Tony Gilroy監督作品 『フィクサー』
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「ボーン」シリーズの脚本を書いていたトニー・ギルロイ(Tony Gilroy)が、脚本と同時に初めて監督も手がけたサスペンスである。ティルダ・スウィントン(Tilda Swinton)がこの春のアカデミー賞で見事助演女優賞を獲得したのだけれど、実際に観てみるとこの人の出番はそもそも極めて少なくて何だか存在感は薄く、更には同じくこの映画からアカデミー賞助演男優賞にノミネートされていたトム・ウィルキンソン(Tom Wilkinson)や主演男優賞ノミネートのジョージ・クルーニー(George Clooney)が余りにも際だった演技をしているせいもあってか、「何で?」という印象を否めなかった。まあ、要するに他に該当者がいなかった、というところなのだろう。
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原題はMichael Claytonで、要するにこれはクルーニーが演じる第一級の「もみ消し屋」=フィクサーのこと。彼と同じく大企業やセレブ達の御用達的法律事務所で長年対企業等々の訴訟問題を扱い、恐らくは汚い手やら手練手管やらを使って色々なことをもみ消してきたのだろうクレイトンの同僚アーサー(トム・ウィルキンソンが演じる。)が、義憤に駆られたのか気の迷いか何かである公害訴訟の原告側に協力し始めてしまい、被告である企業の内部情報を持ち出してどこかに消える、という事態が発生。これを何とかしろ、と命令を受けたクレイトンが友情と業界人の論理に板挟みにされ苦悩しつつも自らの意志で行動する様を描く。
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ある種の公害訴訟という背景設定や、いかにも企業サスペンスなプロット構成が古くさすぎる気がしたのだが、要するにこれは、例えばスティーヴン・ソダーバーグ(Steven Soderbergh)監督、ジュリア・ロバーツ(Julia Roberts)主演の映画『エリン・ブロコヴィッチ』のようなものに多くを負っているように思ったりもする。あの実話に基づいた映画よりは脚色の仕方などに工夫があるものの、正直な話展開は読める。もう一ひねり、あるいは二ひねりくらいは欲しかったところである。
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ちなみに、冒頭のあるシーンまではとても緊張感があって良い、ということは付け加えておきたい。畳み掛けるような台詞、切れ味の良い映像、それらを盛り上げる音楽の全てが素晴らしい。ただ、これはあくまでも冒頭部の話なのであり、出来ればそのままラストまで疾走して欲しかったと思うのである。以上。(2008/05/14)