塩田武士著『罪の声』講談社文庫、2019.05(2016)

兵庫県生まれの作家・塩田武士による大ヒット作の文庫版である。2016年に単行本で出て、『週刊文春』のミステリーベスト10で第1位になり、第7回山田風太郎賞を受賞し、本屋大賞でも堂々第3位を獲得。映画化も既に決定しており、小栗旬・星野源のキャストで2020年に公開、とのことである。
京都で洋服店を営んでいる曽根俊也が、ある日自分の家で見つけた古いカセットテープを再生してみると、そこには幼い頃の自分のものと思われる声が入っていた。一種異様な内容に驚くのもつかの間、これはどうやら昭和時代に起きた未曽有の脅迫事件で使われたものなのでは、という疑いを持ち始める。
同じ頃、大日新聞の記者・阿久津英士も、別の情報から同じ事件を再び追い始めていた。あの未解決事件は、遂に解決に向かうのか、あるいは、というお話。
元神戸新聞社の記者である著者が、渾身の力を込めて放ったスマッシュ・ヒットにして、堂々たる傑作。細部の作り込みといい、そのリーダビリティの高いストーリィ・テリングといい、見事という他はない。正に第一級のエンターテインメント巨編である。以上。(2019/06/03)

結城充考著『捜査一課殺人班イルマ エクスプロード』祥伝社文庫、2019.05(2017)

4カ月連続刊行中の、結城充考による「イルマ」シリーズ文庫版の第3弾である。カヴァのイラストはwatabokuが担当。やはり解説は付されてない。
とある大学の研究室で爆破事件が起こる。それもつかの間、近辺の超高層ビル内で立てこもり事件が発生し、捜査一課の入間祐希=イルマは死闘の末に犯人を確保することに成功。だが、この事件では結局4人が殺されていた。そんな矢先、科学系出版社で新たな爆発事件が起きる。爆発物には≪ex≫の署名が。イルマは≪ex≫を追い始めるが、やがて…、というお話。
アクションやバトルだけが売りではない、ロジカルな捜査小説の趣きも端々に見え隠れするこのシリーズ、ここへ来て随分と話が大きくなってきているな、という印象。近いうちに刊行される第4弾にも大いに期待したいと思う。以上。(2019/06/08)

京極夏彦著『今昔百鬼拾遺 河童』角川文庫、2019.05

京極夏彦による「百鬼夜行」シリーズ最新三部作に含まれる長編である。既刊の第1弾『鬼』は講談社だったが、今回は角川。初出は『幽』や『怪』といった角川の出している雑誌で、昨年になる。カヴァのデザインは『鬼』と同じく坂野公一と吉田友美が担当している。
舞台は千葉県。時は昭和29年。夷隅(いすみ)川の流域で水死体が発見される、という事件が相次ぐ中、3体目が出た、という話を聞いた雑誌記者の中禅寺敦子は現地へと赴くことになる。何故か現地にいた呉美由紀が3体目の第一発見者であることに驚く敦子だったが、偶然なのか何なのか妖怪研究者の多々良勝五郎も居合わせて、いよいよ謎解きが始まる。果たしてその結果は、というお話。
『鬼』に比べるとかなり本格色が強い感じの作品に仕上がっていると思う。なぜそうなのか、については語れないのだけれど。次巻は『天狗』となるわけだが、考えてみるとこの三つの妖怪変化、この作家が扱ってきたものたちに比べて物凄く一般的、あるいは普通というあたりが面白いな、と思った次第である。今回はそういうコンセプトなのだろう。以上。(2019/06/13)

我孫子武丸著『裁く眼』文春文庫、2019.06(2016)

兵庫県生まれの作家・我孫子武丸による長編ミステリ作品文庫版である。カヴァのイラストは田中海帆、解説は北尾トロがそれぞれ担当している。
もともと漫画家志望だったが挫折を経て、今は浅草で似顔絵を描いて生計を立てている鉄雄は、某テレビ局からの依頼で、世間を騒がしている連続殺人事件裁判の法廷画を描くことになる。良い仕事を得たのもつかの間、描いた絵が放送された直後、鉄雄は何者かに襲われてしまう。一体、鉄雄は何を描いてしまったというのか、そしてまた事件の背後には何が、というお話。
法廷物ではあるけれど、新機軸過ぎて言葉もない。予測不可能な展開、そして真相。我孫子さん、作品数は本当に少ないけれど、毎回驚かせていただいている。ミステリ界において、本当に貴重な存在だと思う。以上。(2019/06/24)

平野啓一郎著『マチネの終わりに』文春文庫、2019.06(2016)

平野啓一郎による大ベストセラーの文庫版である。初出は毎日新聞で、単行本は2016年刊。解説は無し。映画が11月1日に封切られる、という広告が帯についている。主演は福山雅治と石田ゆり子で、監督は西谷弘が務める模様。
天才的な演奏能力を持つクラシック・ギタリストの蒔野聡史と、国際ジャーナリストの小峰洋子。40歳を超えた二人は、ある日運命的な出会いを果たす。順調に発展していくかに見えた恋にも、様々な障害が立ちはだかり、やがて、というお話。
これでは何も語ったことにはならない。確かに、恐ろしくベタな、ほとんど往年の少女漫画のようなプロットではあるのだけれど、そこで語られている内容は誠に多岐にわたり(芸術、家族、グローバリズムなどなど)、更に恐ろしく深い。数々の傑作を世に問うてきたきたこの才気に満ちた作家が、新たな地平を切り開いて見せた傑作である。以上。(2019/07/03)

城平京著『虚構推理 スリーピング・マーダー』講談社タイガ、2019.06

城平京(しろだいら・きょう)による「虚構推理」シリーズの第3弾の書き下ろし長編である。カヴァのイラストは漫画版も手掛ける片瀬茶柴が担当している。
岩永琴子は、とある大企業グループ会長・音無剛一から、奇妙な相談を持ち掛けられる。剛一は、23年前に妖狐と契約を結び、妻を殺してもらったらしい。そして、せめてもの罪滅ぼしに、迷宮入りし時効になったその事件の犯人が自分であることを、親族に認めさせたい、というのだが。果たして琴子はこの依頼にどう応えるのか、というお話。
とんでもない傑作。虚構による現実再構成、が基調のこのシリーズだけれど、こういうひねり方をしてくるのか、と。実は、このパターンでは長く続かないのでは、と思っていたのだが、はや3作目。まだまだできる、もっとできる、ということを証明してみせた手腕はそれはそれは相当なもの。この画期的ミステリ・シリーズの行き着く先が一体どこなのか、注目していきたいと思う。以上。(2019/07/05)

森博嗣著『それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain?』講談社タイガ、2019.06

森博嗣によるWWシリーズの第1弾である。決して打ち間違えではありません。Wシリーズと同じ講談社タイガからの刊行。表紙の写真はJeanloup Sieffが担当。SF史上の著名な作品が置かれることが慣例化している巻頭や章頭の引用は、I.アシモフの『ファウンデーション』からのものである。
ドイツで楽器職人をしているグアトのもとにデミアンと名乗る男が訪れてくる。この金髪・碧眼の大男は、ロイディというロボットを探している、という。彼が去ってのち、グアトはドイツ情報局から、デミアンは脱走した軍用ウォーカロンであり、手配中であることを告げられる。デミアンの目的は何か、そしてまたその運命は…、というお話。
まさに超展開。Wシリーズとの関係については実際にお読みになってご確認いただきたいのだが、この知性とテクノロジを巡って展開される壮大な物語が、一体どこまでスケールアップしていくのか、本当に楽しみである。以上。(2019/07/08)

奥泉光著『ビビビ・ビ・バップ』講談社文庫、2019.06(2016)

山形県生まれの作家・奥泉光による巨編の文庫版である。初出は『群像』で、2016年に単行本刊行。文庫だと800頁を超えている。カヴァの装画は旭ハジメ、解説は大森望がそれぞれ担当している。
基本的に音響設計で生計を立てているジャズピアニストのフォギーこと木藤桐(きとう・きり)は、世界有数のロボット企業モリキテックの創業者である山萩貴矢氏からある依頼を受ける。それは、仮想空間に作られた自分の墓で、葬式を挙げて欲しい、そしてフォギーにピアノを弾いて欲しい、という何とも奇妙なものだった。果たして、その真意とは、そしてフォギーあるいは世界の命運はいかに…、というお話。
とんでもない情報量を持つ超大作にして、途方もない傑作。念のため言っておくと、『鳥類学者のファンタジア』(集英社、2001.04)と登場人物が被るので、そちらを読んでから入った方が良いとは思う。まあ、私自身は基本的にそっちを忘れているのだが、十分楽しめたので、特に問題ないかも知れない。
いつも通り「ロンギヌスの槍」や「宇宙オルガン」だのといったものが登場するが、本作は徹頭徹尾サイバーパンク。テクノロジの記述がとんでもなく細かくて、オカルト系の話とのつなぎ方が何とも絶妙。誠に、SF好きには堪らない至れり尽くせりな本。
また、タイトルの通り、ジャズがメインのモティーフになっているのだけれど、そういうのが好きな人にとっても堪らない作品だろう。これは、今日における必読書である。以上。(2019/07/10)

野アまど著『HELLO WORLD』集英社文庫、2019.06

東京都出身の作家・野アまど(のざき・まど)による、書下ろし長編。アニメーション映画の原作として書かれたようで、9月20日からロードショー、と帯に書かれている。カヴァの絵は多分アニメ版の一コマが使われていると思われるのだが、亀谷哲也による。ちなみに、「ざき」の字は化けるかも知れないがご了承のほど。
堅書直美(かたがき・なおみ)は京都に住む本好きな男子高校生。ある日直美は、未来から来たという自分自身から、これから恋人となる一行瑠璃(いちぎょう・るり)が事故で死んでしまう運命にあることを告げられる。未来を変えるため、二人は奔走するが、歴史を変えることの代償は決して小さくはなく…、というお話。
本年のベスト・ワンは確定、だと思う。これを超えるものは、そう簡単には出てこないだろう。余り詳しくは書けないが、時間SFの新境地などというものをはるかに超えて、この作家はとんでもないところにまで手を伸ばす。数多の古典へのオマージュと、みずみずしい感性に溢れた、空前の大傑作である。以上。(2019/07/13)

結城充考著『捜査一課殺人班イルマ オーバードライヴ』祥伝社文庫、2019.06

4カ月連続刊行の掉尾を飾る、結城充考による「イルマ」シリーズ文庫版の第4弾である。『小説NON』に昨年連載され、単行本を経ずに文庫で登場、となる。カヴァのイラストはwatabokuが担当。やはり解説は付されてない。
元都議会議員が毒殺される、という事件が発生。死体は片目にナイフを突き立てられていた。捜査に加わった入間祐希=イルマは、かつて逮捕した毒殺魔・蜘蛛が拘置所から脱走した、という事実を知る。やがてイルマは、自室に侵入した蜘蛛に、24時間後に死ぬ、という毒物を打ち込まれてしまう。そして、蜘蛛の指示に従わなければ、ある少年の命が失われる、と脅されることになるが、果たして…、というお話。
設定されたタイムリミットが何とも言えない緊張感を孕む。アクション系というよりは頭脳合戦というか、生き方が問われているというか、そういう話になっている、と思う。一応これで一段落、だと思うのだが、このシリーズ、改めて振り返ってみると、悪役のキャラクタ造形がとても良いな、と考えた次第である。続編が書かれるかどうか不明だが、著者の代表作の一つになったのではないか、と思う。以上。(2019/07/14)

有栖川有栖著『狩人の悪夢』角川文庫、2019.06(2017)

大阪府出身の作家・有栖川有栖による火村英生もの本格ミステリ長編の文庫版である。秋に配信される、斎藤工・窪田正孝主演によるドラマの原作にもなっている模様。カヴァのイラストは引地渉が、巻末の解説は宮部みゆきが担当している(新聞からの転載)。
対談をきっかけにホラー作家である白布施正都の誘いを受け、京都は亀岡にある彼の住まい=夢守荘を訪ねることになった有栖川有栖。眠ると必ず悪夢を見る、といういわくつきの部屋で一泊した翌朝、白布施のアシスタントが住んでいた家で右手首のない女性の死体が発見される。果たしてこの事件の犯人は誰なのか、そしてまたその目的は、というお話。
いつものように良く整ったミステリ作品である。犯人は誰か、なぜ手首を切断したのか、あるいはその動機は、といった謎が次々に現れ、そして待ち構えていたように名探偵が登場し、という展開。古典的と言えば古典的だけれど、現代的な意匠もきちんと施されていて、その辺りに本格ミステリの担い手としての矜持を感じた次第である。以上。(2019/07/15)

市川憂人著『ジェリーフィッシュは凍らない』創元推理文庫、2019.06(2016)

神奈川県生まれの作家・市川憂人(ゆうと)による、第26回鮎川哲也賞受賞作にしてデビュウ作の文庫版である。カヴァのイラストは影山徹、解説は千街晶之がそれぞれ担当している。
時は1983年。舞台はアメリカとおぼしき国。「新型気嚢」という新開発の技術を使った浮遊艇=「ジェリーフィッシュ」の長距離航空性能最終試験で、惨劇は起こる。開発チームの6人のうち一人が突如変死。更には浮遊艇自体も雪山に不時着する。脱出不能な状況下で、新たな犠牲者が発生、一体生き残るものはいるのか否か、そしてまた、真犯人は誰なのか、というお話。
クローズドサークルの使い方とか、叙述のありようなどに、色々な趣向が凝らされた傑作。中でも新技術の話が面白くて、きっとこういう世界にいた、というか今もいる人なんだろうな、と思って読んでいた。勤務先は何とか重工、とかなんとか化学、とかその辺り?物性とか材料系にめっぽう強そうな辺りが、初期森博嗣っぽくてかなり気に入ってしまった。
なお、本書の成功を受け、既に〈マリア&蓮〉シリーズには第2弾が存在する。そちらもいずれ紹介したい。以上。(2019/07/17)

芦辺拓著『楽譜と旅する男』光文社文庫、2019.06(2017)

大阪生まれの作家・芦辺拓による、連作短編集の文庫版である。タイトルを含め、本書の元になっているのは当然江戸川乱歩による「押絵と旅する男」になる。カヴァのイラストはひらいたかこが、解説は東雅夫が担当している。
どんな譜面でも探し出す楽譜探索人。そんな男が、日本、中国、あるいはヨーロッパまでを巡って語られる、時に奇妙で、時にシニカルな全6篇。旅の終わりに不思議な男が見出すものは、あるいはまた辿り着く場所は、果たして…、というお話。
この小さいながらも何とも魅力的なこの作品、乱歩へのオマージュ、さらに言えばそのネーミングの元になったエドガー・アラン・ポーへのオマージュ、と言えるのかも知れない。本格ミステリから幻想文学まで、この著者の広範なキャリアを網羅した、贅沢な作品集である。以上。(2019/07/20)

京極夏彦著『今昔百鬼拾遺 天狗』新潮文庫、2019.07

京極夏彦による「百鬼夜行」シリーズ最新三部作に含まれる長編である。既刊の第1弾『鬼』は講談社、第2弾『河童』は角川書店だったが今回は新潮社。初出は『小説新潮』で昨年から今年にかけての連載になる。カヴァのデザインは『鬼』『天狗』と同じく坂野公一と吉田友美が担当している。
昭和29年8月、篠村美弥子の友人である是枝美智栄が高尾山で行方不明になる。その2か月後に群馬県の山中で女性の遺体が発見されるが、どういうことか美智栄の衣服を着ていた、という。美弥子からこの話を聞いた呉美由紀は中禅寺敦子に調査を依頼。調べが進むうちに、二つの事件の周りには、別の事件が影を落としていることが判明するが、それは一体…、というお話。
フェミニズム色の濃い作品になっている、と思う。謎が謎を呼ぶ展開に、個性豊かな登場人物群、そしてまた天狗という何とも魅力的なモティーフなどなど、誠に読みどころは満載。3部作の掉尾を飾るにふさわしい、作家魂炸裂の一冊になっている。以上。(2019/07/23)

オキシタケヒコ著『筐底(はこぞこ)のエルピス 1〜6』ガガガ文庫、2014.12〜2019.01

まだ完結していないのだが、取り敢えず1巻から6巻まで一気読みしたので6冊まとめて紹介しておく。本書は、基本的にライトノベルのブランドであるガガガ文庫から出ている、オキシタケヒコ作のSF伝奇小説。イラストはtoi8が担当。円城塔による紹介で知ったのだが、それはそれはとんでもない作品である。
鬼=「殺戮因果連鎖憑依体」の退治を専門にしてきた組織である《門部(かどべ)》の百刈圭(ももかり・けい)と乾叶(いぬい・かなえ)は、任務中に正体不明の《白鬼》と遭遇する。やがて、叶の親友に憑依した白鬼の処遇を巡って組織は動揺。
そんな中、やはり悪魔=「殺戮因果連鎖憑依体」の処理を古くから行ってきたバチカンも、《白鬼》の出現を察知し《門部》へのアプローチを開始する。人類を影から支えてきた二つの組織の対立は、世界をどこに導くのか、そしてまた百刈や乾らの運命は…、というお話。
と、一見すれば普通な感じの始まりだけれど、巻を追うごとに話はどんどん膨らんでいく。本当に想像を絶するというか、そこまで行くのか…、という感じ。
そんな本作、ここには敢えて書かないけれど、物語の根本を支えるアイディアの素晴らしさは誠に特筆すべきものだし、一気読み必至なドライヴ感溢れるストーリィ・テリングも実に見事。
現時点で未完故に断言はできないのだが、とは言えここまでで既に、近年のSFというジャンルにおける、最大の成果となりうるのではないか、とさえ思えるほどの大傑作である。以上。(2019/07/25)

中村文則著『私の消滅』文春文庫、2019.07(2016)

愛知県生まれの作家・中村文則による、Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した作品の文庫版である。初出は『文學界』で、単行本は2016年刊。文庫版オリジナルの著者あとがきが付されている。
「このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない。」こんな言葉で小説は始まる。あることがきっかけで心療内科を訪れた美しい女・ゆかりは、医師に自分のすべてを知って欲しい、という。医師は彼女の記憶に欠損があることに気づき、原因を突き止めようとする。しかし、それは物語の発端に過ぎなかった…、というお話。
短い小説だけれど、途方もないスケールを持つ作品になっている思う。現実に起こったあの忘れがたい事件を真正面から取り上げ、深い人間洞察と、高度な社会批評精神に溢れる傑作。芥川賞受賞を経て、どちらかというとエンターテインメントの世界で成功したように思う著者が満を持して世に放った、誠に文学的な佳品となっている。以上。(2019/08/03)

藤木稟著『バチカン奇跡調査官 アダムの誘惑』角川ホラー文庫、2019.07

藤木稟による大ヒット作「バチカン奇跡調査官」シリーズの第19巻で、シリーズ中15作目の長編、となる。参考資料までで446頁という分厚さ。カヴァのイラストは毎度おなじみのTHORES柴本が担当している。
FBI捜査官のビルが結婚することになった。相手は偽装婚約中のエリザベート。奇跡調査官の平賀とロベルトは司祭をすることを依頼され、結婚式が行なわれるアメリカはマイアミへと飛ぶことになる。先にマイアミ入りしていたビルとエリザベートは、そこで世界的なスター歌手であるゾーイと知り合う。そんなゾーイに殺人予告が送られてきて、華やかなムードは一気に不穏な空気に包まれていくのだが…、というお話。
相変わらずの博覧強記ぶりには舌を巻くのだが、それよりも何よりも、こういう展開になるとは。いつも何となく不運な感じのビルには是非とも幸せになってもらいたいものだと思う。次はいよいよ20冊目。節目に何を持ってくるのか、大いに期待したいと思う。以上。(2019/08/13)

宮内悠介著『月と太陽の盤 碁盤師・吉井利仙の事件簿』光文社文庫、2019.07(2016)

東京生まれの作家・宮内悠介による、ミステリ連作集である。初出誌は『ジャーロ』と『ランティエ』で、2012年から2015年にかけて発表されたものが含まれている。単行本は2016年刊。巻末には村上貴史による周到な解説が収められている。
碁盤師の吉井利仙(よしい・りせん)は弟子の棋士・慎(しん)とともに碁盤の原料にする榧(かや)の木を探す旅をしていた。そんな中で二人は、日本刀を手にした女と出会う。彼女は、非常に高名だが、本因坊との諍いで碁盤師を辞めた昭雪(しょうせつ)の娘・逸美であった。実は昭雪は逸美が幼い頃に不審な死を遂げていた。昭雪の死、そして本因坊との諍いの原因となった碁盤を巡っての謎ときが開始されるが…(第1話「青葉の盤」)。
という何とも濃い口の表題作をはじめとする、囲碁を基本テーマとする計6本。一応ミステリ、サスペンスが基調になっている作品集だけれど、並行して書いていたものを考えると、その守備範囲の広さは途轍もないものだと思う。今日最も注目すべき作家による、堂々たる傑作である。以上。(2019/08/17)

深緑野分著『戦場のコックたち』創元推理文庫、2019.08(2015)

神奈川県生まれの作家・深緑野分(ふかみどり・のわき)による2015年発表のミステリ連作文庫版である。単行本刊行時は大変な反響となり、直木賞や本屋大賞の候補にもなっていた。カヴァのイラストは民野宏之、解説は杉江松恋がそれぞれ担当している。
時代は第二次世界大戦末期。アメリカの若者であり陸軍のコックになったティモシー・コールは、ノルマンディー上陸に参加し、ヨーロッパ戦線に投げ込まれる。様々な背景を持つ仲間たち、戦闘、そして数々の奇妙な事件。いつ終わるとも分からない戦争の中で、ティモシーは一体何を見るのか…、というお話。
読了後に深い余韻を残す傑作。所謂「日常の謎」系のミステリ連作なのだが、全然それにとどまっておらず、背景の描かれ方がそれはそれは凄まじい。一切の妥協無し。食料は常に枯渇気味だし、銃撃に爆撃は当然頻発する。まさに極限状況。ミステリではなく戦争文学として出ていたら、どう評価されただろうか、と考えた。個人的には、かなりのレヴェルに達しているのではないか、と思う。以上。(2019/08/25)