桜庭一樹著『GOSICK V ―ベルゼブブの頭蓋―』角川文庫、2010.07(2005)

TVアニメ版も好評な様子の桜庭一樹による<GOSICK>シリーズだけれど、これはその長編第5作の角川文庫版である。非常に外連味のある冒険活劇にして、いわゆる「囚われの姫君を救いに行く勇者」ものとなっている。
勿論姫君はヴィクトリカで勇者は久城一弥。何かの陰謀によりリトアニアにある「ベルゼブブの頭蓋」と呼ばれる修道院に幽閉されることになったヴィクトリカを助け出すべく、久城一弥は首都から豪華な列車で旅立つ。おかしな乗客達との交流もつかの間、ベルゼブブの頭蓋に着いた一弥は「ファンタズマゴリア」なる謎の夜会や奇妙な殺人事件の洗礼を受ける羽目に。第一次世界大戦時にこの地で起こった事件が影を落とし、再び新たな陰謀が渦巻く中、一弥は果たしてヴィクトリカを見出し、連れ戻すことができるのか、というお話。
いよいよラスボス登場、だと思うのだが、それは読んでのお楽しみ。取り敢えずは、科学推進派と、オカルト信奉派という対立する二派があって、その間で起きている抗争においてヴィクトリカが両派から極めて重要な意味を付与されている、という図式がここで明確になる、と要約しておきたい。その実結構複雑なのだが。
さて、次は現時点での最新長編、である。以上。(2011/03/10)

桜庭一樹著『GOSICK VI ―仮面舞踏会の夜―』角川文庫、2010.12(2006)

長編第4弾以降どんどん薄くなって220ページになってしまっているのだが、それは兎も角、本書は現時点での<GOSICK>シリーズ最新長編『GOSICK VI ―仮面舞踏会の夜―』の角川文庫版である。
話としては、上に挙げた『GOSICK V ―ベルゼブブの頭蓋―』の直接的な続編にあたる。そもそも、『VI』のプロローグは『V』の最後におかれている。ベルゼブブの頭蓋での活劇を経て列車オールド・マスカレード号でソヴュールへの帰途についたヴィクトリカと一弥だが、そこに乗り合わせたのは誠に奇妙な面々。〈死者〉、〈木こり〉、〈孤児〉、〈公妃〉を名乗る人々との道行きはやがて新たに起こった殺人事件の現場へと化す。この事件についてのヴィクトリカの推理は如何、はたまた大きな物語との関係は、というお話。
一応フー・ダニットもののミステリとして非常に洗練されたものとなっていることを述べておきたいが、それよりも何よりも、である。
本書のオリジナルである富士見ミステリー文庫版は2006年の段階で出ていたのだが、既に4年と少し。このシリーズ、これで終わっていたらどう考えても顰蹙(ひんしゅく)もの、である。一応1話完結の形で来て、個々の巻は完結したお話になっていて、本書もまた同様であるとは言え、それこそ「大きな物語」の全貌も定かではないし、当然どこかの点あるいは地点への収束も軟着陸もしていない。思うに、周知の通り2007年以降、同作家は推理作家協会賞や直木賞をとる、という大活躍を見せるのだが、その直前の段階で、このシリーズはやや放置気味、となってしまっていた感がある。
しかしながら、2009年辺りから状況は一一変している。協会賞及び直木賞効果により初期作品と同じような再評価がなされる中、さすがに各方面からこのシリーズの「続きは?」「完結編は?」等々の声が上がり、角川文庫版の刊行とアニメ化、という画期的な流れを経て、とうとう長編VII、VIII、短編集sVIが2011年中に刊行されて完結を迎える、というアナウンスがなされるに至っているのだ。大きな中断を経てのシリーズ再開となるが、非常に期待大、である。以上。(2011/03/14)

桜庭一樹著『GOSICKs II ―夏から遠ざかる列車―』角川文庫、2010.09(2006)

間もなく約4年のブランクを経て長編第7弾が刊行されることになっている<GOSICK>シリーズの、2006年に刊行された第2外伝短編集の角川文庫版である。これも、オリジナルは富士見ミステリ文庫。
コンテンツは6本。一弥の日本にいる兄弟姉妹達、セシル先生、アブリル、グレヴィールといった脇役達を中心に据えた作品が並んでいて、いかにも外伝集、といった装い。そんな中で、正伝の方では次第に陰謀渦巻く世界の中に投げ込まれていくこととなるこのシリーズの主人公である一弥とヴィクトリカが過ごす、ひとときのさわやかでうららかな夏の日の出来事が同時に綴られていく、という趣向。
正伝には書かれていない脇役達の顔、あるいは殆ど登場すらしない一弥の家族達の様子を垣間見ることが出来る貴重な作品集、とも言えるだろう。まあ、マニア向け、と言えばそうなのだが…。これで春、夏と来たのでsIIIは当然秋。今年中に出るはずのsVIは冬となる。正伝とは異なる何ともまったりとした日常の謎系ミステリをご堪能頂きたいと思う。以上。(2011/03/15)

桜庭一樹著『荒野 12歳 ぼくの小さな黒猫ちゃん』文春文庫、2011.01(2005→2008)

桜庭一樹が続いておりますが、まだまだ続きます。本書は、2005年と2006年に1巻、2巻がファミ通文庫で出て、その後第3部を加えた単行本が2008年に文藝春秋から出ていたものの文庫版である。文庫化に当たっては3分冊となり、3か月連続刊行、となった。これはその第1巻。
鎌倉に住む山野内荒野(やまのうち・こうや)は12歳。プレイボーイで恋愛小説家の父・正慶と暮らす荒野は、中学校入学の日に電車のドアに制服を挟まれたところを同じ学年の神無月悠也(かんなづき・ゆうや)に助けられる。同じクラスになった二人だったが、好意を抱いた荒野とは裏腹に、悠也の態度はどこか冷ややか。美人の江里華、活発な麻美と友達になり、中学生活も充実の一途。そんなある日、父が再婚する、と言い出す。その相手はなんと…。というお話。
少女、を書かせたら今日この人に敵う人はいないのかも知れない。12歳という、なんとも微妙な時期に起きるあまり普通ではないかも知れない出来事と、それにつれて起こる心の揺れ動きを細やかに、そしてまたそんな時をいとおしむかのように描写していく。甘酸っぱくも切ない、極上のガール・ミーツ・ボーイもの小編である。以上。(2011/03/16)

藤木稟著『バチカン奇跡調査官 闇の黄金』角川ホラー文庫、2011.02

藤木稟が送る〈バチカン奇跡調査官〉シリーズの第3弾である。しかも、今回は文庫書き下ろし。ジャケットには平賀・ロベルトに続いて彼らのライバルでありラスボスであるらしいジュリアが登場。今回も暗躍するのだろうな、ということを最初から読書に知らせるような仕掛けになっている。
物語の舞台はイタリアの小村モンテ。同地にある教会で起こっているという、角笛が鳴り響き虹色の光に満たされる、という奇跡の調査に赴いた平賀とロベルトの奇跡調査官コンビは、ここでもまた奇妙な殺人事件に遭遇することになる。伝説の「首切り道化師」が暗躍するこの村で、一体何が起きているのか、奇跡の正体は?、というお話である。
角笛を巡るフォークロアが論じられるところから、同じ藤木稟の〈SUZAKU〉シリーズ第2作『ハーメルンに哭く笛』を思わず懐かしんだのだが、この〈調査官〉シリーズ、その原点を振り返りつつ、エンターテインメント小説の新たな可能性を探っているようなところがあって、やっぱり懐の深い作家だな、と思う次第である。短い小説だが、結構大仕掛け。この超博学な作家が、次はどんな土地の、どんな伝承や風習等々について言及するのか、非常に楽しみなのである。以上。(2011/03/17)

池澤夏樹著『光の指で触れよ』中公文庫、2011.01(2008)

読売新聞に2005年から2006年にかけて連載され、2008年に単行本として刊行されていたものの文庫化である。627ページまである大著で、しかも大変内容は濃い。池澤さんらしいものの見方に溢れた好著だと思う。
物語は基本的に、あの傑作『すばらしい新世界』の続き、という体裁をとっている。あの小説に書かれた出来事から数年が経ち、家族がどうしたことかバラバラになってしまっているということが冒頭で示される。一体何があったのか?
夫の不倫に納得がいかない妻は娘を連れてヨーロッパへと引き移り様々な共同体の中で暮らし始めている。あるいはまた、息子は全寮制の高校に進学し父とは離れて暮らし始めている。そんなバラバラな家族だが、代替農法の一つであるパーマカルチャーや、コミューン、あるいはスピリチュアルなものに、それぞれがそれぞれの仕方で、さりとて一定のシンクロニシティをもって近づくことになる。
男と女とは、父と子とは、そして生きるとは、死ぬとは、愛するとは。様々な問題とそれぞれの仕方で直面することになった家族達は、新たな経験、様々な人々との出会いなどを通して一体何を見出すのか、そしてまた家族は再び一つになるのか、あるいは?、という物語である。
現代文明をさほど良しとはしない、さりとて全ては使い方次第というような合理性と柔軟性をも兼ね備えた池澤直樹氏だけれど、それが端的に表われた連作になっていると思う。
結局のところ、慎ましさ、素朴さみたいなところに一旦立ち返ってみるのも悪くない、少なくとも、今の生き方でホントに良いのかたまには考えてみると良いんじゃないかな、というようなことを言っている小説だと思うのだけれど、全くその通りだな、などと凄く共感してしまったのだった。大きな災害を経て、原点回帰、なんてことがしばらく言われていくんじゃないかな、などと個人的には思っているのである。以上。(2011/03/26)

誉田哲也著『疾風ガール』光文社文庫、2009.04(2005)

刊行から2年経っているのだが、書いている人が風邪を引いているせいなのでご容赦のほど。関係ないけれど。でも、ちょっと難しいことが書けない状態なのです。なので、さわやかでかっこよくて、それでいてこの作家ならではの結構ビターなテイストの作品を紹介しておきます。
著者は今や売れっ子中の売れっ子となった誉田哲也。デビュウ以来ホラーからミステリ、あるいは青春小説にまでその作風を広げてきた同氏だけれど、この作品は比較的初期の作品で、舞台は音楽業界。ジャンル的には青春ミステリ、くらいだろうか。ちなみに、誉田哲也自身30歳頃までバンドをやっていた、というのは結構有名な話。
主人公の天才ロック・ギタリスト=柏木夏美の才能に目を奪われた、もうひとりの主人公でタレント事務所に勤めるスカウター=宮原祐司が彼女との契約を取り結ぶことに奔走する中、夏美の所属するバンド=ペルソナ・パラノイアのヴォーカリストである城戸薫が突然自殺を遂げる。やや不審な点もある薫の死の真相を追う中、そもそも城戸薫とは偽名であり、出身地ですら不明であることが発覚。夏美と祐司は果たして事の真相を解明出来るのか、ペルソナの行方、あるいは夏美の行方は、というお話。
祐司と夏美というかなり対照的なキャラ二人の視点が交互に描かれることが絶大な効果を上げている、と思う。この作家、特にそのキャラクタ造形において卓越した才能を持っていると思っているのだが、それはここでも遺憾なく発揮、いや、それ以上である。単行本刊行時からかなり評判が良かったらしく、続編『ガール・ミーツ・ガール』も2009年に刊行されている。こちらも併せて読まれるべきであろう。以上。(2011/04/07)

桜庭一樹著『荒野 14歳 勝ち猫、負け猫』文春文庫、2011.02(2006→2008)

桜庭一樹ページと化してますが、まだまだ続きます。本書は、2005年と2006年に1巻、2巻がファミ通文庫で出て、その後第3部を加えた単行本が2008年に文藝春秋から出ていたものの文庫版である。文庫化に当たっては3分冊となり、3か月連続刊行、となった。これはその第2巻。
13歳になった山之内荒野。初恋の相手である神無月悠也はアメリカへと旅立ち、時折届く手紙を待つ日々。思春期真っ只中のクラスメイト達も少しずつ変化していく中、荒野に思いを寄せる男子が現われ、更には父の再婚相手が妊娠する。そんな、何物にも代えがたい時間を描いた中盤の書である。
薄い本だけれど、中身はぎっしりと詰まっていて、読み応え十分。誰もが、自分の10代と対比させながら読むことになるようにも思うのだが、余りにも色々なことが起きて、実際にこんなことになったら大変だよ、リアルじゃないよ、と思う反面、全編を貫く説得力のある描写が良い具合の感情移入を余儀なくさせてくれるのでは、とも思う。次はいよいよ最終巻。以上。(2011/04/06)

今野敏著『奏者水滸伝 小さな逃亡者』講談社文庫、2010.01(1985)

今や上述の誉田哲也らと並ぶ警察小説の書き手として知られる今野敏だけれど、これは約25年前、30歳くらいの時に書いた伝奇サスペンス・シリーズの第2弾である。元々は『超能力者狩り』というタイトルだったものを改題、再文庫化、という運びとなったもの。シリーズは続くので以下ごく簡単に。
今回はドラマーの比嘉が基本的に主人公。ライブハウス“テイクジャム”を出たところで、比嘉は何者かに追われる白人の美少女をその追っ手から救う。やがて少女をかくまうことになった比嘉だが、実は少女の周辺では殺人事件が立て続けに起こっていた。FBIと日本警察が一連の事件の捜査を巡って対立し、国家的陰謀の匂いが立ちこめる中、元宇宙飛行士で「宇宙意志」の実在を主張する宗教家が比嘉ら4人に接近。殺人者の正体は、真の黒幕は、そしてまた少女と比嘉の運命はいかに、というお話。
取り敢えず、全編にわたって今日の今野が最も力を注いでいる警察小説の萌芽が垣間見えていて、これはなかなか面白い、と思った次第。ちょっとネタバレなのだが実は「ギガース」シリーズにもちょっと通じるところがあって、三つ子の魂何とかだな、などと考えた。結構一貫した姿勢で書き続けてきて、面白いものを書いているのにそれほど売れるでもなくといった感じで世紀末を過ごしてきて、2000年代にようやく人口に膾炙するようになった、ということが非常に良く分かるシリーズ、なのではないかと考え始めている。以上。(2011/04/08)

桜庭一樹著『GOSICKs III ―秋の花の思い出―』角川文庫、2011.01(2007)

先頃正伝シリーズの最新刊VIIが刊行されたばかりの<GOSICK>シリーズだけれど、本書は2007年に刊行された外伝短編集第3巻の再文庫化、である。刊行元はもちろん、かねてよりメディア・ミックスに力を注いできた角川書店。今回もバリバリやっている。
既に読み終えているVIIが面白すぎたのでやや印象が薄くなってしまっているのだが、含まれている作品は5本。最初の4本は、退屈で死にそうなヴィクトリカを楽しませようとして、一弥が図書館にある本に載っている何らかの花にまつわる面白そうなエピソードを読んで聴かせるのだが、打って返しを食らう、というような形式で書かれている。まあ、このシリーズ、ある意味ツンデレの極致なのでお約束事めいたことは多い。
残る1作は、ちょっと形式が異なっていて、一弥のクラスメートであるアブリルが自分の伯父に関するエピソードを聴かせ、やはり打って返しを、という趣向、ではない。いずれにしても、各々ご自分でご確認を。
ベルゼブブの頭蓋の事件から、クリスマスの時期にあたるVIIでの出来事に向かう秋のひととき。典型的にセカイ系に属する物語の中で、それこそ世界の存亡をかけた闘いをしていることになるのだろうヴィクトリカと一弥、あるいはその取り巻き達の、何とも幸せな時間を描いた珠玉の作品集、になっていると思う。
ところで、この作品集の要諦は、何と言っても各短編内に置かれたエピソード群にあるのだけれど、それこそ澁澤龍彦であるとか、種村季弘であるとか、そういうとてつもない知識人の書いているものをちょっと彷彿とさせるところがあって、桜庭一樹恐るべし、と思ったのだった。以上。(2011/04/10)

化野燐著『妄邪船』講談社文庫、2010.07(2007)

妖怪研究家の化野燐(あだしの・りん)による「人工憑霊蠱猫(こねこ)」シリーズ第6弾の長編。タイトルは「もうじゃぶね」と読む。折り返しに当たるらしい前巻『呪物館』に描かれた京都での出来事を経て、物語の舞台は西の方、長崎県へと移る。
主人公は白澤(はくたく)の使役者である白石優。これまでに起きた数々の出来事によって失われた研究室の仲間達を思い沈んだ日々を送る白石だったが、ある日とある決意のもと行動を起こす。何かに誘われるように西へ西へと向かう白石がたどり着いたのは長崎県にある阿留賀(あるが)島という、隠れキリシタンの信仰で知られる平戸(ひらど)や生月(いきつき)の隣に作者が創造した島。有鬼派が何かをもくろんで集結しているこの島は、実はあの事件以来行方知れずとなっている夏海涼子の故郷でもあるのだった。涼子と再会した白石は、この島で何を見ることになるのか、というお話。
物語が一巡して白石に、といったところなのだろう。取り敢えず、キリスト教その他が話に入ってきたわけで、当然話のスケールは飛躍的にでかくなっている。さりとて、キチンとした考証を踏まえつつ、想像の限りを尽して一大カタストロフを起こしてみせる作者のサーヴィス精神に、敬意を表したいと思う。ところで、バトルがやや冗長、というのはこのシリーズの最初からつきまとう印象なのだが、個人的にはこの書についてもその点だけが難点なのである。もうちょっとコンパクトならもっと読みやすいのだが。以上。(2011/04/11)

菊地成孔著『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』小学館文庫、2010.09(2004)

体調がとても良くなっているので、こういうものが扱える。しかしひどい鼻詰まりだった。生涯最悪だった。まだちょっと残っているけれど。
タイトル自体がそもそも長いのだが、副題まで付いていてこれも長い。「世界の9年間と、新宿コマ劇場裏の6日間」、となる。要するにこの本、1996年から2004年までの9年間にこのジャズ・ミュージシャンにしてエッセイストの菊地成孔(きくち・なるよし)が書いてきたものを、6日間新宿コマ劇場裏にあるホテルケントにカンヅメにされた状態で、本人自身が加筆修正しコメントまで加える、ということをして、最終的に単行本に仕立てたもの、ということになる。
ホテルケントって、勿論あそこのことです。かなり普通のビジネスHだと思っていたのですが(立地は立地ですけど)、いつか歌舞伎町に行ったら再確認しようかな、などと思って、ネットで調べたら2010年7月31日をもって閉館だそうです。で、今はホテルウィングになってるっぽい。うわ、これはびっくり。やっぱり確認しないと(笑)。
以上は凄く大事な情報だけれど、この本には出てきません。人の書いたものだし、こんな場所でなんなのですが、一応この本の補遺、としておきましょう。
ようやく本題へ、と言っても短いけど。本書は『スペインの宇宙食』に続く菊地成孔の第2エッセイ集。含まれるのは、シュトックハウゼンからタモリに至る何でもありなエッセイ群と短い小説、そして後からホテルケントの部屋でそれらを解題したコメント群。大学が近かった関係で(徒歩15分)歌舞伎町で育てられたところもある私にとっては、改めて「オレは歌舞伎町に育てられたんだな感」を抱かせてくれた非常に感動的な書物であった。ワケ分かんないけどそんな感じです(笑)。以上。(2011/04/14)

結城充考著『プラ・バロック』光文社文庫、2011.03(2009)

『奇跡の表現』(電撃文庫)などで知られる結城充考(ゆうき・みつたか)による、第12回日本ミステリー文学大賞新人賞に輝いた作品の文庫版である。同じ主人公が登場する続編『エコイック・メモリ』が既に上梓されているので、「クロハ」シリーズの第1巻、ということになる。
神奈川県警の女性刑事・クロハは、自らの意志により自動車警邏隊から機動捜査隊に異動してきた。そんな矢先、埋め立て地の冷凍コンテナから睡眠薬を飲んで自殺したと思われる男女の凍死体が14体発見される。捜査が進む中、クロハはやがて、都会の闇に巣食う事件の内幕に近づいていくのだが…、というお話。
全編を覆うインダストリアルな雰囲気と、降りしきる雨が印象的な作品。恐らくは映画『ブレードランナー』をイメージしながら書いたのではないかと思うのだけれど、この作品ではSF的な設定は最小限にとどまっており、基本的には非常に今日的なお話になっている。もしかすると新しいタイプの警察小説、なのかも知れないが、それを判断できるようになるにはもう数冊読んでみたい気もする。以上。(2011/04/17)

桜庭一樹著『GOSICK VII ―薔薇色の人生―』角川文庫、2011.03

ついに再開された<GOSICK>シリーズの最新刊である。角川文庫オリジナルで書き下ろし。ページ数は大幅増で314ページもある。上述の『VI』が2006年刊だから実に5年。その間、桜庭一樹は直木賞をとってしまったり、推理作家協会賞に輝いたり、と、作家としての大変な激動期を経たわけだけれど、このところの作家としての充実振りを見事に体現した作品になっていると思う。
季節はクリスマス・シーズン。ヴィクトリカは父によって首都ソヴレムに呼び出され、10年前に起こったソヴュール最大の事件の謎を解くように命じられる。その事件とは、ソヴュール王国の王妃であったココ=ローズの首無し死体事件、というもの。ファントムという名の劇場を舞台に、時間を楽々と飛び超えるかのようなヴィクトリカの推理が冴え渡る時、世界はまた新たな渦の中へと突き進むのだった、というお話である。
ミステリとしての完成度が非常に高いため、年末にはランク入りもあるかも知れない、ということを思ってしまった。メインのプロットであるココ=ローズ事件とその周辺のプロット構築と言い、それらへのヴィクトリカの母を巡る物語の絡み合わせ方といい、主人公である一弥&ヴィクトリカとその仲間達の無駄のない使い方といい、ほぼ完全無欠に近いエンターテインメント作品ではないかと思う。これは間違いなく多くのミステリ・ファンによって読まれるべき作品、である。
さて、この第VII巻によってとうとうラノベもツンデレも完全に超越しきった感がある桜庭一樹による最大のシリーズも残すところあと2冊。日本のエンターテインメント文学史に永久に名をとどめるような、堂々たる完結を期待したいと思う。以上。(2011/04/21)

舞城王太郎著『ディスコ探偵水曜日 上・中・下』新潮文庫、2011.02(2009)

福井県出身の覆面作家・舞城王太郎による、そのキャリア中最大・最長の書にして日本文学史上に残る記念碑的作品の文庫化。オリジナルは上下2冊だったが今回は3分冊として刊行。370ページくらい→480ページくらい→600ページくらい、という具合に順番に厚みを増していくのも何か意図的?、なんてことを思いつつ、読み進める。
主人公は迷子捜索を専門とする探偵ディスコ・ウェンズデイ。ひょんなことから6歳の山岸梢(やまぎし・こずえ)と調布市内で暮らすようになったディスコだが、ある日、梢の身体に17歳になった梢が憑依し始める。新たに憑依した島田桔梗が語る「パンダラヴァー」と呼ばれる魂泥棒による事件との関連を追う中、梢の身体には大変な事態が発生。
やがてディスコは、身の回りで起こっている事件と関連すると思われる、ある密室殺人事件を巡って名探偵達による推理合戦が行なわれているという福井県にある「パインハウス」という名の建物に、水星Cと名乗る調布市内の肉体派和菓子店経営者と共に赴くことに。パインハウスでは名探偵達によるいつ果てるともつかない推理合戦が続くのだが、やがて全ての事件の背後にあるものが明らかになる時、ディスコにとっての真の闘いが開始されるのだった、というお話。
などと書いてみても、全く要約にならない(笑)。基本的な形として案外オーソドックスな本格推理小説の形式をとりつつも、時間SFにして同時にハードボイルド小説でもあり、そしてまた思弁的であると同時に極めてセンチメンタルでもあり、あるいはまたヴァイオレンス小説であると共に愛と正義についての深い洞察を含む小説でもあり、というような作品、と言ってみても、この途方もない構想のもとに書かれた小説について1パーセントも説明していない、ような気がする。
舞城の他作品同様に、いやそれらよりも更に徹底的なまでに、SFを超えて神話的ですらある想像・創造力に福井や調布のローカリティをにじませるということを平気でやってのけ、更には極めて文学的であると同時に徹頭徹尾娯楽作、という空前絶後の作品で、現時点におけるこの作家の到達点、と言うことが一応可能な書、であると思う。それにしても、この作家、既に相当な高みに登ってしまったわけで、今後それがどこまで上昇しうるものなのか、非常に楽しみに思うのである。以上。(2011/04/22)

誉田哲也著『シンメトリー』光文社文庫、2011.02(2008)

今日のエンターテインメント作家の中でも有数の人気を誇る誉田哲也による、警視庁捜査一課の刑事・姫川玲子を主人公とする警察小説シリーズの第3弾。今回は前2作とは異なり、短編集、である。
収録されている作品は7本。1本目の「東京」では若き巡査時代の姫川玲子の活躍が、2本目の「過ぎた正義」では刑を逃れた重犯罪者達の連続する死を巡る物語が、3本目「右手では殴らない」では姫川と援助交際少女との闘いが、4本目の表題作では100人を超える犠牲者を出した列車事故の原因となった男の死の謎が、5本目の「左だけ見た場合」では被害者が残した携帯電話が語る真実が、6本目の「悪しき実」では同棲相手を殺したというホステスとの暗闘が、ラストの「手紙」では貸し金を副業にするOLの死の影に潜むこの社会の闇が描かれる。
短編なのでアイディア勝負。そしてまた、無駄のない、さりとて書くべきことはキチンとコンパクトに示す叙述法に加え、数行でその作品世界に読者を引き入れるテクニックも要求されてしまう。そういった点でも当代随一のこの作家、見事なまでに緩急自在に各編を組み上げていると思う。そしてまた全体の構成が…、凄い。
徹頭徹尾殺伐として暗澹とした記述の中に、人の心の温かさをほんのひとしずくだけにじませる、そんな、このシリーズの粋、ともいうべき珠玉の短編群である。以上。(2011/04/28)

誉田哲也著『武士道セブンティーン』文春文庫、2011.02(2008)

上と同じ誉田哲也による剣道少女小説シリーズの第2弾。映画化された『武士道シックスティーン』は本当に素晴らしい作品で、かつまた主役二人のその後がとても気になる作品でもあったわけで、続編が書かれるのはある意味必然的。次は当然『武士道エイティーン』となり、そこで一応完結するのも必然的。要するに、この続編は、柳の下の二匹目の泥鰌を狙ったようなものでは全くなく、書かれるべくして書かれた続編、なのである。
主役二人である磯山香織、西荻改め甲本早苗の両名とも学年が一つ上がって2年に。但し、早苗は父の仕事絡みで福岡に転居。強豪校に編入し剣道部に入部した早苗だったが、同校の剣道部、あるいは同学年のエース・黒岩伶那(レナ)の剣道に対する考え方に違和感を抱く。そんな中、香織もまた早苗の抜けた穴が埋まらない東松(とうしょう)高剣道部の現状を鑑みつつ、またその行方を案じつつ、後輩の育成に力を注ぐ。二人の行く末には何が待つのか、そして二人が再び相まみえるのはいつのことなのか、そんなこんなで波瀾万丈な2学年が描かれる。
主人公達が二手に分かれることで各々別々の物語が生み出され、やがてはそれらがより大きな物語に回収されていく様が実に見事。また、早苗が入った福岡南高校の各新登場キャラが実に面白い、のだが、とりわけ濃いキャラの吉野先生の造形にはただならぬ趣が。タイトルにも付いている武士道についての洞察もより深まり、次巻への熱い期待を抱かせる余韻たっぷりの終盤も見事。このシリーズ、警察小説群とは別の意味で、誉田哲也の代表作、と言って差し支えないのではないだろうか。その位の完成度を持つ作品である。以上。(2011/05/02)

今野敏著『奏者水滸伝 古丹、山へ行く』講談社文庫、2010.04(1986)

今野敏による、超能力を持つジャズ・ミュージシャン4人を主人公とするシリーズの第3弾。オリジナルは講談社ノベルスで1986年刊行の『妖獣のレクイエム』だがこの度タイトルを変えて再文庫化、となった。その辺のところはこのシリーズの他著と同様である。
今回の主役は巨漢ピアニストの古丹神人(こたん・かみと)。医療関係者ばかりが被害者となる惨殺事件が関東地方で連続して発生。事件の異様さに、荻窪署勤務の平川刑事は前作で関わりを持つことになった4人のジャズ・メンに協力を要請。折しも、一連の事件は「妖獣」の仕業ではないか、との憶測をもとに、それを発見し退治しようとする出羽の修験者・玄空なる人物も4人に接近してくる。やがてKGBやCIAと覚しき者達も暗躍を開始。そんな中、「妖獣」の正体を直感した古丹は、一人「妖獣」と対決することを決意するのだった。果たしてその結末は、というお話。
面白いし、なかなか泣かせる話ではあるのだが(私自身は泣かないけど)、4人のジャズ・メンもどんどんとんでもない力を発揮しうるようになってきていて、一体どこまで行くんだろう、などと考えてしまった。どうも、普通の超能力者ものと大差ない話になりつつあって、そこがやや心配。思うに、ジャズ・ミュージシャンが、あくまでもその枠組みの中で、というのが面白いと考えるのだけれども。取り敢えず次巻へと進む。以上。(2011/05/03)

桜庭一樹著『荒野 16歳 恋しらぬ猫のふり』文春文庫、2011.03(2008)

桜庭一樹ページも間もなく打ち止め、なはず。本書は、2005年と2006年に1巻、2巻がファミ通文庫で出て、その後第3部を加えた単行本が2008年に文藝春秋から出ていた『荒野』の文庫版である。文庫化に当たっては3分冊となり、3か月連続刊行、となった。これはその第3巻。
15歳になった山之内荒野は高校1年生。神無月悠也は東京の全寮制高校に進学。義母の蓉子さんは妹・鐘を出産。父は恋愛小説を対象とした文学賞を受賞。友人たちにも様々な動きが。そんな慌ただしい日々が過ぎていき、やがて秋。蓉子さんが妹を連れて家出を敢行。荒野は自分の知らなかった大人たちの世界を理解し始める、というお話。
『私の男』による直木賞受賞の時期に書かれたのがこの第3部。こうしてみると確かに、吉田信子が解説で書いているように、本書はあの作品の裏ヴァージョンなのだな、と思う。向いている方向はかなり違うのだけれど、根底にあるものは非常に近い。大輪の影でひっそりと咲く、それでいてとても力強い、このところの作者の充実ぶりを物語る傑作である。以上。(2011/05/05)

服部真澄著『エクサバイト』角川文庫、2011.03(2008)

『龍の契り』などで知られる売れっ子エンタテインメント作家・服部真澄が2008年に上梓した、近未来情報企業サスペンスと一応言えるのだろう書き下ろし作の文庫版。400ページ程度のコンパクトな作品だが、豊富な情報量と、見事なプロット捌きが堪能できる一冊。以下、概要。
時は2025年。ヴィジブル・ユニットと呼ばれる、身体に埋め込むタイプの記録メディアが普及する中、『イエリ』という名の映像コンテンツ制作会社を経営する主人公のナカジは、ヴィジブル・ユニットを使った新ビジネスを立ち上げつつある『エクサバイト商會』会長から業務提携を持ちかけられる。やがてその壮大なプロジェクトが動き出すと、ライバル会社が妨害まがいの介入を開始。ナカジは張り巡らされた陰謀のまっただ中に投げ込まれるのだが、果たしてその結末やいかに、というお話。
確かこの辺の時代を想定していたはずのウィリアム・ギブスンや士郎正宗の諸作品辺りから色々なものを学んでいることがひしひしと感じられた。ただ、そうした偉大な作品群が作られた1980-90年代くらいだとそこそこ遠い未来の事柄、というような具合にぼんやり考えていた様々なことを、今では今日あるネット社会の延長線上にあるものとして書きうるような時代になったのだな、という感慨を持った。そうそう、この小説に書かれていることはもう少ししたら実際に起きても全然不思議ではないこと、何年か先のこととして普通に想像できること、というような風に考えられるようになってしまったのである。。
さてさて、そういう、未来予測的な部分も面白いのだけれど、ある意味古典的、とも言い得るようなサスペンスの切れ味は誠に見事で、記憶や歴史に関わる洞察も非常に楽しい。SF、特にサイバーパンクやその下流にあるものを好む人には物足りない可能性もあるのだが、エンタテインメント作品として、広く多くの人に好まれるであろう作品であることは間違いない、と思う。以上。(2011/05/06)

京極夏彦著『豆腐小僧 その他』角川文庫、2011.04

皆さんご存じの京極夏彦による一連の豆腐小僧もの作品の5冊目、だと思われる本。第1弾『豆腐小僧 双六道中 ふりだし』が講談社から出たのが2003年11月。これの文庫化は角川で行なわれて、刊行は2010年10月。同書の映画公開が2011年4月29日で、これに合わせる形で続編『豆腐小僧 双六道中 おやすみ 本朝妖怪盛衰録』が単行本として角川書店から出たのが2011年4月1日。
以上の作品群とはやや異なるテイストの、一応子供向けということになるのだろう『豆富小僧』が角川つばさ文庫で出たのが2011年4月2日。そしてようやくここで紹介している2011年4月25日刊行の『豆腐小僧 その他』になるのだが、これはつばさ文庫の『豆富小僧』をそのまま掲載し、更には2005年刊の『京極噺六儀集』所収の狂言台本3本、及び落語1本、狂言師・茂山千之丞によるエッセイを加えた作品集、ということになる。
本書の中心をなす小説『豆富小僧』についてほんのちょっとあらましを述べると、京極作品には珍しく時は現代。母が働く研究所のある村で夏休みを過ごすことになった東京の少年・淳史が主人公。古いお堂を訪れた淳史がふと思い浮かべたことでそこに湧くことになったのは豆富小僧なる妖怪。その淳史はと言えば、母の研究を巡ってあるグループにより誘拐される目に遭うのだが、豆富小僧もまた様々な妖怪と遭遇しながら、淳史と共に大事件に巻き込まれていくのだった、というお話。
人間の物語と、妖怪の物語が殆ど同時並行して語られていて、それでも分かりにくいということもなく、混乱するということもなく、むしろ良い味を出していたりして、この辺りに戯作者としての京極夏彦の素晴らしさを改めて認識したのだった。物語の序文のように付されている、妖怪についての一応子供向けという触れ込みらしい解説も非常に楽しく、かつまた色々な示唆を感じながら読ませて頂いた次第である。以上。(2011/05/12)

綾辻行人著『びっくり館の殺人』講談社文庫、2010.08

これもご存じ綾辻行人による、2006年に講談社ミステリーランドの1冊として書き下ろされ、2008年に講談社ノベルスに入った長編推理小説の待望の文庫化。ミステリーランドは一応小学生から読めるような設定がなされているのだけれど、非常にレヴェルの高い作品がそのラインナップになっていて、大人の鑑賞に耐えるどころではないものも多いのだが、これもそうしたうちの1冊であると思う。
びっくり館の住民である少年・古屋敷俊生(としお)と友達になった小学校6年の永沢三知也が主人公。三知也とその仲間達がたびたび訪れることになった、様々な仕掛けが施された屋敷=びっくり館にはリリカという名の人形がいて、俊生の祖父・龍平は三知也らにリリカを使った奇妙な腹話術を見せてくれるのだった。クリスマスの夜、びっくり館に集まった三知也達だったが、ついに奇妙な密室殺人が発生。やがて驚くべき真相が読者の前に現われる、というお話。
時間を現時点から事件の頃へと巻き戻し、そして再び、というような古典的とも言える手法が威力を発揮していると思う。本書は「館」シリーズの8作目となるわけだが、同シリーズの作品群が徹底して本格ミステリの要件を満たしているのと同様、これもまた律儀にそれを成し遂げている。特に、中村青司の名前が何とも言えない響きを持って表われている冒頭部、重い真相が語られる結末部には綾辻の作家魂を感じずにはいられなかった。今年出る、という観測のある『奇面館の殺人』にも大いに期待したいと思う。以上。(2011/05/13)

アダム=トロイ・カストロ著 小野田和子訳『シリンダー世界111』ハヤカワ文庫、2011.03(2008)

アメリカの作家アダム=トロイ・カストロ(Adam-Troy Castro)による、フィリップ・K・ディック賞受賞のSF長編。原題はEmissaries From The Dead。【emissary=使者、密偵】なので、直訳すると「死者からの使者達」、あるいは「死からの使者達」となる。これだと意味がとりにくいのだが、話を読み進めると何となく分かってくる。
時代的には、〈AIソース〉なる独立ソフトウェア知性集合体が人類と接触して後の話。主人公の女性捜査官アンドレア・コートは、〈AIソース〉が造った"111"という名のシリンダー型巨大宇宙ステーションに、とある殺人事件の捜査のため赴くことになる。111では、人類が居住可能な区域は回転軸周辺のアッパーグロウスという場所に限られ、ある意味上下逆さま(=宙づり)な生活を強いられているのだが、ここに生息する生物を研究する女性研究者が就寝中にハンモック毎「落下」させられた、というのだ。
ウデワタリというこれも〈AIソース〉が生み出した奇妙な生物、アンドレア・コートの陰惨な過去と現在も続くトラウマ、上の事件に加えてアンドレアの赴任後に起こった第2の殺人事件、アッパーグロウスのおかしな、そして癖のある人々の関係や素性などなど。様々な謎をはらみつつ物語は展開し、やがて意外な、そしてまた驚くべき事実が判明する、という物語。
587ページまである大部の書だけれど、翻訳がとても良いので快適な読書経験が可能。ミステリの要素を強く含んだいわゆるハードSFの部類に入る作品で、質も大変高い。続編が現段階で2冊出ているのだけれど、さすがに英語で読む時間はないので素早い、そしてまたクオリティの高い翻訳に期待したいと思う。以上。(2011/05/22)