻とともにひっそりと暮らすこれまたある能力に目覚めた安藤弟が始める静かな革命の模様が淡々と綴られる。
伊坂の面白さというのは、イタイくらい真っ正面に物事に取り組むその姿勢にあるのではないか、とこの作品を読みつつ考えた。何しろ、扱われているのはファシズムと憲法改正である。これでエンターテインメントを書き上げてしまうのだから、何とも恐ろしい。なお、本作の続編にあたる『モダンタイムス』が既に上梓されている。『モーニング』に連載されていたものだが、何となく尻切れトンボな感じの本書を読んでしまったら、これは読むしかなかろう、と思われるのである。以上。(2009/01/15)

古川日出男著『ボディ・アンド・ソウル』河出文庫、2008.10(2004)

相変わらず私にとっての最重要作家である古川日出男による、どこからが自分自身の経験に基づくことでどこからがフィクションなのか、いやいやそもそもそんなものにそもそも境界付けなんて出来るのか、といったことも考えさせられてしまうような、作家フルカワヒデオを語り手とする2004年刊行作品の文庫化。
まるでダンテが書いたものみたいな、霊感の強い失われた妻・チエを求め続ける男の魂の彷徨を綴った一篇の詩なのか、はたまた文学史的な位置づけもまだ確定していないしそもそもそれほど売れるわけでもない文芸書を書き続ける作家による身辺雑記なのか、いやいやそうではなくてあくまでも文学作品として何か新しいものを出現させようとでもいうよな意図を持って書かれているのかも知れない作品で、まあ要するにどういう風にでも読めるってこと。
個人的に面白く読んだのは、古川の聴いている音楽ってこういうものなのだな、といったこととか、古川の読んでいる本ってこういうものなのだな、といったこととか、古川の観ている映画ってこういうものなのだな、といったことあたり。彼の書いてきた小説の淵源みたいなものについての断片的な記述がそこここに散りばめられているところも興味深かった。
ちなみに、この本を読んでしまってから名古屋駅前のルイ・ヴィトン店舗を見るたびに思わず笑ってしまうようになったことを告白しておこう。あ、そうだ、名古屋LVMCマップつくろかな、一体何店あるんだ?以上。(2009/01/21)

柄刀一著『ゴーレムの檻 三月宇佐見のお茶の会』光文社文庫、2008.03(2005)

この人の本を読むのは何故か初めてなのだけれど、ここから始めたのはまずかったかな、と若干反省気味。今のところの代表作と思われる『OZの迷宮』から始めて、「三月宇佐見お茶会」ものの第1弾『アリア系銀河鉄道』は取り敢えず押さえておくべきだったかも知れない。
それは兎も角、本書は一応本格ミステリ短編集、だと思うのだけれど、個々の作品はファンタジィにも読めるし、変格ミステリにも読める。基本的なスタイルとしては、一般的な意味での現実とは異なる物理法則やロジックを持つ世界を構築して、その中で謎の提示とその解決が図られる、というもの。
数学や物理学を知っているとより楽しめるだろう、と思う。サブタイトルからして当然ルイス・キャロルを意識しているのだけれど、そういうテイストがお好きな方にはお薦めできる。
そうそう、最初の1篇「エッシャー世界」が、文章と冒頭の挿絵が一対一対応していないためかとても理解しづらく、難儀したのだが、こういう出会い方というのは不幸なものとも言えるだろう。私と同じくここから柄刀に入る方がこの短編で挫折しないことを祈る。以上。(2009/02/01)

島田荘司著『エデンの命題』光文社文庫、2008.11(2005)

さすがにたくさんのものを読んできた島田荘司による中編2本からなる作品集の文庫版である。元本は2005年にカッパ・ノベルスで登場。「巻末における小文」を柄刀一が執筆している。
アスペルガー症候群の子供を集めた学園から一人の少女が消えた。残されたザッカリ・カハネの元に届いた文書には、学園が作られた真の目的が書かれていたが、それは…(「エデンの命題」)。交通事故により何十年もの間の記憶を失った男・クラウン。彼は女医の導きによって、自らが関わった犯罪についての記憶を次第に取り戻していくが、やがて…(「へルター・スケルター」)。そんな2作品が収録されている。
自ら掲げた「21世紀本格」のヴィジョンに沿う形で執筆された2作品、となる。「21世紀本格」については、未読の『21世紀本格宣言』(2003→2008)にその概要が書かれていると思うのだが、要は、幻想的な謎を最新の科学知識を使って解き明かしてみせる、というようなことらしい。まあ、20世紀の本格も基本的にはそうしてきたとは思うのだが、知識のアップデートは必要だよ、というところが多分重要。そのお手本とすべき2作品、読んでおいて損はない、と思う。以上。(2009/02/04)

恩田陸著『ユージニア』角川文庫、2008.08(2005)

この人の本を読むのは何故か初めてなのだけれど、これから始めたのは取り敢えず正解な気もする良作。作者の恩田陸(おんだ・りく。このペンネームは『やっぱり猫が好き』から。ちなみにあのドラマって第1シーズン後半の舞台は幕張です。)は仙台市出身で私と同じ大学を出ていたりするのだが、それはさておき、この作品では第59回日本推理作家協会賞を長編及び連作短編集部門で受賞し、直木賞候補にもなっている。各賞を受賞し、候補に挙がりまくっている最近のめざましい活躍振りは周知のことかと思う。
叙述の形式としては連作短編集風の構成をとる。各章はほぼ、それぞれ語り手の異なる、民族誌、もっと言えば村上春樹の『アンダーグラウンド』を思わせる一人称の語りで構成されているのだが、中身としては基本的に金沢市と覚しき都市で20年以上前に起きた大量毒殺事件に関わる内容を持つ。章を追う毎に少しずつ事件の核心部分が明らかにされていき、やがて、というようなお話。
幾らでも深読みが出来る、というのが本書の妙味だろう。書き手は誰なのか、であるとか、聴き手は誰なのか、あるいは読み手は誰なのか、といったあたりが実のとこり最大のミステリ。わざと名字を間違えていたり、などといった色々な仕掛けが施されている。どう読むか、は読者次第なところもあるのだけれど、普段再読をすることがない私にして、これは再読もありな作品だと思った次第である。以上。(2009/02/07)

平山夢明著『独白するユニバーサル横メルカトル』光文社文庫、2009.01(2006)

この人の本を読むのは何故か初めてなのだけれど、これから始めたのは取り敢えず大正解な気もする傑作短編集である。こういう出会い方はとても良いものだ。作者の平山夢明(ひらやま・ゆめあき)は学生時代よりホラー映画作りや評論に携わった後作家デビュウを果たしたわけだけれど、その作風は基本的に「鬼畜系」と称されることが多い。何故そうなのかは読んでいただかないとちょっと説明しがたい部分もあるのだが、以下中身についての雑感などを。
まずは素晴らしすぎるタイトルを持つ表題作「独白する…」は2006年に日本推理作家協会賞の短編部門賞を受けた傑作。タイトルを読めば地図のことだと気付く筈だが、中身については何を書いてもネタバレなのでノーコメント。オリジナリティ、プロット構成ともども、この短編集の中では最も優れたものだと考える。
その他の作品についてもかいつまんで述べておくと、基本的に本書に含まれる短編群は本歌取りというかオリジナルを敷延した、あるいはリミックスしたものが多い。例えば「Ωの正餐」は『セヴン』、「オペラントの肖像」は『華氏451度』、アニメ化もされている「卵男」は『羊たちの沈黙』、「すさまじき熱帯」は『地獄の黙示録』、といった具合。
こういう本歌取り的作風については賛否両論あると思うのだけれど、個人的には賛。本歌取りなんてことは古今東西普通に行なわれてきたことなのだし、大事なのはオリジナルからどれだけ独自の方向へ発展させられるか、なのだと思っている。平山夢明はそれに成功している、と考える故に賛なのである。以上。(2009/02/11)

井上夢人著『あわせ鏡に飛び込んで』講談社文庫、2008.10

元岡嶋二人のうちの一人にして稀代のエンタテインメント作家・井上夢人による、コンビ解消直後の1990年代前半に書かれた短編10本を集めたアンソロジ的な短編集である。この企画は文庫オリジナルとのこと。ということは、様々なメディアにバラバラに掲載されていた埋もれがちだった作品群が改めて日の目をみた、ということにもなるだろう。
この人の作品はどれもそうなのだけれど、兎に角一本一本に含まれるアイディア群がやはり素晴らしい。それを更にひねり、そしてまた各編は短いながらも登場人物への感情移入を余儀なくさせられるような巧みな筆致で書かれているため作品に思わず引き込まれる。実に実に、プロの仕事なのである。
SFっぽいものからミステリ、ホラーまでを包摂する多種多様にして誠に巧緻な職人芸的作品集。是非ご一読を、と述べるとともに、2000年発表の『オルファクトグラム』以来しばらく長編を発表していない同著者には、そろそろ長いヤツを書いて欲しいものだ、と切に願うところなのである。以上。(2009/02/21)