道尾秀介著『骸の爪』幻冬舎文庫、2009.09(2006)

つい先だって、『光媒の花』で第23回山本周五郎賞を受賞した今をときめく道尾秀介が、デビュウ作『背の眼』に続く真備庄介ものミステリの第2長編として2006年に上梓した作品の文庫版である。
舞台は滋賀県の山中にあるとある寺。ここにある仏像工房である瑞祥房を取材のため訪れた作家の道尾秀介は、その夜前作に引き続いて再び怪異なものを目撃する。しかも、仏師の一人の失踪という事態も勃発する。真備の調べにより瑞祥房では20年前にも失踪事件が起きていたことが判明、道尾および真備と助手の北見凜の3名は話を聞くべく瑞祥房を訪れるが、房の関係者たちは一様に口を閉ざす。そんな中、仏師の失踪が再び起こり、事態は混迷の極みに。果たして一連の事件の真相は、というお話。
シリーズの前作『背の眼』が民俗学的心性を扱っていたのに対し、本書は仏教美術に関する蘊蓄を散りばめたもの。京極夏彦の初期作品群もこういう配列関係を持っていたことを思い起こさざるを得ない。ただ、本書はある意味『背の眼』とはかけ離れた作風を持っているとも言いうる。非常に端正にして精密な、そしてまたこの作家の全ての作品がそうであるように独特の悲しみを湛えた名作だと思う。第3長編が書かれることを心待ちにしたい。以上。(2010/05/24)

マイク・レズニック著 月岡小穂訳『スターシップ 2 ―海賊―』ハヤカワ文庫、2010.03(2006)

昨年出た同じ著者による『スターシップ ―反乱―』の続編。所属する軍に対し反乱を起こして老朽宇宙船〈セオドア・ルーズベルト〉を奪い、海賊として生きることを選んだウィルソン・コール元共和宙域軍中佐とその仲間たちは、それでもなお無辜なる人々を襲うことに抵抗を感じ、苦慮の挙げ句「海賊を襲う海賊」となることを決意する。見事に海賊船をおびき出し、海賊達を退治、略奪物を押収したコール達だが、その処理を巡って再び難題に悩まされることになり、というお話。
新たなキャラクタとして闇ビジネスの大物異星人デイヴィッド・コパーフィールド(勿論C.ディケンズです。)、長身の女海賊ヴァルが登場。既に第1巻で登場していた一癖も二癖もあるメンバに連なることになる。キャラ立ちはもちろん、ストーリィ展開も前作以上で、実に波瀾万丈。洒脱な台詞回し、ガジェットの多用、等々、コメディ・タッチのスペースオペラにしてミリタリSFの傑作になり得ていると思う。原著既刊の第3巻Starship: Mercenaryにも期待したい。以上。(2010/05/25)

菊地成孔著『スペインの宇宙食』小学館文庫、2009.04(2003)

千葉県銚子市出身の音楽家にして著述家の菊地成孔(なるよし)が、1999年から2001年にかけて発表した文章を、単行本としてまとめた2003年刊行の著作の文庫版である。文庫化に伴い未収録だった2編(「やっと体力が戻ったら、もう女の子の話や食べ物の話ばかり」、「宝石求む」)と、「蒼井紅茶のこと(文庫版あとがきにかえて)」という著者による文章と、よしもとばななによる解説が追加されている。
タイトルからして何の本であるのかは明らかなので、別に説明を要さない、ワケはないな。本書は著者による最初のエッセイ集。この人自体は、基本的にジャズをやっている人で、例えば山下洋輔ニュー・トリオに加わっていたこともある。Tipographica、SPANK HAPPY、DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN等々といったバンドや音楽ユニットで活動してきた他、スタジオ・ミュージシャンとして、あるいは音楽講師としても著名。現在は菊地成孔ダブ・セクステットをその音楽活動の中心としている模様。
本書は、そんな著者がその生い立ち、様々な人々との出会いと別れ、その他諸々について、縦横無尽に語ったある意味「世紀の境目における、一音楽人による、魂の言行録」的な内容の書物。ほとんどありとあらゆるジャンルの事柄が語られているのだが、音楽と料理、映画とSPANK HAPPY(というか岩澤瞳。この伝説的ユニット、Perfumeブレイク後の今ならどう評価されるんだろう?)についての語りは誠に饒舌かつ豊潤極まりなく素敵以外のなにものでもない。これを読んだら、是非SPANK HAPPYに進んで欲しい、と思う。以上。(2010/06/08)

桜庭一樹著『GOSICK II ―ゴシック・その罪は名もなき―』角川文庫、2009.11(2004)

直木賞作家・桜庭一樹による、「GOSICK」シリーズの第2弾となる長編。元々は富士見ミステリー文庫から出ていたものを角川から再刊したものである。
主要登場人物は前作『GOSICK ―ゴシック―』と同じく架空の国にある聖マルグリット学園に通う、というかそのうち一人は所属するのみの久城一弥とヴィクトリカ・ド・ブロワ。「灰色狼の末裔」を当地で行なわれる夏至祭に呼び寄せるための三行広告に惹かれ、ヴィクトリカと一弥ら一行は山間部にある「灰色狼の村」へと赴く。ヴィクトリカの目的は、かつて犯したとされる殺人の罪で村を追われた母の無実を晴らすためであった。殺人者の娘として微妙な位置に身を置くことになるヴィクトリカだが、着実に事件の真相に近づいていく。そんな中、殺人事件が発生。犯人は、その動機は、あるいはまたかつての事件の真相は、そしてまた一行の運命はいかに、というお話。
第1弾同様、起伏と適度な複雑さを持つプロット、人狼伝説がベースになっている魅力的な背景や人物設定、外連味とスペクタクル豊かな終盤等々、申し分のない出来映えの作品で、堪能した次第。ヴィクトリカと一弥の関係がほんの少し発展、そしてまた、シリーズ全体に覆い被さっている謎、特にヴィクトリカの母に関する謎と真実も小出しにされ、次巻以降の展開への興味をかき立てられる。シリーズ中の1作品として、そしてまた、単体のアドヴェンチャー・ミステリとして、非常に質の高い作品に仕上がっていると思う。以上。(2010/06/21)

桜庭一樹著『私の男』文春文庫、2010.04(2007)

桜庭一樹が2007年に発表したその記念すべき第138回直木賞受賞作。ライトノベルからそのキャリアをスタートした桜庭の評価が定まったとも言える作品で、この作家を理解する上においても非常に重要な1冊と言えよう。
物語はOL腐野花(くさりの・はな)の結婚で幕を開ける。結婚を間近に控えても、花の心は、くたびれてはいるがどこか色気を漂わせるところのあるその養父・淳悟から離れることはない。何故なら淳吾は花にとって「私の男」なのだから。物語は時を遡り、北の町でのとある事件、そしてまた淳吾が花を引き取るきっかけとなる震災の頃へと巻き戻されていく。
この作品に対して賛否両論があるのは当然のことなのかも知れない。しかし、否定するもののよって立つものが近親相姦への嫌悪感であるのならそれは誠に残念と言えるだろう。ここにあるのは、圧倒的な美しさを湛えた、諦念と虚脱感の同居する何とも凄絶な愛の形なのだから。
骨太な筆致のミステリとしての完成度もさることながら、著者が人物造形と心理描写において特に卓越した才能を持つことを見事に示した作品であり、複雑な感情に満たされる読後感とともに、長く人の心に残ることになるのではないか、と思う。以上。(2010/06/22)

桐野夏生著『東京島』新潮文庫、2010.05(2008)

直木賞作家・桐野夏生による、純文学作品の文庫版である。元々は文芸誌である『新潮』に、2004年ごろから断続的に掲載され、2008年に単行本として刊行。各方面から高い評価を受け、第44回谷崎潤一郎賞に輝いている。ちなみに、話の元となっているのは「アナタハンの女王事件」である。
世界一周クルーズの最中に暴風雨に遭遇し、清子は夫・隆とともに、後日東京島と名付けられることになる無人島に流れ着く。やがて、日本のフリーターたち23名、更には謎めいた中国人11名が漂着する。女は清子ただ一人…。
救出の見込みはまるでなく、やがて夫・隆も帰らぬ人となる。清子は、ただ一人の女であることを武器に、たくましく生きていくのだった…、そんなお話。
と書いてはみたものの、とてもそれくらいでは済まない話で、そこは実際にお読みになっていただきたいと思うのだが、そうもいかないのでもう少し。
本書のような孤島漂流ものというのは、それこそ『テンペスト』やら『ロビンソン・クルーソー』の頃から数多くが書かれてきたし、優れたものも多々ある。
そんな中で本書は、何となく、ジャンルとして綿々とあるんじゃないかとさえ思う「孤島もの」を、それこそ神の鉄槌、というような感じで一回ぶっ壊し、再構成してみせた、というような、何とも野心的で、そしてまた大成功を成し遂げている作品だと思う。
猥雑にして、神話的な佇まいを湛えた、ある種記念碑的な作品、と申し上げておきたい。以上。(2010/06/25)

誉田哲也著『ジウI 警視庁特殊犯捜査係【SIT】』中公文庫、2008.12(2005)

物語の発端においては同じ警視庁刑事部捜査一課特殊犯捜査係に所属するあらゆる点で対照的な二人の女性巡査、言ってみれば「柔」の門倉美咲(かどくら・みさき)と「剛」の伊崎基子(いざき・もとこ)の活躍を描く、全3巻からなる警察小説における金字塔の第1巻。
さて、「特種犯捜査係」とは、各都道府県警察本部、刑事部捜査第一課に設置されている係で、籠城・誘拐事件の捜査と現場作戦に特化された部隊のこと。実際に存在する。SITとは、"Special Investigation Team"の略だが、元々は"Sousa Ikka Tokusyuhan"の略だったとの話もある。
なんていう話は別にどうでも良いのだが、以下肝心の物語について。
長い長い物語の発端は都内の住宅地で起きた人質立て籠もり事件。これに対処すべく、SITが出動。犯人説得において特殊な能力を発揮してきた門倉巡査は差し入れ役を装い犯人に接近するがそこで大変なことが起こる。しかし、身体能力に秀でた伊崎巡査の活躍により犯人は逮捕。その高い戦闘能力を買われた伊崎はSAT(警備部警備第一課特殊急襲部隊)へと異動。そんな中、前記籠城事件での失態により碑文谷署生活安全課少年係に飛ばされた門倉はある未解決の小学生誘拐事件を担当することになるのだが、やがて前記立て籠もり事件との接点が浮かび上がる。二つの事件の背後に見え隠れする「ジウ」の影を追って、巨大なスケールの物語はスタートするのだった。
この人の作品がいつもそうであるように、息もつかせぬスピーディな展開、ヒロイン二人の人物造形の見事さ、そしてまた、一癖もふた癖もあるサブキャラ群、などなど、エンターテインメント小説が持つべき要素を全て詰め込んだ作品である。勿論、面白いだけではなく、「この世界の無常」とでもいうものを表現せずにはいられないこの作家の業のようなものが端々ににじみ出ていて、それが作品にオリジナリティと文学的深みを与えている。
これを読まずして今日の警察小説を語るなかれ、と言われることになるのではないか、とすら思える大傑作。第1巻だけで凄まじいまでの密度とヴォリュームを持っているだが、実に、これが更にスケールアップして2冊続くのである。以上。(2010/06/28)

誉田哲也著『ジウII 警視庁特殊急襲部隊【SAT】』中公文庫、2009.01(2006)

上に挙げた『ジウ』全3巻の真ん中に当たる巻。『I』のサブ・タイトル英語略称が"SIT"だったのに、こっちは"SAT"。これは明らかに意図的。といって、話は過去に戻るのではなく、時系列的には先に進む。
さて、「特殊急襲部隊」とは、ハイジャックやテロ、あるいは銃器を用いた犯罪などに対処するために各都道府県の警察機構内に設置されている部隊であり、これもまた実際に存在する。ちなみに、SATとは、"Special Assault Team"の略であり、これを日本語に直訳すると「特殊急襲部隊」となる。注意しなければならないのは、「特殊急襲部隊」、あるいはSATという名称は日本国内では用いられておらず、正式には単に「特殊部隊」である。
なんていう話は別にどうでも良いのだが、以下肝心の物語について。
『I』で語られた連続児童誘拐事件の影に「ジウ」と呼ばれる中国人少年が暗躍していることを突き止めた警視庁は、その確保に全力を傾け始める。一方、一連の事件に関わった者たちから事情を聞く門倉巡査とその上司である東弘樹(あずま・ひろき)警部補は、拘束された誘拐犯の一人から「新世界秩序」なる組織の存在、そしてまたそこにジウが何らかの関係を持つことを聞き出す。そんな中、『I』での活躍により2階級特進を果たしSATから上野署交通捜査係に異動した伊崎巡査部長には、闇からの魔手が伸びつつあるのだった。
誘拐されたとおぼしき少女のモノローグで始まる冒頭部、そしてまた糸魚川の寒村での、誰の物語なのか、更にはいつのことだかよく分からない描写を挟み込んだ構成などなど、エンターテインメント小説として、出来うる限りの工夫や細工は全て施した、と言って良いだろうような作品となっている。全てにおいて、周到にして、実に巧緻。そしてそのテンションは次の巻において頂点へと達するのである。以上。(2010/06/29)

誉田哲也著『ジウIII 新世界秩序【NWO】』中公文庫、2009.02(2006)

「ジウ」3部作もいよいよ最終巻。第2巻から表に出てきた理念「新世界秩序」を唱え世界を根底から変えようとするミヤジを主導者とし、ジウをその象徴として信奉する者たちがいよいよ本格的な行動に移ることになる。
さて、「新世界秩序」とは数奇な運命をたどった男=ミヤジが育んできた思想のこと。それに近いものは実在しているだろうけれど、一応架空のものである。
なんていう話は別にどうでも良い、ことはなくて凄く重要なのだが、以下肝心の物語について。
『II』の終盤に描かれた大事件後、その早急な立て直しのためSATに復帰した伊崎だったが、そんな折しも、時は総選挙の季節へと差し掛かろうとしていた。そんな中、総理大臣の新宿駅東口での街頭演説中にテロが勃発。警備役を任された伊崎らSAT隊員らにより総理の身柄は保護され、事態は沈静化に向かうかに見えた。しかし、テロを引き起こしたミヤジ一派の目論見は警察機構の上を行っていた。彼らによって封鎖された歌舞伎町は「新世界秩序」を具体化したものとなり果てる。混乱の中、門倉ら警視庁職員は一致団結して懸命の抵抗を試みるが、というお話。
劇場版の『機動警察パトレイバー』やら、『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』を彷彿とさせる部分が多々あるのだけれど、そうした一連の到達点的作品群を踏まえつつ、誉田哲也はその独特なストーリィ・テリング能力と、天才的な人物造形力及びバトル描写力によって、ポスト・オウム、ポスト911の世界におけるテロリズムの論理とそれとの闘いを、異様なまでのテンションをもって描き切ってみせている。それは実に、読者が持つ世界についての認識を変えるかも知れないほどのインパクトを持つ、大変な力業なのである。以上。(2010/07/01)

桜庭一樹著『少女七竈と七人の可愛そうな大人』角川文庫、2009.03(2006)

桜庭一樹による、『私の男』による直木賞受賞に向かっての飛躍を、作品を発表するごとに繰り返していた時期に描かれた傑作群のうちの一つ、ということになるのだろう。素晴らしい作品だと思う。解説は古川日出男。
淫乱なる母親の「辻斬り」のごとき男性遍歴によってこの世に生を受けた、類い希なる容姿を持つ主人公の川村七竈(ななかまど)は女子高生。鉄道をこよなく愛する七竈は、趣味を同じくする幼なじみの美少年・桂雪風(かつら・ゆきかぜ)、母親の出奔により家事を担当している祖父、飼い犬のビショップらとともに同じく旭川の地において、完成された世界の中に暮らしていた。だが、可愛そうな大人たちによってそんな世界には変化がもたらされる。彼女に近づいてくるのは、実父を名乗る男、実父かも知れない男、芸能マネージャ、そして母である優奈などなど。静かで完全だった世界は喧噪に満ちたものとなり、やがて、というお話。
もしかするとこの作家の、現時点での最高傑作、ではないかと思うのだが。様々な意味において、である。この作家が書き続けている「少女」なるものについての掘り下げが尋常ではないところにまで到達しているし、何よりも「かんばせ」という語を多用したちょっと古語っぽい雰囲気を持つ文体が素晴らしい。吉本ばなな、を彷彿とさせる部分もあるのだが、オリジナリティは大。何とも切ない、かと言ってある意味ではこの後に『私の男』が書かれることを予感させるような終盤には戦慄すら覚えた次第。ダークさとクールさ、あるいはペインフルさを併せ持ち、それでいてハート・ウォーミングな要素も兼ね備えた、桜庭ワールド全開、の一冊である。以上。(2010/07/02)

三津田信三著『忌館(いかん) ホラー作家の棲む家』講談社文庫、2008.07(2001)

ここ数年道尾秀介と並んでミステリ界を席巻している感のある三津田信三による、2001年刊行となったその記念すべきデビュウ作『ホラー作家の棲む家』を、改題の上文庫化したものである。この本以後講談社文庫で刊行されていくことになる一連の「刀城言耶(とうじょう・げんや)」ものなどと同じく大変インパクトがあって見事なカヴァ装画は村田修、デザインは坂野公一によるもの。書店で平積みになっていれば目にしたことがある方も多いのでは、と思う。
三津田信三という名の編集者が主人公。友人から、「三津田信三」という名のものから新人賞応募原稿が届いているのだが、書いたのか?、という問い合わせを受けた三津田。しかし、そんなものは書いた覚えも投稿した覚えもない。そんなさなか、三津田は東京の西近郊で趣のある洋館を発見し、そこに間借りしてホラー小説を書き始めるのだが、その周囲では妙な事が次々と起こり始め、というお話。
三津田によって書かれている手記と、彼が書いている小説を交互に配置し、メタ・フィクショナルな構造も多分に含んだ、ホラーにしてミステリという趣向の作品。編集者として吸収してきた知識の全てを注ぎ込んだ、という感じの情報量の多さと、デビュウ作ならではのみずみずしさを持つ小説で、個人的には堪能出来た次第。
確かに、江戸川乱歩や連城三紀彦に関する記述など、全体としてかなり趣味に走り過ぎなせいもあって作品としての完成度はもう一つで、刊行当時はさほど話題になったとは思えないところもある。とは言え、これが三津田信三の始まりに過ぎなかった、ということは今日では既にはっきりしている。以下、数冊続きます。以上。(2010/07/03)

三津田信三著『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』講談社文庫、2009.03(2006)

今日における最も重要なミステリ・シリーズとなりつつある、三津田信三が放つ「刀城言耶」ものの第1弾。オリジナルは原書房(ミステリー・リーグ)から出ていたが、これを講談社が文庫化したものである。以下このシリーズはそういう刊行プロセスをとっていく模様、ではなく実はかなり複雑。これについては各々解説したい。
物語の舞台は神々櫛(かがぐし)村。時代は昭和のいつか。谺呀治(かがち)家と神櫛(かみぐし)家の両家が君臨する神々櫛村。両家の成り立ちを始めとする数々の言い伝えを伝承し、神隠しなどの怪異現象が頻発するという噂のあるこの村を訪れた怪奇作家の刀城言耶は、連続する怪死事件に遭遇し、これの解明に尽力することになる。果たしてその成否は、というお話。
物語がいきなり谺呀治家にある巫神(みこがみ)堂における憑き物落としの場面で始まるのだが、要するにこの家、代々御祈祷や憑き物落としなどを行なって村人の悩みなどを聞いてきた、という設定。更には同家は憑き物筋とも目され、といった具合に、この作品は徹底して民俗宗教をそのモティーフとして大々的に援用しているのである。
そのように、周到な下準備により極めて緻密に構築された舞台設定が何とも素晴らしいのだが、主要登場人物たちによる記述を順番に並べた構成が功を奏しているし、様々なトリックを含んだ本格ミステリとしても非常に完成度の高い作品となっている。しかし、これすらも同シリーズの単なる序章に過ぎず、次巻は更に大変なことになるのである。以上。(2010/07/04)

三津田信三著『首無(くびなし)の如き祟るもの』講談社文庫、2010.05(2007)

出版順から言えば第2長編『凶鳥(まがとり)の如き忌むもの』の次の作品、つまりは第2長編なのだけれど、講談社文庫版では上記『厭魅』に続いての刊行、となる。『凶鳥』のオリジナルが講談社ノベルスで、2006年9月刊。『首無』のオリジナルは原書房版でこっちは2007年4月刊。その後『凶鳥』の方は原書房から単行本版が2009年4月刊。文庫化はまだ、である。ややこしいですね。
実のところ、この第3長編、第1長編からは時間的・空間的に隔たっている、としか思えない設定。なので、第1とか第2とか、順番通りに読む必要はないのではないか、とも思っている。それぞれが一応「刀城言耶」ものの1冊には違いないのだろうけれど、第1とか第2という意味もあまりないのかも知れない。
物語の舞台は奥多摩の山村である媛首(ひめかみ)村。この地を支配するのは、一守(いちがみ)家、二守(ふたがみ)家、三守(みかみ)家の三家に分かれた当地きっての旧家である秘守(ひがみ)一族。一守に生まれ育った双子の無事な成長を祈願する儀礼=十三夜参りの際に起こった、奇妙な事件から物語は幕を開ける。事件から10年後、二十三夜参りも終わり、一守家長男の嫁選びの儀が行なわれることに。しかし、今度はまたしても不可思議な状況下で首無し殺人が発生。果たして真犯人は、そしてその目的はいったいどこにあるのか?刀城言耶は事件の謎を全て解明出来るのか?、というお話。
文句なしに素晴らしい作品。ここでも多視点的記述が導入され、更には最初から、本書は作中に登場する人物の手による原稿を、刀城言耶が「整理し、再構成したもの」ということさえ明確に述べられている。そうしたメタな構造に加え、首無し死体ものであることを徹底的に活かしたその見事なトリック構築とどんでん返しぶりには、誰もが舌を巻くことになるはずである。惜しくも受賞は逃したが、日本推理作家協会賞と、本格ミステリ大賞にWノミネートという偉業を成し遂げた、空前のスケールを持つ大傑作である。以上。(2010/07/05)

有栖川有栖著『乱鴉(らんあ)の島』新潮文庫、2010.04(2006)

2006年に刊行され、原書房の2007年版本格ミステリベスト10で1位を獲得した、本格ミステリの可能性を追求し続ける有栖川有栖による、火村英生&有栖川有栖もの長編。ちなみに、翌年も同じ著者による『女王国の城』が1位に輝いていて、まさしく作家として脂の乗り切った時期に書かれた書、と言い得るのではないかと思う。
物語の舞台は三重県沖に浮かぶ孤島。著名な老詩人とそのもとにどういう理由かで集まった人々が泊まっている別荘に滞在する羽目になった火村と有栖川。そこに珍客として某ベンチャー社長の有名人が転がり込み、島内はやや騒然とする。そんな中、殺人事件が起こり、滞在客の一人が失踪。犯人は、そして動機は、火村と有栖川の命運はいかに、という物語。
江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」等々といった古典への言及をちりばめつつ、この著者お得意のロジカルな推理劇が展開された、本格ミステリとして、そしてまたエンターテインメント小説としての出来具合はほとんど完全無欠と言って良い作品である。例により後で読み返せばきちんとヒント、あるいは真実への道筋が書かれていることが分かるのだが、意外な犯人、そしてまたその意外な動機を、あなたは見抜くことが出来るだろうか。是非挑戦して欲しい。以上。(2010/07/09)

菊地成孔・大谷能生著『憂鬱と官能を教えた学校』河出文庫、2010.05(2004)

サブ・タイトルが長いのでこっちに書いておくと、「【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史」となっている。上下巻に分冊されていて、上が「調律、調性および旋律・和声」、下が「旋律・和声および律動」、となる。
これは元々2002年の春に映画美学校というところで著者二人によって行なわれた「音楽美学講座・商業音楽理論史」という講義の記録。ほぼ同じ内容、と言ってもかなり精度が上がっているはずの講義がフジテレビのワンツーネクストで放送されているみたいなのだが、どうやったら観られるのか良く分からないので観ていない。詳しくはこちらをご覧下さい。ちなみにこのページ、菊地と大谷の写真が入れ替わっている気がする、というか入れ替わっている。
中身について説明するのは非常に難しいのだが、要するに、バークリー・メソッドというものについて、それが作られた背景、その効果などについて概説しつつ、商業音楽の、というよりも主として西洋の音楽自体がどのように移り変わってきたのか、について考えよう、というお話。
バークリー・メソッドについて書き始めると大変なことになるので物凄く大まかに言えば、それは本書の言葉を借りれば音楽の記号化、ということになる。本書では、J.S.バッハによる「平均律の完成」から本格化する音楽の記号化が、20世紀に入ってより徹底化され、その権化としてのバークリー・メソッドが成立する、という流れが概説されていく。それを踏まえ、それではバークリー・メソッドではコードやモードはどう体系化されているのか、バークリー・メソッドが特に商業音楽においていかなる位置を占めてきたのか、それ以外の体系とはどう違うのか、等々が語られる。
確かに、ある程度音楽理論を知らないとかなり理解しにくい書物ではないかと思う。ドミナント、サブ・ドミナントって何ですか、ってな話。ただ、実のところこの講義の目的は音楽理論を身につけて作曲や編曲、あるいはアナリーゼ(楽曲分析)が出来るようになることではなくて、ある芸術体系、というか文化体系が、記号化という作業によってどうなったのか、ということについて考える、というところにあるので、音楽なんて全然知らない、という方々にも読む価値は十分にあるし、むしろそういう方々に読んで頂きたい書物でさえあるのである。以上。(2010/07/10)

高野和明著『6時間後に君は死ぬ』講談社文庫、2010.05(2007)

デビュウから約10年、今のところ知る人ぞ知る、という感じではあるがその実非常に優れたエンターテインメント系作家・高野和明による、全5話+エピローグからなる連作短編集である。元本は2007年刊。これが好評を博し、翌年には第1話と最終話をまとめた実写ドラマがWOWOWで放映されたのは記憶に新しい。
物語は、他人の未来が見える青年・山葉圭史により、6時間後に死ぬことを予言された原田美緒が、その言葉に半信半疑ながらも、殺人者を突き止めようとする、という表題作「6時間後に君は死ぬ」から始まる。
2話目以降は、時にはサスペンスフル、時にはハートウォーミングな、基本的には悩める女性に圭史が何らかの前向きな働きかけを行なう、といった趣向のエピソードが続き、やがて5話目の「3時間後に僕は死ぬ」で大きな区切りを迎える、という趣向になっている。
締め切り時間が決まっている、というシチュエーションを巧みに用いたストーリー展開は、読む方からすれば実にハラハラドキドキ。映画の勉強をして身に着けたのだろう、まさに映画的な小説技法に、心酔した次第。ある意味、エンターテインメント小説の粋、とも言える傑作である。以上。(2010/07/11)

古川日出男著『僕たちは歩かない』角川文庫、2009.11(2006)

今日における最重要作家の一人である古川日出男による、26時間制の東京を舞台とするファンタジィ。挿絵が多数入っているのだが、これは星野勝之によるもの。ちなみにこの人の公式サイトはこちら
主人公たちは調理人。それぞれがある日、1日の時間が2時間増しになった東京に入る方法を見いだし、いつの間にか互いに知り合い、料理の腕を切磋琢磨して上げることに励むようになる。しかし、そんな至福の時は短かい。死んだ仲間と再び会うために、僕たちは雪の夜、22時22分22秒の山手線終電に乗り込むのだった、というお話。
というあらすじだとワケ分からないかも知れないけれど、まあ、ファンタジィなので(笑)。この人の作品にしては極めてコンパクト。文章すらも極めて簡潔。こういう古川日出男もあるのか、というような作品であることは確かなのだが、それは良い意味でのこと。都市伝説や東京そのものが古川流のセンスで料理される様は何とも愉しい。ポップでキュートな、古川ワールド炸裂の掌編である。以上。(2010/07/12)

佐藤亜紀著『戦争の法』文春文庫、2009.06(1992)

1991年に『バルタザールの遍歴』でデビュウした佐藤亜紀が、その翌年に発表した長編第2作の初文庫化である。第1作がヨーロッパを舞台とした幻想文学だったのに対し、こちらは日本を舞台とする徹底して架空にして虚構なのだけれど妙にリアリティがある文学作品。テイスト的には奥泉光あたりに近いのだが、以下あらすじなどを。
時は1975年、日本海に面したとある県が日本からの独立を宣言。独立支持のソ連軍が入り込み、同県は紛争地帯と化す。紡績工場主である主人公の父は工場を捨て武器と麻薬の密売を、母はソ連兵相手の売春宿を経営し始める。そんな中主人公とその親友の千秋は山に入り、ゲリラ活動を開始するが、というお話。
話の舞台はもろに新潟県なのだけれど、それはおくとして、と。非常にこってりとしていて、かつまた非常に文学的でもあり、活劇的でもある作品になっている。主人公は戦争の期間に子供から大人へと移行するのだが、教養文学的というか、端的にドイツ文学的な味わいがあるように思う。戦争という、語りがたいものについてあえて語ろうとした、若き日の名編である。以上。(2010/07/15)

二階堂黎人著『稀覯人(コレクター)の不思議』光文社文庫、2008.10(2005)

二階堂黎人による、手塚漫画を基本アイテムとして用いた長編本格ミステリの文庫版である。謎解き役は若き日の水乃サトル。なので、これは『奇跡島の不思議』、『宇宙神の不思議』に続く、水乃サトル学生編の第3作、に当たるのである。
舞台は東京と群馬。時はまだ手塚治虫が生きていた1986年で、主な登場人物は手塚治虫愛好会メンバ。ある日のこと、同会会長が自宅で殺され、そのコレクションである貴重な手塚漫画古書が盗まれるという事件で物語は始まる。部屋は密室状態にされ、自殺に偽装されている、という事件だったのだが、犯人は何故に密室状態を作り出したのか、そしてその方法は、また、犯人の真の目的は何なのか、といった謎に、水乃サトルが挑む、というお話。
作者自身が実在する手塚治虫ファンクラブの二代目会長、ということもあって本書に書き込まれた蘊蓄は何ともマニアック。とは言え、そこには手塚治虫への深い愛があることも事実。いささかマニアックではあるのだが、作者自身そこに途方もない普遍性があると考えているはずの手塚漫画を、一般読者の知的好奇心を満足させつつ、ミステリの素材として昇華させることに成功した、見事な作品だと思う。以上。(2010/07/24)

古川日出男著『サマーバケーションEP』角川文庫、2010.06(2007)

古川日出男による、とても夏っぽいタイトルの長編。でも、元々単行本は3月に刊行されていた。そうなんだけれど、物語は夏のある日、の出来事である。
主人公は、人の顔を区別出来ないという特性を持つ青年。そんなことから行動の自由を制限されていた彼が、20歳になり自由を得、一人井の頭公園を訪れる。そこでウナさん、カネコさんらという知遇を得た彼は、同公園内にある井の頭池を源流として持つ神田川が、東京の中心部を貫通し東京湾に注ぐところを見届けるための冒険を開始するのだった。
上で紹介している『僕たちは歩かない』とは相反して、ひたすら歩きまくる、という趣向。細かく言えば全部歩くわけではないけれど。中野あたり、高田馬場あたり、水道橋からお茶の水あたり、といった具合に東へ東へと動き続ける小説で、都内の風物満載。良く観察してるな、と素直に思う。
旅に加わる個性豊かな仲間たちとの出会いと別れ、誰も書いたことのなかった東京、などなど、読みどころ満載。その作品が夏休みの課題図書には絶対なりそうもない作家である古川日出男による、唯一その可能性がある作品である。(2010/07/31)

古川日出男著『ハル、ハル、ハル』河出文庫、2010.07(2007)

このところ文庫化ラッシュな感もある古川日出男が2007年に発表した中編3作からなる書の文庫版である。
表題作の「ハル、ハル、ハル」では、13歳の男、16歳の女、41歳の男である3人の「ハル」が、犬吠埼へと疾走する。2番目の「スローモーション」では、33歳の女が、とある事情で預かることになった甥と姪を連れて東京観光を試みる。3番目の「8ドッグス」では、『南総里見八犬伝』をベースに、5歳離れた恋人同士による古川お得意の犬小説が展開される。
以前の作品にみられたような濃密な文体はもはやそこにはなく、ひたすら快速で軽快に言葉が書き連ねられる。描かれているのは相変わらず暗澹とした世界だけれど、かといって閉塞はしていない。どこかへと向かい、挑発し、誘い続ける、先鋭さと同時にそこはかとない諦念、あるいはどこか醒めたところもあるポジティヴさを兼ね備えた作品集である。以上。(2010/08/01)

佐藤亜紀著『ミノタウロス』講談社文庫、2010.05(2007)

佐藤亜紀の代表作の一つとなった作品の文庫版である。著者はこの作品により第29回吉川英治文学新人賞を受賞。デビュウ以来磨き続けてきたその構成力、筆力がある臨界を超え、いよいよ作家として本格的に円熟し始めたことを示した感もある非常に優れた作品となっている。
舞台はウクライナ地方。時はロシア革命前後。物語は地主の次男である主人公にして語り手=ヴァシリ・ペトローヴィチの誕生前後から語られ始める。革命の混乱の中、パトロン的存在を殺して家を出たヴァシリは、同じような境遇の者たちと邂逅し、悪逆の限りを尽くす。しかしそんな日々にもいつしか終末が訪れるのだった、というお話。
こんな風にして要約することにはほぼ意味のない作品。緻密に織り上げられた文章を一字一句余さずに味わって頂きたいと思う。主人公の年齢、置かれた状況などにおいて、初期作品である『戦争の法』を彷彿とさせるところも多いが、ある意味極めて対照的な作品でもあり、そこに作家の心境の変化を読み取ることも出来るのである。以上。(2010/08/08)

歌野晶午著『舞田ひとみ11歳、ダンスときどき探偵』光文社文庫、2010.07(2007)

歌野晶午による、「舞田ひとみ」もの連作短編集。初出は全て『小説宝石』で、新書版は2007年刊。全6篇が収められている。
火事現場で金貸しの老婆の死体が発見された。体には数十か所に刺し傷があり、債務者名簿も消えていた。事件を担当することになったのは、浜倉中央署の刑事・舞田歳三。彼にはゲームとダンスが好きな11歳の姪・ひとみがいた…(「黒こげおばあさん、殺したのはだあれ?」)。歳三とひとみという、ミステリ史上に残る「名コンビ」が数々の難事件に挑戦する6作品。
その「名コンビ」ぶりがやはりこの作品最大の魅力、ということになるだろう。この辺は、さすがにその変幻自在ぶりがたまらないこの作家ならでは、とったところ。続編が書かれていて、そろそろ1冊にまとまりそうなので、楽しみにしたいと思う。以上。(2010/08/10)

森博嗣著『カクレカラクリ An Automaton in Long Sleep』MF文庫、2009.08(2006)

コカ・コーラ発売120周年を記念して書かれた小説の文庫化である。なので、120年、という時間がこの作品のテーマとなる。2006年にはTVドラマ化もなされているが、未見。
同じ大学に通う郡司朋成(ぐんじ・ともなり)、栗城洋輔(くりき・ようすけ)、真知花梨(まち・かりん)の3名が、花梨の実家がある鈴鳴村を訪れるところから物語は始まる。同村には、この村にかつて住んでいた天才絡繰り師・磯貝機九朗が残したという、120年後に作動を始めるとされるカクレカラクリの存在が言い伝えられていた。カクレカラクリはどこに隠されているのか、あるいは、折しもちょうど120年目に当たるこの年に、果たしてカクレカラクリは作動し始めるのか、そしてまた、それはどのような仕掛けなのか、様々な謎を巡る推理合戦が展開される。
最近の森作品の中では出色の出来映えだと思う。兎に角アイディアが素晴らしい。120年後に、その期間一切のメンテナンス無しで動作を開始する機械を作る、という課題が与えられたとして、何を考えられるだろうか。元工学部助教授の森博嗣が、その難しさを丁寧に説き、人間というものの凄さを書き綴った、エンジニア系青春ミステリ、という新境地を開拓した観もある傑作である。以上。(2010/08/29)

桜庭一樹著『GOSICK III ―ゴシック・青い薔薇の下で―』角川文庫、2010.01(2004)

直木賞作家・桜庭一樹による、「GOSICK」シリーズの第3弾となる長編。元々は富士見ミステリー文庫から出ていたものを角川から再刊したものである。
主人公久城一弥は、故郷にいる姉の頼みで〈青い薔薇〉という名のペーパー・ウェイトを買いに首都ソヴレムに出かけることに。高級デパート・ジャンタンに入店した一弥は、そこで奇妙な出来事に遭遇する。人が次々に消えていっているという噂が流れる中、一弥はジャンタンの秘密を解き明かして貰うべく、風邪で寝込んでいるヴィクトリカにたびたび電話をかけることになるのだが…、というお話。
大がかりだった前作に比べて、やや小振りな印象の作品ではある。ただ、ソヴュールとロシアとの関係が語られる他、一弥とヴィクトリカの関係は少しだけ進展し、あるいはまた、ヴィクトリカの母コルデリアに関わる事実がほんの少し明かされ、全ての鍵を握っているのかも知れないブライアン・ロスコーが再登場するなど、シリーズ全体の中ではきっと重大な意味を持つことが多々語られているんじゃないかと思わせるところが多い巻となっている。そういう部分も重要なのだが、何と言っても、20世紀初頭のパリっぽい雰囲気を感じさせてくれるソヴレムの描写が、この巻最大の読みどころである。以上。(2010/08/29)

米澤穂信著『ボトルネック』新潮文庫、2009.10(2006)

今日における売れっ子作家の一人である米澤穂信(よねざわ・ほのぶ)による、金沢を舞台とした青春ミステリ。2007年の「このミス」で15位。必ずしもこの著者の代表作とは言えないと思うのだが、本書が私にとっての米澤デビュウ作となった。
舞台は上に書いたとおり金沢。東尋坊の崖から落ちて死んだ恋人を追悼すべく現地に来ていた主人公・嵯峨野リョウは、「おいで、嵯峨野くん」の声を耳にし崖から墜落する。しかし、ふと気づくと、金沢の街にいる。自宅に帰ると見知らぬ「姉」が出迎える。一体ここはどこなのか。偶然なのか必然なのか、ひょんなことから入り込むことになったらしい自分が知る世界とは別の世界で、リョウは一体何を見いだすのだろうか、というお話。
あからさまに手垢のつきまくったいわゆるパラレル・ワールドもの、ではあるのだけれど、この作品の主眼は実は別のところにあって、それがタイトルになっているという趣向。こういう「気づき」というのは相当なダメージを伴うはずで、色々と考えさせられてしまった次第。「ボトルネック」…、なるほど素晴らしいアイディアだと思う。そうそう、この作品、そんな具合なので体裁としては青春ミステリではあるのだけれど全然爽快さはない。読む人の精神状態にもよると思うのだけれど、結構ダウン系な作品である。以上。(2010/08/30)