乾くるみ著『嫉妬事件』文春文庫、2011.11(2010)

『オール讀物』別冊に掲載された中篇「嫉妬事件」と、ボーナス・トラックとして同作の作品内作品「三つの質疑」をカップリングし文庫の形で刊行された書物。一応「タロウ」シリーズに属する作品で、表紙には女帝カードの絵と、"THE EMPRESS"(=女帝)の文字がある。解説は我孫子武丸が担当している。
物語の舞台はとある大学のミステリ研。年末恒例の犯人当てイヴェントが行なわれる日、赤江静流はその長身の彼氏・天童太郎を伴って部室にやってくるが、本棚の上にはやっかいな「物体」が。誰が、何のためにそこに置いたのか。物体の処理とともに推理合戦が開始されるのだが、果たしてその真相とは。という物語。
ボーナス・トラックはその犯人当てイヴェントの題材、ということになる。その辺りはこの作家らしくかなり複雑かつトリッキィな構成。
さて、「嫉妬事件」の方の元ネタとなっている事件は、OBである我孫子武丸も解説において語る通り京大ミステリ研では伝説と化しているもので、竹本健治の『ウロボロスの基礎理論』で大々的に扱われたことは記憶に、新しくもないか。
そんな、同作家による『匣の中』に続く竹本からの本歌取りにして何とも汚い話だが、ミステリとしての出来映えはさすがといった感じ。「三つの質疑」はタイトルからして遊び心満載なのだが、これまたなかなかに楽しい。質量ともにやや軽めかつ薄口、な内容だが、シリーズ中の1冊として、あるいは竹本オマージュ本の1冊として、などなど、色々な楽しみ方のできる作品だと思う。以上。(2012/06/01)

有栖川有栖著『妃は船を沈める』光文社文庫、2012.04(2008→2010)

有栖川有栖による、火村英生シリーズの1冊にして、若干複雑な経緯をもって1冊の本となった作品の文庫版である。元本は2008年に光文社から刊行、その後カッパ・ノベルスに収められていた。
上の複雑な経緯というのは、冒頭に置かれた「はしがき」にもある通り、次のようなものである。本書の第1部は、『ジャーロ』2005年秋号に掲載された「猿の左手」という中編で、これの後日談的な話が、本書の第2部にあたる、同じく『ジャーロ』2008年冬号と春号に掲載された「残酷な揺り籠」という作品、ということになる。これらに新たに「幕間」が書き加えられることで、あたかも長編のような装いを持つことになった。以下、概略。
三松妃沙子(みまつ・ひさこ)という、「妃」というニックネームで呼ばれる女性が第1部、第2部に共通して登場する。三つの願いをかなえてくれるかわりに災いをもたらすという「猿の手」を所有する妃沙子。第1部では、妃沙子が金を貸していた友人の夫が車ごと海に転落し、保険金殺人の疑いがかけられる。事故か殺人か、真相はいかに、というお話。
第2部で描かれるのは、地震発生前後に起こった密室状況下での射殺事件。その邸宅には、第1部で描かれた事件後、とある事故で車椅子生活をしている妃沙子が暮らしており…、というお話。
この作家の作品が常にそうであるように、第1部、第2部どちらもが端正な推理劇になっていることはいつもの通り。それに加え、今回の企画では、時間をおいて書かれた二つの話を繋いでみる、ということを試みたことにより、何とも豊饒な、そしてまたいつになく深い人間洞察に満ちた作品へと昇華しているように思う。誠に見事な、味わい深い作品である。以上。(2012/06/03)

道尾秀介著『花と流れ星』幻冬舎文庫、2012.04(2009)

直木賞作家・道尾秀介による、真備シリーズ第3弾となる中短編集、である。オリジナル刊行は2009年。各篇の初出は2005年から2009年までと幅広いのだが、その辺りにその他の作品執筆の合間を縫ってでもこのシリーズは絶対に続ける、という意志のようなものを感じてしまう。
第1篇「流れ星のつくり方」では友達の両親を殺した犯人を見つけたい少年が、第2篇「モルグ街の奇術」では右手を自らのマジックによって消した男が、第3篇「オディ&デコ」では自分のせいで仔猫を死なせてしまったという少女が、第4篇「箱の中の隼」では是非教団施設を見学して欲しいというとある宗教法人幹部の女性が、第5篇「花と氷」では自分のせいで孫娘を死なせてしまった老人が、それぞれ真備らのもとを訪れる。それぞれが心に何らかの闇を抱える彼等に、真備たちは何を与えることが出来るのか、という物語群になっている。
とかく後味の悪さを強調されてきた道尾秀介だが、この作品集にはそんなところは殆ど無くて、基本的にどちらかと言えばハートウォーミングな物語が詰め込まれているところがある意味画期的、と言えるだろうか。どの作品でも謎とそれへのある解決が示され、そしてまたそれらはなにがしかのカタルシスを包含している。そんな、道尾秀介の既に定着した感のあるイメージとはちょっと違う側面を垣間見させてくれる、珠玉の作品集である。以上。(2012/06/06)

藤木稟著『バチカン奇跡調査官 ラプラスの悪魔』角川ホラー文庫、2012.05

藤木稟による「バチカン奇跡調査官」シリーズの第6巻である。文庫オリジナルでの刊行となる。前の巻『血と薔薇と十字架』から7か月での刊行。総ページは400ほど。ちょっとペースは落ちたけれど、この著者のこれまでを考えるとこのシリーズは異様な感じで巻を重ねているようにも思う。それはともかく。
今回の舞台はアメリカ。次期大統領候補の議員が、教会で謎の光に打たれて死亡。同議員には死霊が憑いていたという噂もあり、政府はバチカンに調査を依頼する。
奇跡調査官の平賀とロベルトは、FBI捜査官ビル・サスキンスと共に、悪霊を閉じ込めているという噂のあるゴーストハウスへと潜入する。そこでは、政財界の要人しか参加できない秘密の降霊会が開かれており、更に新たな怪異が発生。急転する事態に、平賀とロベルト、そしてビルはどう立ち向かうのか…、というお話。
物語のスケールはさらにアップ。何せ舞台がアメリカなので、色々(イルミ何とか、とかそういうのです。)絡んでくるのは当然とも言える。ライジング・ベル研究所のマギー・ウオーカー博士、サヴァン症候群の天才ハリソン・オンサーガ等々、新キャラが続々登場する他、平賀のサポータであるバチカン情報局員(?)ローレン・ディルーカにもとある出来事が生じ、と実に盛りだくさんな内容になっている。いよいよパワー全開、という感じの第6巻である。以上。(2012/06/09)

桐野夏生著『IN』集英社文庫、2012.05(2009)

直木賞作家・桐野夏生による、かの傑作『OUT』(1997)と対をなす、2009年発表の長編文庫版である。解説は伊集院静が担当している。
作家である主人公の鈴木タマキは、恋愛における抹殺をテーマとして『淫』という小説を書こうとしていた。主人公となるのは、妻と愛人との修羅の日々を描いた緑川未来男の私小説『無垢人』の愛人、○子である。○子は果たして実在の人物なのか、あるいは創作なのか。取材を進めるうち、タマキは自身が経験した恋愛の狂乱を重ね合わせていくのだが…、というお話。
モデルは島尾敏夫夫妻と、島尾の小説『死の棘』、ということになるのだろう。この作品などを読むと、この作者もいつの間にか随分と純文学寄りに傾斜したものだと思う。元々持っていた鋭すぎる人間観察力や洞察力を駆使しつつ、その刃を更に研ぎ澄まそうとした、桐野夏生の新たなる挑戦、という風に読んだ。やはり、たぐいまれな才能を持つ作家だと思う。以上。(2012/06/10)

乾くるみ著『セカンド・ラブ』文春文庫、2012.05(2010)

2004年に出た驚異の作品『イニシエーション・ラブ』に続く「ラブ」シリーズ第2弾、というわけではなく、実は「タロウ」シリーズ第4弾が正しい乾くるみによる2010年刊行の長編文庫版。本書もまた、紛れもなくタロウ・シリーズの1冊なので、表紙にはちゃんとタロウ・カードが印刷されているし、そもそも英語タイトルは"The High Priestess"(=女教皇)だったりする。勿論、天童太郎も登場している。
とは言っても、基本的な物語の骨格や意匠自体は『イニシエーション・ラブ』を踏襲している、と言って良いだろう。何を書いてもネタバレなので余り深くは触れないが、時は1983年、スキー旅行で知り合った内田春香という清楚な女性と付き合い始めた里谷正明は、ある日彼女とそっくりだが性格は正反対なホステス半井美奈子の存在を知る。春香との関係が徐々に深まる中、正明には何故か美奈子のことが気になり始め、そして、というお話。
本書を読む前に必ず読んでおくべき『イニシエーション・ラブ』がああいう作品だったので、読者は当然そういうことを期待し、あるいは「だまされないぞ」と思って読むことになる。それがどういう風にはね返されるのか、あるいはされないのか、は読んでのお楽しみ、である。以上。(2012/06/11)

今野敏著『疑心 隠蔽捜査3』新潮文庫、2012.04(2009)

今野敏による超硬派警察官僚・竜崎伸也もの長編の第3弾である。単行本は2009年刊。既に番外編の短編集第3.5弾『初陣』と第4弾『転迷』が刊行、陣内孝則主演によるTVドラマ化や上川隆也主演による舞台化もされるなど、非常に知名度のシリーズとなっているが、いまやこの作家の代表作、と言っても過言ではないだろう。
前作で大森署の署長に左遷となった竜崎だったが、アメリカ大統領の訪日に合わせ、羽田空港周辺の警備本部長に抜擢される。テロの画策が噂される中、事前に来日したシークレットサーヴィスとはそりが合わず、補佐役として任命されてきた畠山美奈子に何故か心惹かれる竜崎。次々に出来する様々な困難を、果たして竜崎はその不屈の精神力で乗り越えることが出来るのか、というお話。
意外な展開、というか、こう来たか、という印象。竜崎の、本人すら知らなかった一面に焦点を当てる、という趣向になっている。そういう趣向に面白さはあるものの、物語の複雑さが前2作に比べるとやや減少しているように思われた。伏線を張りまくり、それを超絶技巧で収束させるような、そんな手法が影を潜めている。テーマに沿う形、あるいは人気シリーズになったことでタッチを柔らかくしたのかも知れないが、その点にちょっともの足りなさも感じた次第である。以上。(2012/06/15)

誉田哲也著『ガール・ミーツ・ガール』光文社文庫、2011.12(2009)

今をときめく誉田哲也による、『疾風ガール』に続く青春エンターテインメント小説シリーズの第2弾である。元々バンド活動をやっていたこともある誉田哲也が、本来得意とするはずの領域を扱った作品だけれど、考えてみると、第1弾には結構ミステリの要素、あるいは警察小説っぽさすら少なからず感じ取れた。ここでこの作家が、警察小説ではない、それどころかその要素が殆ど無い作品を書いたのは誠に異例なことで、そんな意味でも貴重な1冊になっていると思う。まあ、それでも展開は結構ミステリアスではあるのだが。
かいつまんで概要を。天才ギタリストにしてヴォーカリストでもある柏木夏美は、前著での様々な経験を経て遂にメジャー・デビュウを目前にしていた。しかし、それは自分のやりたい音楽と、売れてナンボなプロダクションの考えてる音楽の方向性については物凄いギャップを感じる日々でもあった。暮れも押し迫った頃、ある二世の大物お嬢様アーティストとのコラボレーションの話が舞い込む。彼女の音楽にも、その人物にも全くなじめない夏美だが、二人は共演への障害を、果たして振り払うことが出来るのか、それとも?、というお話。
前作のようなビターさも所々にはあるけれど、全体的なトーンは極めて明るい。こんなに明るい誉田哲也は初めてだ、と思う読者は多いのではないだろうか。個人的には、前作で夏美とダブル主役だったマネージャの宮原祐司が、やはり交互に語り手になってはいるもののもう一つ存在感がないというか、特に終盤話に絡まないのがやや残念だったのだが、話の中心が夏美とお嬢様アーティスト・島崎ルイに移ってしまったので、致し方ないのかも知れない。第3弾があるとして、そこで宮原は一体どうなってしまうんだろうか。もう、夏美とルイの二人語りになってしまうのだろうか?以上。(2012/06/26)

桜庭一樹著『ファミリーポートレイト』講談社文庫、2011.11(2008)

直木賞作家である桜庭一樹が受賞直後辺りに講談社から書き下ろし単行本として刊行した大著の文庫版である。解説は角田光代。この時期のこの作家、本当にノリにノっていた、という感じなのだが、要するに日本推理作家協会賞受賞の『赤朽葉家の伝説』、直木賞受賞の『私の男』、そしてまた本書をして、それまでの基本的にライトノベルの流れを汲んでいた路線とは明らかに一線を画した領域に大胆に踏み込み、それによって見事にその才能を開花させた、そんな時期、とまとめられるだろう。
物語は2部構成。第一部「旅」はマコという名の母とコマコという名の娘が辿る逃避行。年寄りばかりが暮らしている村や葬式婚礼という風習のある温泉街、あるいは豚舎に囲まれた街、盲目のロックスターの住む館、そして広大な庭園へとたどり着く。そして突然の破局。第二部は母のいない世界を生きるコマコが主人公となる。学校に通い適度に不良化し、文壇バーに通いつつモノを書き始め、やがて作家への道を歩み始める。それでもいつも付きまとうのは、母マコの不在、という現実なのだった。という物語。
異形な者達が跋扈する物語設定はどことなく松浦理英子が書いた小説のようなところもあるのだけれど、それは措くとして、まあ要するに本書は『私の男』とペアの関係にある作品なのだと思う。喋ることができなかったコマコのそばで、専制君主として君臨していた母。絶対的なものの喪失とそこからの恢復。『私の男』が破滅へと向かう道を遡っていくのとは対照的に、この作品の向かっている場所は、全編を貫く哀しみに満ちたトーンとは裏腹に光に満ちたものだ。この作家の最高傑作、と考える人がいても全くおかしくはない快作である。以上。(2012/07/05)

誉田哲也著『武士道エイティーン』文春文庫、2012.02(2009)

超売れっ子作家・誉田哲也による剣道少女もの青春エンターテインメントの一応の完結編である。単行本は2009年刊。文庫版解説はやはり超売れっ子の有川浩が担当している。
永遠のライバルである磯山香織と甲本早苗も早いものでいつの間にか高校3年生に。神奈川と福岡それぞれで高校生活を送る彼等にあっても、互いにそろそろ進路が気になり始める時期となったが、それぞれインターハイに向けての厳しい修行の日々は続いていた。そんなある日のこと、甲本は不覚にも足を故障。かなりの重傷、という事態を受け、再戦、そして高校生活最後の決戦に暗雲が立ちこめるが、果たして二人は再び相まみえることが出来るのか、というお話。
文藝春秋ウェブ『パンセ』に掲載された、サブキャラである甲本姉(姓は西荻)、香織の師匠・桐谷玄明、早苗の師匠・吉野先生、香織の後輩・田原美緒等をそれぞれ語り手や主人公とする外伝的短編を本筋の間に挟み込んでいるのが趣向として非常に冴えていて、これが絶妙な形で物語に奥行きを与えていると思う。やはり、この作家、そのキャラクタ造形力は半端なものではない。天才的と言って良いだろう造形力によって作られたキャラクタ達が紙の上を生き生きと闊歩する様を、是非手にとって確かめて頂きたいと思う。以上。(2012/07/10)

山本弘著『詩羽(しいは)のいる街』角川文庫、2011.11(2008)

と学会会長にして、基本的にはSF作家である山本弘による長編小説である。SFというよりは、ファンタジーであり、かつまた経済小説、とも言える非常にユニークな書物になっている。かいつまんで内容を記すと以下の通り。
漫画家志望の青年が、ある日公園で出会った若い女性に1日デートに誘われる。その目的をいぶかしむ中、行く先々で出会う様々な出来事が、青年を驚愕させる。詩羽とは一体何者なのか?彼女の周囲で起きていることは何事なのか?人を幸せにすることを天職とする詩羽という女性がもたらす奇跡と、あるいはまたその闘いの日々を描いた感動的な作品、である。
さてさて、全編にわたり、サブカルチャーへの言及がちょっと多すぎるかな、とは思うのだが、『戦まほ』、『ガルテリ』というどっかにありそうな架空の漫画・アニメが物語において非常に重要な役割を果たしているのでそこはそれ、なのかも知れない。
ただ、中心となっているアイディアがアイディアだし、詩羽というキャラクタが余りにも画期的なだけに、この作家の他の作品のようなより普遍的な作品を目指さなかったのはやや勿体ない、とは思う。
世界は、もしかしたら良い方向に少しずつ変えられるかも知れない、という希望を与えてくれるような、読み手によっては多分感涙ものな作品である。以上。(2012/08/11)

乾くるみ著『六つの手掛り』双葉文庫、2012.03(2009)

このところハイペースで作品を発表し続けている乾くるみによるミステリ6本からなる作品集である。『林真紅郎と五つの謎』(2003)及び『蒼林堂古書店へようこそ』(2010)と並んで林4兄弟ものを構成する1冊で、今回は三男・茶布(さぶ)が謎解き役。その容姿から太ったチャプリン、と形容される彼だが、どんな推理をみせてくれるのか。
順に、「六つの玉」では雪の山荘での怪死事件を、「五つのプレゼント」では茶布の学生時代に起こったという爆死事件を、「四枚のカード」では大学での補講中に起きた殺人事件を、「三通の手紙」では絶妙なアリバイトリックを、「二枚舌の掛軸」では好事家が作らせた掛軸が絡む殺人の謎を、「一巻の終わり」では辛口書評家の死の謎を、林茶布が解き明かす。
徹頭徹尾ロジックにこだわった本格以外の何物ではない作品群で、ある意味古典的、とさえ言えると思う。今のところこのシリーズは次男以下が出揃ったわけだが、残るは長男。次は一体何をみせてくれるのか、期待したいと思う。以上。(2012/08/15)

奥泉光著『神器(しんき) 軍艦「橿原」殺人事件 上・下』新潮文庫、2011.08(2009)

奥泉光による、第2次世界大戦を時代背景として描いたミステリ長編である。この辺り、1998年発表の『グランド・ミステリー』を彷彿とさせるが、あに図らんや。今回もまた、オカルト・疑似科学ネタ満載の一大ミステリ作品にして、21世紀の文学史の中にある意味屹立する作品ともなっている、と思う。野間文芸賞受賞もむべなるかな。
探偵小説好きの石目鋭二(いしめ・えいじ)上等水兵が主人公。時は戦争末期。軽巡洋艦である「橿原」に乗り込んだ石目だが、この船には連続する怪死事件やら、あるいはまた5番倉庫には謎の機密物資が保管されている、などという噂もあり。そんな異様な船内生活を送る中、士官の毒死事件、乗員の行方不明事件が勃発。石目は探偵小説好きであることを見込まれ調査に関わることになるのだが。「橿原」が果たすべき真の使命とは、そしてまた神器とはなんなのか、物語は錯綜に錯綜を重ね、更には時空をも超えてとんでもないところに進んでいくのだった。
のっけからその文章力の高さに圧倒されるのだが、その見事なまでに精巧な文体で、エンターテインメント性を貫徹しつつ最後まで読ませる構想力にも脱帽なのである。追っているテーマ、現われるモティーフなどに過去作品の反復が多いのだが、恐らくはライフワークとして、これからもそのラインの作品群を生み出していくのだろう。恐らくそれに到達点はない。人間存在についての鋭い、いや鋭すぎる洞察に溢れた、寓意とパロディ精神に満ちあふれた傑作だと思う。以上。(2012/08/25)