Clint Eastwood監督作品 Gran Torino 2009.09(2008)
つい先日80歳の誕生日を迎えたばかりの名優にして名監督のクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)が、最後の映画出演になるかも知れないとほのめかした作品。全米での封切りは2008年。同じ年に『チェンジリング』を、翌年には『インビクタス/負けざる者たち』を公開しているわけで、その年齢を考えると敬服する以外にはない。
その内容は、前後に作られた2作と比べれば非常に地味、とさえ言えるだろう。舞台はデトロイト。朝鮮戦争に出兵後、フォードの工場で50年を勤めあげたポーランド系アメリカ人のコワルスキー(イーストウッドが演じる。)が主人公。日本車や東洋人が行き交う昨今に面白くないものを感じている彼だが、隣に越してきたモン族の少年タオを、やはりモン族のギャング団から助けるところから人生は一変する。タオ、そして姉スーを始めとする彼の家族との交流を通じて、次第に頑なさがほぐれていくコワルスキー。しかし、執拗にタオを仲間に引き入れようとするギャング団は、やがて暴力に訴えるようになり、それは最悪のところに行き着くことに。タオやその家族を救うべく、コワルスキーがとった道とは、というお話。
さて、タイトルの「グラン・トリノ」について、「フォードの車種、フォード・トリノのうち、 1972年から1976年に生産された名称である。」、とウィキペディアには記されている。映画で登場するコワルスキー愛蔵の車体は初代型と思しき1972年モデルで、コワルスキー自身がどこかの部分を自分で作った、という設定。何せ元フォード工員ですから。要は、タオがこれを盗むようにギャング団に唆されて、失敗してコワルスキーににらまれる、というところが話の発端になっていて、最後まで話の節目節目をつなぐ良い小道具にもなっている。
私見では、要するに911やイラク派兵などからやや時間を置いた今日という状況における普遍的な正義、とでもいうものを表現しようとしたのだろう作品で、イーストウッドがその名をあげたある種の西部劇などとはある意味対極的な倫理観を打ち出しているように思う。非常に丁寧に作られた、佳品と言いうる作品である。以上。(2010/06/10)